副題は「日本の国力が地に落ちる」
日本語礼賛本に対して、私は眉に唾をつけながら読むようにしている。 それは、私が日本語しかできないからだ。 身内ばかりほめると悪いところが見えなくなってしまうからだ。 もちろん、英語礼賛本に対しても同じような立場をとる。 これは、私が日本語しかできないからで、
本書の p.184 では、日本の普通の人々の読解力と数的思考力が(OECD 調査で) 他国を大きく上回っていると述べている。 その理由が p.185 で述べられていて、日本語の表記システムに音読みと訓読みがあるからだとして、 鈴木孝夫氏の論を引いている。鈴木氏の論はこうである。たとえば、このようなことばを出している。
英語話者でも左の言葉の意味はわからないというが、右の言葉なら日本人ならわかる、 なぜなら文字が意味を表しているからだ、ということだ。これが知識レベルの高さにつながっているというのだ。
さて、この鈴木氏の論を引かれると私は眉がむずがゆくなる。まず、英語話者が左がわからない、 というのはこれはギリシャ語とかラテン語に由来するものだからだろう。英語話者が、左の単語の言い換えればいいだけだと思う。 (最初の例なら monkeyperson とか apeperson とかいえばいいのではないか)。 逆に、英語ならやさしいのに日本語だと難しいというのもある。不条理、ということばはものものしいが、英語では absurd である。 数学の代数的構造である群、環、体はそれぞれ英語では group, ring, field である。看護や介護で外国人参入の障壁になったのは、 臥床、眩暈、臀部、褥瘡、心窩部、嗄声などの難読漢字だった。 本当にどちらがどうとかいうことをいうのは結構な難題だろう。これらの例は基礎語彙ではないからだ。
そして右がわかるというのは日本人でなくとも漢字利用者(あえて話者とはいわない)ならば当然の話だ。これには音訓の有無は関係ない。漢字の優位性をいうのもありだと思うが、これにはいろいろな反論がある。「漢字が日本を滅ぼす」という、 これまた物騒な題名の本もあるほどだ。
書 名 | 英語化は愚民化 |
編 者 | 施 光恒 |
発行日 | 2015 年 10 月 26 日(第 5 刷) |
発行元 | 集英社 |
定 価 | 円(本体) |
サイズ | 254p 18cm |
ISBN | 978-4-08-720795-8 |
NDC(9版) | 830 英語 |
その他 | 集英社新書 |
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