概要
「はじめに」から引用する。
(前略)買い集めた品物を手に取って眺める。すると頭の中にいろんな話題が浮かんでくる。目の前にある実物が、わたしの思考になにか働きかけるのか。
感想
よびかけのことば
p.58 は「ヂャーヂャと呼んで」というコラムだ。著者は、行きつけのラーメン屋「オニイサン」と呼ばれていることを紹介し、そのオニイサンというのを、やめてもらえないだろうか。
と嘆いている。
そして、少し後で、見ず知らずの人に声をかけるとき、日本語は難しい。一方で外国語によっては、便利な表現がある。
として、ソビエト時代のロシア語についてある表現が広く使われ、便利だったことを紹介するとともに、
時代がかわってその表現は使わなくなったことが述べられている。
現在では、そのある表現の代わりに何を使っているのか著者は知らないこと、そして、元来お互いに名前で呼び合っている世界なので、なくても別に困らない、と結んでいる。
うーん、見ず知らずの人に声をかけるのは、現在のロシアではどうすべきなのだろうか。きっと、見ず知らずの人がいたならば、名前をお互い明かして、それから名前で呼びかわす、ということなのだろう。
なお、私は、名前で声をかけるのが苦手だ。声をかけるのが苦手と言うのもあるが、人の名前をすぐに忘れてしまうのだ。 どれくらい忘れるかというと、月に2,3回会う人がいて、それを3年間続けていても名前がすぐに出てこない人がいる、といえばわかってもらえるだろうか。
ファッション
p.74 の「旧体制のジャケット?」から引用する。
ファッションになんか、まったく気をつかっていないように見えるかもしれない。確かにブランドには興味がないし、お金もかけない。それでも、自分なりの方針はある。
たとえば、ブルージーンズは穿かない。あれは若者の文化だと信じているので、三〇歳の誕生日に、すべて処分した。
シャツは、襟のついたものを必ず着る。Tシャツだけの中年男は、下着姿と同じ。
短パンで外出しない。いい年をした大人の男が、毛脛を出して歩いているのは、見苦しい。
他人がどんな格好をしようと構わないが、自分にはこのような一定の制限をかけているのである。
著者も言う通り、これらは著者自身にかけている一定の制限である。偉い、と思う。そして、自分を恥ずかしいと思う。 私は、今でもブルージーンズを穿くことはある。特に、誰とも会わない、散歩のときはいつもだ。著者と同じように、若者の文化だと思っているが、まだ穿けるものを処分するのに忍びないのだ。 困ったことに、ジーンズは5本もある。穴が開くなりしたら処分するだろうが、そんなに激しい運動をすることもないので穴が開くにはかなりかかるだろう。多分死ぬまで5本全部を処分しきれないだろう。
Tシャツで外を歩くこともある。特に春から夏にかえてはそうしている。Tシャツだけの中年男は、下着姿と同じ、と言われれば返す言葉がない。
短パンで外出しない、というのは守っている。ただし、マンションの敷地内は例外としている。つまり、ごみを出しに行く、新聞を取りに行く、などの場合は短パンで外に出てしまう。これをどうしようか。悩んでいる。
書誌情報
| 書名 | 外国語の遊園地 |
| 著者 | 黒田龍之助 |
| 発行日 | 2023 年 2 月 10 日 |
| 発行元 | 白水社 |
| 定価 | 2200 円(本体) |
| ISBN | 978-4-560-08962-0 |
| その他 | 草加市立図書館で借りて読む |