柳瀬 尚紀 : 翻訳はいかにすべきか |
作成日: 2014-11-19 最終更新日: |
著者が語る翻訳の実際。
p.17 で「習いたてのピアノ」とある。
ここでは、二葉亭四迷の「平凡」をもとに、ある範囲の原文 A と、同じ範囲で現代風の日本語に訳されたとした著者作の文 B を比べている。
著者作の文はかなり誇張のきらいがある。彼の姿で、ぼくは快活になった。ぼくが急に実際的に微笑して、ただちに庭へ降りようとするやいなや(後略)
これではまるで清水義範の「永遠のジャックアンドベティ」ではないか。まあ、いくつかの訳文を見てみるとこれに近い文もあるから、
あまり著者の誇張のこともいえないけれど。
著者はいう。A はショパンの「小犬のワルツ」の楽譜であり、ピアノを習いたての、しかも音感の鈍な者がそれを弾いているのが B である、と
同じ表現体系をしているのに、楽譜と演奏を比べてしまうのはおかしいと思う。「小犬のワルツ」を、プロでかつ音感の鋭い者が弾いているのが A だというのならわかるが。
もちろん、訳書には苦い思い出がある。 コンピュータの分野では、サスマンほかの「計算機プログラムの構造と解釈」の訳文が話題になることが多い。音楽の分野ではコルトーの「フランスピアノ音楽」 の訳文に難渋した。評論では、ラッセルの「怠惰への讃歌」に苦労した。文芸では……、思い出せない。量を読んでいないからだろうか。
書 名 | 翻訳はいかにすべきか |
著 者 | 柳瀬 尚紀 |
発行日 | 2000 年 1 月 20 日(初版) |
発行元 | 岩波書店 |
定 価 | 660 円(税別) |
サイズ | 版 |
ISBN | 4-00-430652-3 |
その他 | 南越谷図書館で借りて読む |
まりんきょ学問所 > 読んだ本の記録 > 柳瀬 尚紀:翻訳はいかにすべきか