上野 千鶴子:男おひとりさま道 |
作成日:2021-05-25 最終更新日: |
帯には「在宅ひとり死はこわくない」
私は、一人で暮らすことに耐えられるかというと、自信がない。結婚する前には一人ぐらしをしていたが、 住んでいた同じ建物に友達や会社の社員がいた。今は、つれあいと一緒に住んでいるが、 この先どうなるかはわからない。
第1章で著者は男おひとり様の3類型を提示している。
著者は、「このタイプにもどれにもあてはまらない、と思えたら合格。」
とあるが、私はどれにもあてはまるような気がするので、不合格である。
ほどなくして「息子の介護」という一節がある。これは「夫の介護」の後をうけている。ここで、夫の介護とは、
夫が妻を介護することを指している。ということは、息子の介護とは、
息子が父(ここでは男おひとりさま)を介護することだ。これは大変だ。
さらに、著者は自身の「おひとりさま」の父を描く。
男おひとり様のどれにもあてはまる私だが、それでもこのような「おひとりさま」に私はなりたくない。
第2章は「下り坂を降りるスキル」と題されている。 p.76 では著者は「問題は、それ(=定年)からあとの人生が思っていた以上に長いことだ」主張する。 私は定年後を楽しみたいと思っているのだが、どうもそういうわけにはいかないようだ。 ただ、p.84 でいう「弱さの情報公開」は、誰よりもできる自信がある。
第3章は、「よい介護はカネで買えるか」という身もふたもない表題だが、まあしょうがない。
施設に入るための費用が書かれているのだが、その額を見て驚いた。私には到底払える金額ではない。
著者のいう、
「カネがなければ、三途の川も容易には渡してもらえない」である。
昔、私は仲間とともに、地方の老人施設の慰問にいったことがある。グランドピアノがあって優雅な空間で、
「私も年寄りになったらここに入ろうかな」と冗談を言っていたが、
その施設長が必要以上に施設の良さを宣伝していたように聞こえた。
私はそれほど気にならなかったが、気分を害していた仲間もいた。
その仲間は義理の父母の介護をしていたのだった。
第4章は「ひとりで暮らせるか」という、直球勝負の題がつけられている。私はまず、だめである。 何がだめかというと、片づけられない。これを書いている今も、机が散らかっている。
第5章は「ひとりで死ねるか」。挑発的だ。p.245 にはこうある。「残念ながら、死に方だけは選べない。 亡くなる前に、数カ月間は他人さまのお世話になることを覚悟して、 それを受け入れる備えさえあれば、おそれることはない。」覚悟しよう。
書 名 | 男おひとりさま道 |
著 者 | 上野 千鶴子 |
発行日 | 平成21年(2009年)11月7日(第2刷) |
発行元 | 法研 |
定 価 | 1400円(本体) |
サイズ | 判 |
ISBN | 978-4-87954-753-8 |
その他 | 現在は処分してしまい手元にない |
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