工藤 幸雄:ぼくの翻訳人生 |
作成日: 2010-04-04 最終更新日: |
ロシア語、ポーランド語、フランス語、英語などに精通した著者が、 半世紀にわたる自身の翻訳人生を回顧する。 付録での「うるさすぎる言語談義」は圧巻だ。
面白い本だった。私が面白いと思ったのは、 第3章の第5節「楽しくない話」だった。 著者を裏切った人間がイニシャルで出てくる。 私は、このイニシャルが誰であるかを推測したり調べたりするのが楽しかった。 著者には申し訳ないと思うけれど。
著者は、ドレミの歌の誤訳について、 團伊玖磨がとっくにエッセイのどこかに書いているだろうが、という注釈を付けながら述べている。 それは、ドレミファソラシという音階で、第2音のレと第6音のラの発音についての問題である。 まず、レについては元のことばは re であるのに、訳は lemon の le と歌っている。 つまり、r と l を混同しているから問題といっている。 ラについては 原語は la であるが、訳はラッパのラとなっている。 これもおかしい、というのが著者の主張である。 著者の提案は、レはレール(rail)、レッド(red)、レストラン(restraunt) を当てるべし、 ということだ。そして、ラはラスト(last)あるいはライン(line)ならどうか、 と述べている。
ラがラッパではいけない理由が明らかではなかったので、調べてみた。
Wikipedia によれば、ラッパの語源は未詳であるという。
オランダ語のroeper、サンスクリット語で「叫ぶ」の意のrava、
ravaに由来する中国語の「喇叭」など諸説ある。
とある。
したがって、ラに l 音を当てるのは得策ではない、と判断したのだろう。
あるいは、r と l の区別を明確にするために、外来語を参照したとも考えられる。
私の考えでは、今更ドレミの歌の訳を変えるわけにはいかないだろう、 ということである。それは有名な歌がついてしまっているから、ということだ。 なお、どうしてもというのならば、レはレールのレ、がいいだろう。 レッドは red のほかに lead (鉛) や led もあるからだ。レストランは、 歌の文句には長い。そこへいくと、l で始まるレールという単語は英語にはなさそうだからだ。 ラはラストのラといってしまうと、もう終わってしまう気がして採用しづらい。 ラインは、line ならよいが、ドイツ語のライン川(Rhein)として想像してしまうと困る。 だから適訳はないようだ。
そして著者はふれていないが、厳密なことを言い出すと、第7音のシも誤りになってしまう。 言語は si だが日本の訳のしあわせのしは ∫i のように発音される。 エスペラントの表記を借りれば、原語はsi(スィ)で日本語はŝi(シ)だ。 これはどうしよう。スィースィースーダラダッタのスィー、と言うには長すぎる。 ということで結論は出ない。
小見出しは上記の≪誤訳「ドレミの歌」≫に含まれているが、 漢字の自由化の話が出ている。ひらがな混じりの漢語はやめるべき、 という主張で「乖離」を「かい離」と書くのはやめよう、ということである。 「拉致」、「誘拐」(強調は著者、実際には傍点)は自由化されたのだから、 という。私も漢字の自由化には賛成である。
なお、蛇足であるが私から念のため訂正しておく。 誘拐については自由化されたのは拐の字のほうで、 正しくは「誘拐」とあるべきだろう。
これは改善されていない例であるが、著者はこのように述べている
「曩に」と「先に」を区別しないアナウンサーが増えた
この「曩に」が読めなかった。対照例から「さきに」と読んでよさそうだが、 これで正しいことを確認するのに時間がかかった。 「曩に」の意味は「前に、以前に」とある。これは時間軸の過去を表すもので、 空間の自分の前を意味するものではないと私は推測している。 そして、「先に」のほうは、空間の前方を意味し、 (厳密な意味では)時間の以前は指さないと考えているのだろう。 アクセントは「曩に」は ̄__ 、「先に」は_ ̄ ̄ と思われる。 というのは、はるか昔に見た水戸黄門では、 助さんだか格さんだかがこのように言う。
控え居ろう! この紋所が目に入らぬか。 こちらにおわすお方をどなたと心得る。畏れおおくも、 曩の副将軍、水戸光圀公にあらせられるぞ。
このセリフでは「さ」が高いところにある。Webではここの「さき」に「前」 を当てていることもあるようだ。 なお、空間の「さき」と時間の「さき」についての考察は、 国広哲弥の「理想の国語辞典」に詳細な記述がある。
すべからく◎◎すべし、というのが用法で、◎◎をするのが義務である、 という意味である。ここですべからくというのは◎◎の開始を意味する記号みたいなものだ。 この「すべからく」を「すべて」の意味で使う人が多くなっている。 著者はこの現象に憤慨している。
まあ、私も著者の憤慨はわかるけれども、時代の流れに抗するのはむずかしいと思う。 ただ、私は誤った使い方は使わないつもりだ。というより、 すべからく◎◎すべし、という文語体が私には使えない。
書 名 | ぼくの翻訳人生 |
著 者 | 工藤 幸雄 |
発行日 | 2004年12月20日 |
発行元 | 中央公論新社(中公新書) |
定 価 | 820円(本体) |
サイズ | 新書版 |
ISBN | 4-12-191778-1 |
その他 | 越谷市立南越谷図書館で借りて読む。 |
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