科学は危機に瀕している。問題の本質はどこにあるのか。
かなりわかりやすいことばで書かれているが(かなり、という留保に注意)、
著者の危機意識をつかむのには苦労した。なお、ここで著者が言う科学とは、自然科学のことであろう。
著者はまえがきで私は科学者ではない
と断言しているが、著者の専攻している哲学も人文科学と呼ばれるものだろうから。
さて、わたしの意見を表明するのはもう少し先になりそうだ。突きつけられた科学に関する意見に疑問を表明したい気持ちはあるが、 なかなかまとめられないからだ。
武谷三男のことを、原子力発電に反対していた人、ぐらいにしか私はとらえていなかった。
しかし、本書で紹介される武谷は私の想像とは違っていた。pp.154-155 で武谷の著作を引用した著者は
原爆の非人道性を批判する人間の報が非人道的というのなら、武谷にとっての人道性とは、いかなるものなのか。
と憤りを表明し、さらにこうまとめる。
一般に、武谷の評論というのは、〈科学的合理性〉が問答無用の各別性をもち、
それによって社会や文化の万象を快刀乱麻に切り捨てるというスタンスが最適だという前提がない限り、読むに堪えないものが少なくない。
一方で、武谷は原子力発電に反対していた。いったいどのような人物なのだろうか。知りたいような、知りたくないような気がする。
最初に書いた通り、同書はかなりわかりやすい、と留保をつけておいた。
これは、わかりにくい部分がある、ということでもある。とくに、フリガナをふらなければならないような漢字が出てくるので、そこで困る。
たとえば、pp.190-191 にこんな文章がある。
しかし、同時代の海外思潮の受け売り的な導入や、流行への乗り遅れを嫌う平凡なエピゴーネンたちの簇出は、
提唱者たちの真剣さにダメージを与えるものだったというのは否みがたい。
この「簇出」って、読めますか?「そうしゅつ」というふりがながある。意味はなんだろう。「群がり出ること」とある。「新興宗教の簇出」
などというらしい。
特に医学では「簇出 (budding) とは、大腸癌において,癌細胞が個々に,あるいは小胞巣を形成しつつ散在性に間質内に浸潤する組織所見であり(後略)」
という意味をもつらしい。どうやら、あまり望ましくない小さなものが、続々と、群がって、生まれたり出たり成長したりすることをいうのだろう。
でもこの場合は、単に「平凡な模倣者たちが続々と生まれてきたことは、……」でも十分意味が通じるような気がする。
たけかんむりを使ったから、竹やぶで竹がにょきにょき生えるようなイメージを与えたかったのだろうか。
書 名 | 科学の危機 |
著 者 | 金森 修 |
発行日 | 2015 年 4 月 22 日 発行 |
発行元 | |
定 価 | 760 円(本体) |
サイズ | |
ISBN | 978-4-08-720782-8 |
その他 | 集英社新書 |
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