サブタイトルは「私は生きるのを好きだった」
著者はこういっている。子どものころから自動車の好きだった私が、近ごろ自動車に飽きてきている。
で始まる文がある。著者の、自動車に対する思いがあふれた文である。末尾はこうなっている。
自動車に飽きていると私は言った。もっとはっきり言うと私は自動車に失望さえしているのである。 いつまでも四つのゴム輪をくっつけ、くさいガソリンを燃やし、ぶつかればすぐ凶器に転じるこの時代おくれの乗り物は、 まったく鼻もちならないのである。
自動車には技術革命が必要だ。ロータリー・エンジンなんてなまぬるいのである。自動車メーカーは、本気になって未来を考えているのだろうか。 <商売>も大切だが、商売気ぬきで人間の文明の未来を見通すことはもっと大切だと考える。半重力や太陽電池が手に余るのなら、 せめて自動車と並行して道でも作ってもらいたいものだ。我々が自動車に<絶望>してしまう前に。
いまだに自動車というこの古風な機械に愛着を感ずるがゆえに、少なくとも私は自動車に絶望はしてしまいたくない(一九六七)
最近起きる、運転手による死者が出る交通事故をニュースで知るたび、このような意見があることに意を強くする。 なお、ここでいう「自動車と並行して道でも作ってもらいたい」という道とは、自動車はもちろん、自転車さえ通らない、歩行者だけが通れる道だろう。 最近は歩道でも自動二輪が(たいていは岡持ちだが)疾走しているのに私は絶望している。 (以上、2019-04-30)
書 名 | 散文 |
著 者 | 谷川 俊太郎 |
発行日 | 1998 年 1 月 20 日 第1刷発行 |
発行元 | 講談社 |
定 価 | 880 円(本体) |
サイズ | 393 ページ |
ISBN | 978-06-256240-5 |
NDC | 914(随筆、エッセイ) |
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