ヴィーコ |
作成日: 2007-01-16 最終更新日: |
ヴィーコの有名な著作「新しい学」の本文の全訳。
やはり難しくて、私にはとうてい理解できなかった。
この本を読もうとした動機は、ヴィーコとは何者か知りたかったからだ。 なぜヴィーコを知ろうと思ったかというと、こんなわけがある。
私はある企業に入ってすぐに、自分の力に絶望した。 つまり、企業でやっていく自信が全くなくなった。 だから、会社員を辞めて進学したいと思い、某理学部系大学院の試験問題集を手に入れた。 その試験問題の中をめくっていたが、数学も物理も生物も、 不良学生であった私には全く歯が立たない。だいたい私は工学部出身であり、 理学部系の大学院入試などわかるわけがないのだ。絶望しながらページをめくっていくと、 科学哲学の大学院試験問題をみつけた。そこには、次の人物について記せ、という問題があり、その中にヴィーコの名前があった。 当時私は全く聞いたことのない人物であったが、その問題はなぜか頭の中で燻っていた。
そのころ、私は千葉に住んでいた。現在はなくなってしまった千葉の多田屋書店には、 東京の大型書店とは比べ物にならないとはいえ、それでも多くの本があった。 休日にこの書店を徘徊するのが、当時の数少ない楽しみだった。おそらくこの本も、 ヴィーコを知りたい一心でここで買ったのだと思う。
買ったはいいが、その後本棚に埋もれていた。 その後3回の引越しを経てよくぞ無くならずに生きていた、 という賛嘆の念をこめて読んだ、というのが真実である。
難しい本を読んだときは、せめて名文句や挿話を記載して、読んだという記憶をとどめることにしている。 本書のp.477 、ニコリーニによる小区分番号 [972] において、ヴィーコは次の逸話を提供している。 なお、〔〕内はテキストにある。
神聖ローマ皇帝コンラート三世は、皇帝位をめぐる競争者の煽動で反乱を起したヴァインスブルクの市民たちにたいし、 婦人たちだけは、背中にかつげるだけの荷物を持って場外に出ることを許可するという条件を明らかにした。 すると、ヴァインスブルクの心やさしい女たちは、 息子や夫や父親を背負って出てきたのだった。 勝利者である皇帝は、 城門の前で勝利の瞬間を味わっていたが 〔この瞬間は本来人間を横暴にしがちであるにもかかわらず〕、 彼は怒りをぐっと抑制したのだった 〔これは高位の人としては驚くべきことがらであり、 また支配権を手にいれようとしたり、 あるいは維持しようとする試みにたいする妨げが原因となっていることを思えば、 きわめて幸先のよくないことだったはずである〕。 (中略)皇帝は全員が安全に通り過ぎるのを許したのであった。
ここからどのような結論が得られるのか、私には興味がないし、わからない。 同じ話は、別のホームページでも紹介されていたが、現在ではリンクが切れている。
書 名 | 世界の名著 ヴィーコ |
著 者 | ヴィーコ |
発行日 | 1979年06月日 |
発行元 | 中央公論社 |
定 価 | 1301円(本体) |
サイズ | 18cm/594p |
ISBN | ISBN4-12-400643-8 |