「僕」は<世界の終り>の環境での主人公で、 「私」は<ハードボイルド・ワンダーランド>の環境での主人公である。 2つの環境が交互に出てきて、物語が進展する。
村上春樹の作品は、世界中の人々が熱心に読み、熱く語っている。 私ごときが読むことはないだろうと敬遠していた。 しかし、掲示板でパパゲーノ川崎さんからこの本を勧められたのを機会に、 食わず嫌いもいけないと思い直し読んでみた。
駆け足で読んだ感想を記すのは気が引けるが、 一粒で(というには量があるが)二度おいしい小説だった。 題名で暗示されている通り、 二つの物語、すなわち「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」が交互に現れ、 進んでいくという形式をとっている。 両者の味わいが対照的だったので、二度おいしい、という感想となった。
「世界の終り」は「僕」の物語である。主人公はなぜかはしらないが心を失っている。 だからなのだろう、「僕」からみた自然の外面と人間の内面の描写が淡々と続く。 一方、「ハードボイルド・ワンダーランド」は、職業人「私」の物語である。 計算士という資格に加え、ある特殊技能を身に付けた「私」ゆえに、事件に巻き込まれる。 こちらはハードボイルドの名の通り、即物的な外的事象が多く盛り込まれている。
評者が気付いたことを以下少し挙げる。 ネタばらしはしたくないので抽象的な書き方にならざるを得ないがご容赦願いたい。
村上春樹の文体に今更ながら気づいた。「やれやれ」がそこかしこに出てくる。 これは、自分の文体に自信をもっているあかしなのだろうか。
「世界の終り」では主人公が過去を忘れていること、自分が心を失っていることを問題として認識している。 そして、この悩みが底流に流れている。 主人公はある作業を日常的に行っているが、その意味を見出すことができない。 しかし、末尾近くで主人公は不断の認識と作業を見守る人の支援、その他の要因などで、 作業に変化がおきる。その変化後の作業の描写を読んで、私は谷川俊太郎のある詩を思い出した。 詩集「コカコーラ・レッスン」に収められている「交合」という詩である。 この詩は、吉本隆明が谷川俊太郎の詩を評論するときに挙げているものだ。 なにか通じるものがあると思う。
音楽やら料理やらファッションやら車やらが出てきて、私にはわからない。 音楽で気になったのはブルックナーのシンフォニーのところだった。一部引用する。
ビアホールではどういうわけかブルックナーのシンフォニーがかかっていた。 何番のシンフォニーなのかはわからなかったが、ブルックナーのシンフォニーの番号なんてまず誰にもわからない。
ブルックナーのシンフォニーだとわかるためには、 それがブルックナーのシンフォニーの何番かを知る必要があると思うのだがどうだろうか。 そんなことはないのかもしれないが、あまたあるオーケストラの曲で、 それが交響曲であって何番かの曲も知らずにブルックナーの作品だと認識できるためには、 音楽に対する卓越したセンスが要求されるような気がする。
デュラン・デュランというなまえがあたかも示準化石のように文章中に置かれている。 洋物に疎い私でもこのグル―プの名前は知っていて、なぜかくすぐったかった。 音楽に詳しい友人に聞いたら、日本ではやったのは 1985 年だ、と言い切っていた。 ちなみに、この本が最初に刊行されたのも 1985 年(当時は新潮社)だった。
主人公は、p.169 でこう語っている。
それから私は計算士を引退したあとの生活について考えた。 私は十分な金を貯め、それと年金とをあわせてのんびりと暮し、 ギリシャ語とチェロを習うのだ。車の後部座席にチェロ・ケースをのせて山に行き、 一人で心ゆくまでチェロを練習しよう。
なぜギリシャ語なのだろう。なぜチェロなのだろう。 この小説には多くの音楽作品が出てくるが、チェロ曲は出てこない。 パブロ・カザルスが指揮するブランデンブルク・コンチェルトが出るぐらいである。 そしてなぜギリシャ語なのだろう。古典ギリシャ語だろうか、それとも現代ギリシャ語だろうか。 この二つは後にも出てくるが、その出てくる場所は私にはどうしても見つけられなかった。 事件に巻き込まれたために引退後にギリシャ語の不規則動詞を覚えることができない、 という文脈だったと思うが、やはりそこにも古典か現代かということは書かれていなかったように思える。 ギリシャ語のどこに興味を抱いたのだろうか。謎である。
書 名 | 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド |
著 者 | 村上 春樹 |
発行日 | 2005 年 2 月 25 日(第6刷) |
発行所 | 講談社 |
定 価 | 円(本体) |
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その他 | 村上春樹全作品1979~1989④ 南越谷図書館で借りて読む |
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