やさしく、だれにもわかることが望ましい
漢字が日本語に与えた影響を分析し、 日本語での漢字の使い方を主張する。
ほろぼす、とまで言い切ってはぶっそうだ。読み進めていくと、 漢字がすべていけない、とはいっていない。読み書きできて、 外に向かって開いた日本語にするにはどうするか、ということを考える本だ。
本書の 24 ページに、日本の医学用語がどんなにわかりにくいかを説明している個所がある。 たとえば「分娩」の娩の字の問題である。もっとも分娩をわかりやすくいうにはどうしたいいのか。 出産、あるいはお産でわかる。ただ、出産には、社会的・文化的な側面を含むとある。 まあ、お産でわかるからいいだろう。
次は「耳鼻咽喉科」の例が出てくる。
著者は、日本語をわかりにくい例として挙げている。
対象はミミやハナやノドだから聞いてわからないのはおかしい、という。
英語では
otorhinolaryngology
といって、
ギリシャ語から取ったむつかしい言い方もするらしい、とある。
わかりやすい例として挙げているのはドイツ語だ。
Hals-Nasen-Ohren-Arzt
というのだそうだ。
訳すと「ノド、ハナ、ミミ、医者」だそうだ。
実際には頭文字を取って HNO という。
さて、ここまで読んで英語の例として挙げていたむつかしい言い方もするらしい、 というで調べてみた。英語ではotolaryngology (rhino -鼻-が抜けている)か、 Ear, Nose, and Throat だ。 なんだ、英語でもやさしい言い方をするじゃないか。でも、Wikipedia の見出しでは 英語では、otorhinolaryngology 、ドイツ語では Hals-Nasen-Ohren-Heilkunde (heilkunde は医学の意味) がそれぞれ先に出ている。 ついでにエスペラントも調べてみたら、Otorinolaringologio aŭ orel-naz-gorĝa medincino と難しいほうが先に出ている。 あとのほうがエスペラント固有で orelo, nazo, gorĝo がそれぞれ、耳、鼻、 ノドを表す。
これを機に一般に医者の分野を表す○○科について調べてみようと思ったが、 面倒なのでやめた。 著者は、「めいしゃさん」、「はいしゃさん」 とふだん私たちがいっていることをあげて (私が思うにこのように簡単に言えるのは上の2種類だけだ) 「め科」、「は科」でいいのではという。 それから、小児科はやめて「こども科」にすればいいともいう。 小児を「しょうに」と読まなければいけない理屈は難しいから、ということである。 言われてみればなるほどである。残念ながら小児科はなくならないが(小児科医は減っているが)、 あちことで○○こども病院というのができているので、これはいい動きだと私は思う。
日本語が堅苦しい例はほかにもある。数学の分野で、ある種のよい性質をもつ集合を調べる学問がある。 その性質をどのようにいうかの例である。
日本語 | 英語 | ドイツ語 | 参考 | |
---|---|---|---|---|
群(ぐん) | group | Gruppe | ||
環(かん) | ring | Ring | ||
体(たい) | field | Körper | ||
束(そく) | lattice | Verband |
日本語でも「群れ」、「環(わ)」、「からだ」、「たば」 といえば日常用語なのだが、音読みするだけで概念がたちまち難しくなってしまう。 だからといって、いまさら英語やドイツ語をそのまま使うわけにもいかないし、 どうすればいいのだろう。
逆の例もある。これは鈴木孝夫による。 猿人ということばがあるが、これは英語で pithecanthropus という。 普通の英語人では、これが猿と人の間であるということは理解できないという。 pithec とanthropus ということばはギリシャ語でそれぞれ「猿」と「人」を意味するのだが、 それがわからなかったようだ。 日本人は漢字で書くからわかる、という趣旨だ。
この挿話についてはブログで意見を述べている人もいる。 私の意見では、漢字だからわかりやすいということではないだろう。
わかりやすい、造語法が豊かだというエスペラントだって、 動物学は zoologio と bestscienco ということばの両方があり、 私が最初に学んだ本の第1課に学んだ本では動物学専攻の学生は zoologia studento だったのだ。 ちなみにエスペラントで動物は besto と animalo の両方がある。 Wikipedia によればこうだ。
Apud la esprimo "besto" kelkaj Esperantistoj ankaŭ uzas la esprimon "animalo". Tiuj kiuj uzas "animalo" kutime argumentas, ke "besto" estu uzata nur por ne-homaj bestoj (kiel laŭ la PIV-a difino de "besto"), dum en biologio oni uzu "animalo" por emfazi, ke inkluziviĝas homoj.
中途半端に読めば、同じ動物でも animalo は人間を含むが、 besto は人間を含まない、ということだ。 だから動物学は animalscienco ではなくて bestscienco なのだろう。
漢字に頼りすぎないということはわかったが、実際にやっていくのはむずかしい。
書 名 | 漢字が日本語をほろぼす |
著 者 | 田中 克彦 |
発行日 | 2011年5月25日(初版) |
発行元 | 角川マーケティング(発行) |
定 価 | 840円(本体) |
サイズ | 新書判 |
ISBN | 978-4-04-731549-5 |
その他 |
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