金子一朗:挑戦するピアニスト 独学の流儀

作成日: 2009-12-15
最終更新日:

概要

独学でピアノを極めるために会得してきた数々の流儀を惜しげもなく提供する本である。 今までの職業ピアニストからは異端、常識破りとされる主張が、その根拠と共に正当化されている。 論調としては、やみくもに練習するより曲の分析を重視する立場をとる。

感想

全体的に

正直な感想は、本当に驚いた、ということである。 私は著者、金子氏との面識はないが、アマチュアピアニストで上を目指す人は何人か知っている。 その人たちの弛まぬ努力が活字化されると、金子氏の主張や意見になるのだろう。

もう一つ驚いたのは、インターネット上を見る限りこの本を賞賛する人が多い、ということである。 これは、私がケチをつけようとして言っているのではない。 この本は高度だから、(少なくとも高度な曲を例にとって説明している)、 このような高度な曲を弾くアマチュアのピアニストがけっこうな数存在する、ということに対して驚いている。

私はというと、本書に引用されている曲は8割程度弾いたことがあるが、もちろん人様にお聞かせするほどの腕前ではない。 ただ、これらの引用曲はほとんど難曲といってよい。全音ピアノピースのEからF(現在のグレード)、 あるいは全音ピアノ過程の第5課程から第6課程の上級用である。

私にとっては、知らない話、当然の話、耳が痛い話、その他いろいろな話が満載であった。 もっとも、私にとって触れて欲しいが書かれていない話もある。そのあたりはおいおい明らかにしよう。

索引がない

この本の内容はよいのだが、もったいないことに索引がない。また同様に、譜例一覧もない。 譜例一覧があれば、この作曲家のどんな情報がどこにあるか、人目でわかる。 この譜例一覧がなくて困った例をあげよう。第IV章 陥りやすい罠 の章、 7 レパートリーが増えない という節のp.152 のほぼ中ほどの行に、こうある。

(<マゼッパ>は)音楽的に得るものに比べ、運動による困難の度合いが大きすぎる。 一方、演奏が困難であっても、前述の例に上げた、フランクの《前奏曲、コラールとフーガ》のクライマックス部分は、 音楽的な困難さが理由となって技術的に困難になっている。

ここで、前述の例、というのがわからない。おそらく読んでいるはずなのだが、と思い再度読み直してみると、 p.117 に例示されていた。見過ごしていたのだ。ここは確かに難しい。 私はクライマックス部分、と聞いてコーダでロ長調に転調した最後の部分を思い浮かべていたので、 金子氏のいうクライマックス部分を私は誤認識していたわけだ。ただ、索引があれば、 という思いは続いている。私が作ってもいいほどだ。

シューベルトのソナタ番号

シューベルトのピアノソナタは、通常調性と D 番号で呼ばれる。めったに通番や作品番号は用いないはずなのだが、 p.144 の本文には、シューベルト《ピアノ・ソナタ 第4番 イ長調》とあり、楽譜のキャプションでは、 シューベルト:ソナタイ長調 Op.120 第1楽章 第21小節~ とある。私の感覚では、 ピアノソナタイ長調 D664 に統一したい。

曲の性格は調性で決まるか

金子氏の主張には概ね共感できるが、一つだけ私が解せないのが、p.241の曲の性格は調によって相当のところがわかる という主張である。ハ長調を中性として、シャープが増えていく(=フラットが減る)と明るさが増える、と書かれている。 逆に、フラットが増えていくと曇る、と説明している。

この主張だと、嬰ヘ長調と変ト長調の違い、嬰ニ短調と変ホ短調の違いをどう説明できるか、ということになる。 嬰***は明るく暖かな雰囲気、変***は曇って落ち着いた雰囲気、ということであるが、どうだろうか。 たとえば、バッハの平均率第1巻第8番は、前奏曲が変ホ短調、フーガが嬰ニ短調で書かれていることを初めて知った。 (私が使っている版は、フーガも前奏曲と同じく変ホ短調だった)。 これって、どうなのだろうか。この問いかけは、バッハに対するものである。

また別の疑問もある。鍵盤楽器は通常平均率で調律されているならば、明るい感じと曇る感じというのはなく、 調を変えても響きとしては同じではないだろうか。 ピアノの調律は完全な平均率ではない。調律師の技術と感性による音の割り当てによって、 響きを制御することもできる。その結果、調性による響きの明るさや曇りの程度は生じるだろう。 それは単純なシャープやフラットの数で決めるというのは考えにくいことである。

シャープが多いと明るくなる、というのが弦楽器のことならばわかる。シャープ系(1つから4つ)はヴァイオリンなど、 弦が低いほうから G, D, A, E と並んでいるので隣同士の完全五度で楽器が共鳴しやすいからだ(ヴィオラ・チェロは C, G, D, A, の順でやはり隣同士が共鳴しやすい。 コントラバスは E, A, D, G で隣どうしは4度であるが、やはり共鳴はしやすい)。 これがシャープが多すぎたり、フラットが多いと曇る。 バーバーは、有名な弦楽のためのアダージョで、その曇りを出すためにフラットを5つ並べた。

一方、管楽器は楽器の構造上、主にフラット系の音が出しやすいだろう。そのときは、逆にシャープ系の音が曇るのではないか。

もし金子氏の主張に意味があるとするならば、それには仮説が必要ではないか。 どのような仮説かというと、まず作曲家が弦楽器の音色に親しんでいること、 シャープが多いと明るくフラットがあると曇る、と弦楽器の作品で感じていたこと、 その結果、作曲家の感性が楽器の種類によらず、明るい曲を書きたいときにシャープ系を選び、 落ち着いた曲を書きたいときにフラット系を選んだ、ということである。 われながらどうも腑に落ちない説明だが、そうとでも思わないと納得できない。

金子氏の主張からは離れるが、特定の作曲家には思い入れのある調がある、という議論がある。バッハのロ短調、 モーツァルトのト短調、ベートーヴェンのハ短調などがその例である。しかし、バッハのロ短調はそんなによいものだろうか。 バッハのロ短調で思い浮かぶ曲には2種類ある。

これらは傑作、あるいは傑作に近いできばえと思う。その一方で、鍵盤楽器群の中にはそれほどでもないのがある。

これらは傑作とは思えない。ほかにもロ短調で探せばあるのかもしれないが、調性は一つの手がかりとなるとはいえ、 それを超えるものにはならないような気がする。

書 名挑戦するピアニスト 独学の流儀
著 者金子一朗
発行日2009年11月24日
発行元春秋社
定 価2300円(本体)
サイズ
ISBN978-4-393-93778-5

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MARUYAMA Satosi