清水 義範:日本ジジババ列伝

作成日 : 2019-09-09
最終更新日 :

概要

ジジとババは、どのような生活をしているのか。さまざまなジジババの生態を描く。

感想

私はもう中高年である。ここに描かれているジジババは、近い将来の話である。 作者はおそらく、ジジはたよりないもの、ババはしっかりしたものと捉えているようだ。 私が想像するに、自分の行く末は、「おしどり」で描かれたジジ(これもババからは疎んじられているジジだ)でもなく、 「子供の喧嘩」で碁敵と争うジジ(私は将棋をたしなむが、将棋の敵 - かたき - はいない)でもない。 そして私には「ホラ吹き爺さん」のような才覚すらない。ましてや「二度目の人生」の主人公とは違い、新たな職業につく勇気もない。 せいぜい、「おぼろ灯台」で、昔よかったことを何度も振り返る妄想一歩手前のジジになりそうだ。 ちなみに、このおぼろ灯台は、清水の初期の「霧の中の終章」を思い出す。 私の願望は「ひとり」で描かれたようなババのジジ版になりそうな気がする。

私が好きな短編は「八十年間世界一周」である。名古屋弁で添乗員をうならせたババのように、私はなりたい。 しかし、海外旅行へ行く金も余裕もない私には、自分の身には全く当てはまらない。

なお、解説では、《「忘却力」ということばを発明した人がいる》、と述べられている。 赤瀬川原平氏のことを指しているのだろうか。

私がジジになった日

書評とは無関係だが、私事を記そう。

私がジジになった日は明確だ。2019 年 6 月 16 日である。なぜその日なのかと言われれると、 まだその理由を話したくはない。とにかく、この日を境に、私はジジになった。 そんな1日でジジになってしまうのか。あるいはなれるものなのか。 自分でもそんな気がしていた。1日でジジになってしまったのだが、 それを受け入れるには時間がかかるのではないか。 事実、時間がかかった。その受け入れを完了したのが、2019 年 9 月 1 日だった。このとき、 私はジジを受け入れる儀式を行った。ちなみに、この日は防災の日でもある。 自分がジジであることを受け取って、防災になればよい、と思った。

書誌情報

書 名 日本ジジババ列伝
著 者 清水 義範
発行日 1997 年 11 月 3 日
発行元 講談社
定 価 590円(本体)
サイズ ページ、文庫判
ISBN 4-12-202983-X

まりんきょ学問所読んだ本の記録清水 義範:日本ジジババ列伝


MARUYAMA Satosi