長山 靖生:不勉強が身にしみる |
作成日: 2013-05-06 最終更新日: |
私は、著者が不勉強であったことを悔悟しているざんげの本だと思ったが、果たして内容はどうだったか。
題名から受けた上記の概要は、半分は正しく、半分は誤りだった。著者は高校生までは不勉強だったが、 大学生になってからは今までを悔い、歯学部ですべての授業に出席したという。悔い、改めたということだ。
一方で評者である私はどうか。高校では皆出席だったが、 大学生になってから(正確には1年の冬学期から)授業をサボりだし、不勉強の見本となった。 それでも3年冬学期までには卒業研究を除くすべての単位はとり終えたが、 4年生になって余った時間で、就職活動をするわけでもなく八百屋でアルバイトをしていたのだから、 やはり不勉強であった。社会人になってからはさすがに悔いて本だけは買い、 勉強はしたつもりなのだが、不十分だったのだろうとは思う。
私事はさておき、この本を読んでみたいと思ったのは先の概要の通りであり、 半分ではあったがその概要が正しかったわけでまずは安心した。
著者は不勉強を悔いてはいるが、本業である歯科医のほか、評論家として既に多くの単行本を出版している。 これについては、出版のお声がかからないから自分で出版させてくださいと出版社に頼んでいると、 ということが書いてある。これもその通りなのだろう。とはいえ、評者のように書くネタもなく、 まして出版社へのコネもない者にとっては、著者の立場はうらやましく感じられる。 しかし、これは著者が勉強した結果と考えるのが自然だ。 もちろん、勉強をしさえすれば自動的に本が書けるとか出版社が用意される、というわけではない。 勉強をしなければ、これらの能力や権利や環境を得ることができない、というだけだ。
個別の話にも面白いものがある。高校生で一番危険な遊びは読書である。 他の遊びは他人からは遊びだとわかるが、 読書は一見勉強に見えるのでわからないからだ、という説明は痛快だった。
教科書を複数用意して見比べよう、という主張があった。そういえば、森毅もそんなことを言っていたなあ、 を思い出したが結局評者は今に至るまで複数の教科書を読み比べたことがない。ちょっと悔やんでいる。
性教育では性行為や避妊のまえに、生命の誕生のしくみについて教えるべきだという。 この生命の誕生の記述は、他の柔らかい箇所とは違い、 医学や生物学の教科書のように厳格かつ専門用語の羅列からなっている。 それだけ真剣さが感じられ、思わず背筋をただしてしまったほどだ。
書 名 | 不勉強が身にしみる |
著 者 | 長山 靖生 |
発行日 | 2005年12月 |
発行元 | 光文社 |
定 価 | 720 円(税別) |
サイズ | 新書版 |
ISBN | 4334033334 |
その他 | 光文社新書、越谷市南部図書館で借りて読む |
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