忙しいということ |
作成日:2001-03-27 最終更新日: |
私はよく、「リーダーはあまり忙しそうにするな。暇なようでいろ」という忠告を受けた。 その当時は意味がわからず、どういうことがいぶかしく思っていた。 私はのろまであったから、結果としては暇そうにみえたのかもしれない。 しかし、その真意がわかったのは後になってのことである。
「暇なようでいろ」ということの真意は 「部下が抱えている問題点をリーダーに報告しやすいような雰囲気にしろ」 という意味であった。 私は報告を受けてもうろうろするだけで、あまりいい結果を生み出したことはなかったと反省している。 それどころか、プロジェクトの最後には、私への報告はほとんどなかったように思う。 どうも堅苦しくみえたのか、 あるいはもう最後に諦められてこいつには報告しなくていい、 報告しても埒があかないと思われたのだろう。 ともあれ、態度でプロジェクトの雰囲気は変わる。鷹揚でなければならないときと、 厳しくあたるときといずれもあるのだと今は思っている。
プロジェクトは、まずいところほど後になって出てくるものである。 わたしなど、リーダーでいながら報告を後回しにしたり、隠していたりしたことが何度もあった。 品性がよろしくないことを痛感した。
さて、リーダーは報告を受けやすくするのも必要だが、 それにもましてうまく情報を取り出す術にも長けていなければならない。 嗅覚と称したのは、なにかメンバーに問題がありそうだと感じる能力のことである。 そして、触覚というのは問題を明らかにする能力のことである。 わたしはこの2つの感覚がなかったために、プロジェクトをうまくまとめることができなかった。 そして、私の上司にあたる方がこの感覚があったために、ぐずぐずする私がかかえる問題点を 明らかにすることができたのである。
こんど、この古巣に用があっておじゃまする。うまく恩返しができればいいのだが。