性、狷介なる李徴は後年発狂し行方不明となった。その後、李徴の友人袁傪は、李陵が人食虎となったことを知る(山月記)。 他、「李陵」ほか3篇を収める。
主人公李徴に、私は、自身の姿を重ね合わせてしまう。「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」をいう猛獣を飼い太らせたのは、 まさに私のことではないか。
ちなみにこの「山月記」は高校1年の現代国語の教科書で読んだことがある。そのときの教師がほかにも中島敦には面白い小説がある、 といって紹介してくれたのが「名人伝」である。
弓の名人、紀昌が天下第一の弓の名人となるまでの話である。名人になるまでの訓練や試練がおもしろい。 そして、また結末もおもしろい。将棋のプロがなぜか、よくこの中島敦の「名人伝」を持ち出すのは、やはり「名人」というタイトルのなせる業だと思う。
游侠の徒、子路が孔子に弟子入りし、死を迎えるまでを描く。最後は感動的で、読み終わるといつも涙を流してしまう。
なお、のちに筒井康隆の「法子と雲界」(「薬菜飯店」所収)を読んでいたら、ふと、この「弟子」を思い出してしまった。
青空文庫の李陵 (www.aozora.gr.jp) も参考にどうぞ
主人公は三人いる。まずはタイトルともなった李陵(単に陵ともいう)である。漢は武帝の時代、胡の地に住む匈奴の大軍と戦った勇将である。 己の戦力が圧倒的に足らず陵は匈奴に捉えられ、捕虜として生きる。 これを知った武帝は怒り、臣下もみな阿諛追従する。ここで第二の主人公、司馬遷が登場する。この司馬遷のみが「ハッキリと李陵を褒め上げた」。 司馬遷はこの讒言により宦官とさせられてしまう。そして第三の主人公、蘇武が登場する。蘇武は漢からの平和の使節であったが、 ある事件がもとで李陵より前に胡の地に引き留められていた。しかし、蘇武は降伏を拒み、はるか北方にすんでいた。 李陵を軸に、ほかの二人の関係も交えながら中国古代の人間関係を描く。
司馬遷が李陵をどう褒め上げたか。これがいい。
陵の平生を見るに、親に
事 えて孝、 士と交わって信、常にふるって身を顧みず以て国家の急に殉ずるはまことに国士の風ありというべく (中略)。思うに、彼が死せずして虜に降ったというのも、ひそかにかの地にあって何事か漢に報いんと期してのことではあるまいか。……
正直言って、この書に収められた4編のなかで、最もわかりにくい(長いのだ)。だがそれだからこそ、まだ読む余地があるのだと思える。
なお、同書 p.114 には、李陵の故人・隴西の任立政三人であった
とある。ここで故人とは、「亡くなった人」の意味ではなく、
「むかしなじみの人」という意味である(角川新字源 p.438 1993.1.15版による)。また、同書ではルビが降られていないが、
青空文庫では「故人」に「とも」というルビが降られている。(李陵の部は 2019-07-06)。
書 名 | 李陵・山月記 |
著 者 | 中島 敦 |
発行日 | 昭和 54 年 6 月 10 日 二十一刷 |
発行元 | 新潮社 |
定 価 | 180 円(本体) |
サイズ | ページ |
ISBN | |
その他 | 新潮文庫、相模大野駅近くの Books アミで1979 年 12 月 13 日購入 |
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