表紙の言葉を転載する。
日本の輝かしい高度成長を影の部分で支えてきたものは、 はげしい自然と人間の破壊であった。 この百年、人名に危険を及ぼす環境破壊として公害という国際語が定着した。 また、労働現場で無数の人名が奪われた。 それは政治的意志によって避けられた犠牲である。 悲劇を繰り返さぬために、 経験の批判的な反省が必要である。
この本を買ったころ、私は会社をやめたくて仕方がなかった。 当時の私の仕事は半導体の気相成長に関するものだが、会社では誰もそんなことを知っている人はいない。 おまけに悩んでいたのが不純物の問題であった。半導体でダイオードやトランジスタなどの回路を作るときには p 型と n 型の半導体を作るわけなのだが、 n 型半導体を作るときには不純物として砒素が必要となる。私が行っていた実験はまだまだ不完全なものであるから砒素は使わずに済んだが、 有毒物質を使ってでも技術を発展させることがよいことなのだろうか、私は悶々としていた。そんなことで、実験に身が入らなかった。
そんなときに、この本を 1986 年に買った。 自分の悩みは解決できるのか。当時悶々としたことは、この本のあちこちに傍線を引いていることからわかる。
日本での公害で忘れてはならないのが水俣病である。私はこの本や原田医師らの本を読んでその病気のすさまじさに驚いた。 その後、水俣を一度訪れた。そのときも、そしてそのあとも何もできなかったが、せめてこの本を読んで目をそらさないことが大事だと思った。
今となっては忘れられているかもしれないが、砒素ミルクの中毒事件というのがあった。この砒素ミルクを作っていたのは森永乳業だった。 私が今でも覚えているのは、当時通っていた大学の生協は、森永製品を販売していなかった、ということである。 その理由はもちろん、砒素ミルクを作っていた会社の商品を売ることはできないというものであった。そこまでしつこくやるものか、 と当時は思ったが、今となってはそこまでしつこくやらないとすぐに忘れてしまうので、それを嫌った当然の処置だったのだろうと納得するのだった。
日本の公害の原点と呼ばれる足尾銅山の被害、そして四大公害に隠れる形となったが悲惨さに胸を打たれる土呂久の亜砒焼き谷など、 この本で多くの公害を知った。その後、足尾にも、土呂久にも行ったのはこの本の影響だ。
さて、今はどうだろうか。水俣、四日市には行ったが、神通川、阿賀野川にはいまだに行ったことがない。いつかは行かなければ。
気が滅入るばかりの話のなかで、少しではあるがユーモラスな事例が紹介されている。高知パルプ事件である。 高知は徳川時代から和紙の生産が盛んだった。明治以降も製紙業がさかんだったが、製紙工場からの排水で高知市市内の河川が汚染されてしまった。 さてそのあとはどうなったか。この本を見ると面白い。「高知生コン事件」などで検索するとわかる。
書 名 | 技術と産業公害 |
著 者 | 宇井 純(編) |
発行日 | 1985 年 9 月 |
発行元 | 国際連合大学[発行] 東京大学出版会[発売] |
定 価 | 2800 円(本体) |
サイズ | 20cm |
ISBN | 4-13-051085-1 |
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