兼常 清佐:音楽と生活

作成日: 2019-12-16
最終更新日:

概要

兼常 清佐(かねつね きよすけ)は日本の音楽学者。著者が提起した問題を収める。

感想

大家と猫

ピアノ弾きのあいだで、「名ピアニストが鍵盤を叩こうが、猫が脚で鍵盤を踏もうが、出てくる音は同じ」という人がいた、 という話が出てくることがある。こんな当然のことだから、発言した人は誰だろう、と詮索することはついぞなかった。 ところが、たまたま古本市で買ったこの本に、上記の主張があった。偶然、侮りがたし。

さて著者は、具体的にどのように主張しているのだろうか。p.44 に「音楽界の迷信」という評論があるので、 ここから引用しよう。pp.44-45 である。ピアノとその演奏家、ピアニストを例に挙げている。パデレウスキー(パデレフスキー) やコルトーは、当時、名ピアニストと言われた人たちである。

 批評家はほとんど例外なしにいう。―――パデレウスキーやコルトーのような大家の弾くピアノの音は非常に美しい。 (中略)この美しいタッチの技巧こそ、彼ら世界の大演奏家の生命である。 そしてこのような名人の美しいタッチの音を楽しむ事こそ、高級な音楽の鑑賞である。―――
 これが迷信である。(中略)ピアノさえ一定すれば、パデフスキーが叩いても、私がこの万年筆の軸で押しても、 同じ音が出るに決まっている。名人のタッチなどというようなわけのわからないものがピアノの上に存在しようとは本気では考えられない。 これが迷信である。

猫のたとえは出てこない。もう少しページをめくろう。p.57 を引用する。「この事」とは何を指すのかは、正確に記すのは前の文をたどっても難しい。 ただ、見当は付くものとして割愛する。

そして批評家はこの事についてなぜに心にもない事を言わなくてはならないか。 ピアノの c' の鍵盤をあるいは指で叩いたり、あるいは万年筆の軸で押したり、あるいは猫の足に蹈ませたりするのを隣の部屋で聴いて、 それが一々区別できるかと問われたら、誰も容易に区別出来るとは考えられまい。

ここで猫のたとえが出てきた。 このたとえと合わさって、名ピアニストだろうが、猫だろうが、タッチは同じ、という著者の結論が出てくる。

私はどう考えるか。それは、タッチということばの定義によって結論が変わるものと考える。タッチの定義を、 一つの鍵盤に加えられる、鍵盤と垂直方向の力の時間との関係、とすれば、これは名ピアニストだろうが、猫だろうが、同じである。 兼常は、タッチをこのように定義した。しかし、兼常が敵視する音楽評論家は、 おそらくタッチを故意か無知かで、次のように定義しているのだろう。すなわちタッチとは、 一つの鍵盤だけでなく複数の鍵盤が同時並行して作用する総体をいう、と定義しているはずだ。 だから、私は兼常の主張は、兼常の定義でいうタッチに関しては、正しいと考える。ところが、兼常は「誰も容易に区別出来るとは考えられまい」 に続いて次の通り主張している。

一つの音でさえタッチの区別の出来ないのに、どうしてあれほど複雑な曲でタッチの変化がわかるか。

この兼常の主張の論理に、私は納得できない。一つの音での区別はできないのに、複雑性を帯びるからこそ区別ができる、ということはないだろうか。 ここでは、タッチを音楽評論家のいう、一つの鍵盤だけでなく複数の鍵盤が同時並行して作用する総体と定義する。 複雑な曲のタッチに関して、ある種の統計的な値が明確に定義できるはずで、かつタッチその統計値の有意な変動があれば、 それをタッチの変化と言っても差支えないのではないか。

はっきりいえないのは私の考察と表現力に不足があるためなので許してほしい。

名人滅亡

タッチのことに関しては、兼常の意見に関して懐疑的な見方を私はした。 しかし、本著作集に収められた「名人滅亡」に関する主張は、私もうなずくものがある。 極論すれば、演奏家なんかいらないよ、機械にまかせればいいんだよ、という意見である。 この場合の機械というのは自動ピアノのことを指しているのだと思う。今でいえば、DTM で打ち込みをするようなものだろう。 私もピアノソロの音楽を聴く限りにおいて、打ち込みピアノは生演奏より上のような気がしている。 そして、生演奏をミスなくおこなう技術の習得には、困難と時間を伴う(金はこれらを軽減してくれるが、ゼロにはしてくれない)。 だから、ピアノソロするための修練の時間は無駄ではないか、と思うことがある。

これを同じような議論をどこかで見たような覚えがある。そうだ、日本において、英語を小さいころから身に着けさせるか否かという議論だった。 (2019-12-16)

p.20 でドルヒフュールングということばが出てきて面食らった。 もしこれがドイツ語 Durchführung の読みであれば、楽典における展開部を意味する。

書誌情報

書 名音楽と生活
著 者兼常 清佐
編 者杉本 秀太郎
発行日 年 月 日
発行元岩波書店
定 価 円(税別)
サイズ
ISBN4-00-331901-X
その他岩波文庫

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MARUYAMA Satosi