§160 no more than 型の構文

作成日:2010-06-05
最終更新日:

クジラ構文

A whale is no more a fish than a horse is.

いわゆる「クジラ構文」である。これにはいろいろな批判が寄せられている。

訳についての批判

一つは訳についての批判である。通常の訳は「クジラが魚でないのは、馬が魚でないのと同じことだ」 だが、これでは意味が通じない。あるサイトによれば、 「クジラが魚だというのは馬が魚だというのと同じだ」である。含意は「クジラが魚だったら、 馬だって魚になっちまう、そんなことはありえない。だからクジラは魚ではない」ということだ。 通常の訳では、そんな反意を含んだ強烈な否定の勢いがそがれてしまう。 than 以下に来るのは、共通了解である。馬が魚でないのは万人の共通理解である。それをもとにして、 クジラは魚ではない、といっているのだ。実際に使われる場面では、than 以下はもっと内輪の暗黙の共通理解になりうる。 あるいは、共通理解でも明らかに不可能な文が出たりする。

例文の適切性に対する批判

さらなる批判は、no more ... than の例文としてクジラを出すことに向けられる。 大西泰斗氏の 英語教育エッセイ〈数量表現周辺部1〉鯨の悪夢 (www.eigokyoikunews.com) にある。 氏が例示する豊かな感情が宿っている文についてはリンク先をみてもらおう。

背理法としてのクジラ構文

「訳についての批判」のところで述べたことを検討する。 真理を共通理解から導くという意味では、一種の背理法といえるのではないか。クジラ構文を次のように見てみる。 「クジラが魚であると仮定しよう。すると、(クジラは哺乳類に含まれるのだから、同じ哺乳類に含まれる)馬も魚である。 しかるに、明らかに馬は魚ではない。これは最初のクジラが魚であるという仮定と矛盾する。したがって、クジラは魚でない」

かえって面倒なことになってしまった。先の推論ができるためには、クジラや馬、哺乳類、魚類といった概念の分解度合まで立ち入らないといけなくなる。 こんなにこんがらがるということであれば、クジラを引き合いに出す例文は不適だろう、という大西氏の批判もうなずける。

クジラ構文の今

インターネットで調べてみると、クジラ構文は「007 ロシアより愛をこめて」の原作や、オバマ大統領の就任演説にも出てくるという。 だから、昔こそ「クジラ構文」という名前で有名になってしまったが、今では適切な例文を自分で作ってみるのがいいかもしれない。 たとえば、「男はつらいよ」第1作に出てくる有名なせりふはどうだろうか。

俺とお前は別の人間だぞ。早え話が、俺がイモ食えばテメエの尻からプッと屁が出るか?

これをむりやり、「俺とお前が同じ人間でないのは、俺がイモ食えばテメエの尻からプッと屁が出ないのと同じである」 と変形してみれば、クジラ構文が使えそうだ。しかし、寅さんのイキなセリフに英語の構文が合うのかどうか、疑問である。

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MARUYAMA Satosi