哲学者によるユーモアエッセイ集。
土屋先生の著書は、どれもまえがきが面白い。pp.8-9 で自著を売るための工夫をあれこれ挙げたうえで、
こうなったらペンネームを工夫するしかないと思い、「赤川次郎著」というペンネームにしようとしたが、
これもひんしゅくを買っただけだった。
といっている。どうしたら「赤川次郎著」という発想に思い至るのだろうか。
その一方で、ワープロという機械に仮託してこんなことも言っている。「あなたも今日からワープロが好きになる」というエッセイの p.123 から引用する。
しかし考えてみれば、すでに理想社会は実現しているとも言えるのではなかろうか。 われわれは、いつ会議があるとか、 いつまでに金を払わなくてはならない、 といったことを、 人に言われた通りに手帳に書き込み、 毎日手帳に書いてあることを忠実に実行している。 これは、まさにわれわれが言われた通りに書き、 書いてある通りに実行する機械だということではないだろうか。
私は土屋先生のユーモアも覚えているのだけれど、このような真面目な言葉にも感銘する。 嫌な仕事をしないといけないとき、私はまずその仕事を手帳に書いて、それから仕事をする。そうすれば、 私が仕事をしているのではなくて、手帳が仕事をしていると思えるので、嫌だという思う感情を少しでも消し去ることができるのだ。
今はない雑誌「頓智」の「自分を探す哲学」特集で土屋さんを知った。
この本から、うそをついていいこと、人の言ったことは疑わないといけないことを学んだ。
なお、最近、赤瀬川原平の「老人力」なることばが話題になっている。「老人力」の原形の一部は、
この「われ笑う、ゆえにわれあり」の本にある。
例えば、「最近忘れっぽくなった」という代わりに、「最近忘却力が増大してきた」と言えばいい、
ということが書いてある。
なお、1999年4月にこの本の続刊「われ大いに笑う、ゆえにわれあり」の文庫版が文芸春秋が出たので、これも購入した。
同時期に「新解さんの謎」も文庫化されていた。
注記:上記の「最近」とは、1998 年ごろだと思う(2019-01-24) 。
かつて、この本はNDCで914.6 : 評論・エッセイ・随筆に分類されていたはずなのだが (いつのどこの分類化は定かでない)、 国立国会図書館サーチによれば 2019/01/25 現在で104.9 : 論文集.評論集.講演集に分類されている。
書 名 | われ笑う、ゆえにわれあり |
著 者 | 土屋 賢二 |
発売日 | 1997 年 11 月 10 日第1刷 |
発売元 | 文藝春秋 |
定 価 | 438 円(税別) |
サイズ | p ; 15cm |
ISBN | 4-16-758801-3 |
その他 | 文春文庫 |
NDC | 104.9 : 論文集.評論集.講演集 |
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