フォーレ : 夜想曲第6番変ニ長調 op.63

作成日 : 2020-08-18
最終更新日 :

1. フォーレの夜想曲第6番の位置

フォーレのなかでは比較的なじみやすく、また美しさも格別である。 20 世紀後半から取り上げられることが多くなった。 私は 1982 年のころから弾き始めた。学生時代、腕の立つ先輩の実演を聴いてノックアウトされ、 私も及ばずながらそのときの感動を伝えたいと思ったのが練習のきっかけである。 その後は何度となく弾いてきたが、最近は全く弾いていない。

2.形式

フォーレの夜想曲の形式について、前期の作品は三部形式であり、 中期から後期の作品は三部形式から拡大したり変化したりしている、とよく言われている。 実際、第1番から第5番まではほぼ三部形式といっていいが、第6番はもう少し大規模となっている。 具体的には、第1番から第5番までは A-B-A' の形式だったのに対し、 第6番はA-B-C-A'と拡大している。 ここで、A は 1-18 小節、B は19-62 小節、C は 63小節から 114.5 小節、 A' は 114.5小節から133 小節である。ここで、C と A' の間を 0.5 小節単位としたのは、 そういうようにしか区切れなかったからである。

2.1 速度記号の謎

さて、私はこの作品を上記のように区切って当然と考えていた。

そんなとき、畏友、hasida 氏がこの曲を練習していることを氏のホームページで知った。 そのページ 2020年8月: フォーレのノクターン6番 (www.katch.ne.jp) を読んだあと、恥ずかしく思った。速度記号を私が全く意識しなかったからである。 氏の疑問を一言でいえば、テンポ指示が良く分かりませんということであり、 その理由がまことに言われてみればもっともである。ぜひともリンク先でその内容を見ていただきたい。

さて、氏の疑問を私なりに理解しようとし、また自分なりに何か積極的に提案したいと考えた。しかしその結果は、 「私もよくわかりません。ただ、自分の感性で弾けばよいと思います。」 という、なんとも煮え切らないものであった。以下、その煮え切らない結果を夏休みの自由研究としてまとめる。

まず、本曲のそれぞれの部の特徴を次の表にまとめた。

拍子速度記号メトロノーム指示拍子の変更速度の揺れ備考
A3/2Adagio四分音符=76なしなし注1
B3/4Allegretto molto moderato四分音符=761度のみなし注2
C4/2Allegro moderato二分音符=84頻繁頻繁注3
A'3/2(なし)(なし)なしなし注4

2.1.1 A 部の速度記号

Aの部分は次の楽譜の通り始まる。以下、特記なき限り、IMSLP にあるアメル版で引用する。 なお、手持ちの春秋社版では、メトロノーム指示のカッコはない

氏は、《Andanteでいいように思いますが Adagio でも大きな違和感はありません》という。 私は Adagio でよいように思っていたがその根拠はない。 私が罠に陥りそうになったのは、四分音符 = 76 の指示である。A 部分は 3/2 拍子であり、 1 拍は二分音符である。したがって半拍は四分音符である。 楽譜の通り、半拍が三連符で細分化されている。 四分音符は三連符だから、三連符分の長さが一分間に 76 回、という意味である。 私はこの指示を、(三連符に分かれた八分音符)*2音符の音価をあやうく四分音符の音価と勘違いするところだった。 もしそのような勘違いをしたままホームページを公開したら大恥をさらしていただろう。

音源も用意した。速さは四分音符 = 76 であるが、下記のラジオボタンで速さを変えられる。

40 42 44 46 48 50 52 54
56 58 60 63 66 69 72 76 80 84

なお、3/2 拍子の四分音符の三連符では速度の単位は四分音符を単位にとるのが自然だが、 これが八分音符3個分を最初から単位とするような拍子では当然、 速度の単位は四分音符ではなく付点四分音符が単位となる。 フォーレの夜想曲第7番がそのいい例である。詳細は割愛する。

2.1.2 B 部の速度記号

次にBの部分を見てみよう。次の楽譜で、嬰ハ短調に転調したところから始まる。 このアメル版ではメトロノーム指示はないが、 春秋社版ではカッコ内に四分音符 = 76 の指示がある。

音源も用意した。冒頭と同じように、速さを変えて再生できる

56 58 60 63 66 69 72 76 80 84

どうだろうか。B の部分に入ると遅く聞こえるのではないだろうか。 というのも、A も B も四分音符の長さは変わらない。にもかかわらず、 A の部分は四分音符を3つに割っている一方、 B の部分は四分音符を2つに割っているから、 割った単位としての音符の「刻み」は A のほうが B より短い。 メトロノーム指示通り弾くと、 B は A より遅く聞こえるのではないかと思う。

さて、B 部の末尾近く、57 小節で A の 15 小節からのリフレインがある。 54 小節から57小節の楽譜は次のとおりである。

これを続けて聞くとどうなるだろうか。音源を用意した。 なお、音源は 53 小節から 57 小節である。

先ほど「BはAより遅く聞こえるのではないか」と述べた論理でいくと、 56小節を過ぎて57小節に入ったとたん速く聞こえるのではないかと思う。

さて、氏はB部について《四分音符76のままなのに、指示は Allegretto molto moderato です。 メトロノーム的には維持で、表情としては加速の指示、ですが、 私としてはむしろテンポを落としたいところです。弾きにくくなるし。》 と述べている。一方、私の疑問は、 「メトロノーム指示を維持すると刻みは遅く聞こえる。 しかし速度記号はむしろ加速の指示になっている。なぜか」 とまとめられる。なお、氏が 《この指示のままで3/2拍子に戻ったところで、Adagio の最後と同じ音型になりますが、 勿論ここは Adagio と同じテンポで弾くのでしょう、 Allegretto molto moderato の指示なのですけど。》 と述べているところは、疑念も含めて私も同意する。

2.1.3 C 部の速度記号

そして、C 部である。C 部の冒頭である 63 小節と 64 小節の前半のみを掲げた。 なお、春秋社版では、 カッコ書きで、二分音符 = 84 を記している。

二分音符 = 84 とした音源も用意した。ここでは、63 小節から64小節までを用意した。

このあとで曲は Più moderato - Allegro - Più moderato と変わる。 そして、100 小節を迎える。

ここで氏はいう。 《最大の謎が、100小節目の Tempo I です。 これ、Adagio に戻れ、と言っていると見るのが文字通りの解釈ですが、 しかし音型は Allegro moderato と同じです。いくら何でも Adagio に戻すのは無理なので、 Allegro moderato に戻すのでしょうが、》と驚いている。 Tempo I (テンポ・プリモ)はイタリア語で、最初(曲冒頭)のテンポで、という意味である。 まずは、Allegro moderato の(メトロノーム指示は二分音符 = 84 )で音源を作った。

せわしなく聞こえるが、機械が作った音でペダルなどのサステインを全く利かせていないから、 仕方がないだろう。
比較のため、こんどは冒頭のテンポ(四分音符 = 76)に戻ったとして音源を作った。

これはさすがに遅すぎる。やはり、Tempo I は C 部の冒頭、と解釈すべきだろう。 そして、111 小節にくると、A 部の節が低音で再現される。 ここでは 109 小節の3拍めからの111小節までの楽譜を掲げる。

なお、上の楽譜にはないが、111小節は、𝅘𝅥=𝅗𝅥 de la mesure précéndente という指示がある。 これは最近の版にはあるはずだ。春秋社版には少なくともある。春秋社版は脚注で、 (* 前小節までの 𝅗𝅥 を 𝅘𝅥 で)と指示している。110小節までの𝅗𝅥 =84 を 111小節の𝅘𝅥 = 84 として脚注の指示に従った音源を用意した。ただし音源は、 110 小節の冒頭からである。

この後、速度を変化させる指示はない。 速度についての言及は、114 小節の dim. sans rall. のみである。 sans rall. は「遅くせずに」という意味である。 A の冒頭が114小節3拍めからイ長調で再現する個所も、 何等の速度に関する指示はない。すると、このイ長調は四分音符 84 で演奏することになるのだが、 ここは曲の冒頭が四分音符 76 という指示より速くなっている。どこで折り合いがつけられるのか。

曲の形式や音型だけからいえば、 100 小節の Tempo I とあるがここは、63 小節の Allegro moderato であるべきであり、 114 小節三拍めに Tempo I とあるのが合理的な説明となる。

合理性は低いが、別の説明もある。100 小節の Tempo I は本当に曲冒頭のテンポと見る。ただし、 ただし 111 小節にある四分音符と二分音符の関係を考慮し、 100 小節の Tempo I を二分音符 = 76 と見る。 このとき、100 小節からのテンポが 63 小節の C 部の冒頭よりテンポが遅くなる理由に欠ける。

さて、こうした謎は解決できるのだろうか。

2.1.4 自筆譜との関連-冒頭は Adagio か

私がこの夜想曲第6番に関して現在参考にしている資料は次の通りである:

この速度記号の謎を考えるうえで、自筆譜を中心に考えてみたい。 もちろん、出版譜は校正を経て印刷されているのだろうから信頼がおけると思われるが、 作者の当初の意図を知るために自筆譜を検討するのは有益と考える。

まず、自筆譜で驚いたのは、冒頭の速度記号は Adagio ではなく、Andante だったことである。 筆記体なので読み取りにくいが、Adagio か Andante かどちらか選べと言われれば、 十人中九人は Andante と読み取るだろう。 念のため、同ライブラリーで公開している他のフォーレの自筆譜のうち、 前奏曲第6番と前奏曲第7番の速度記号の書体を確認した。どちらも Andante の単語が使われていて、 筆跡は酷似している。 氏が《Andanteでいいように思いますが》と述べたのは慧眼であった。 出版時に Adagio になった理由は定かではない。

フォーレが Adagio を採用している曲はピアノ独奏曲ではそれほど多くない。 夜想曲では第8番(Adagio non troppo)、同第9番(Quasi adagio)、 同第10番(Quasi adagio)がある。 大規模な「主題と変奏」では主題(Quasi Adagio)ほか、第6変奏(Molto adagio)、 第9変奏(Quasi adagio)がある。 ほかには前奏曲第9番(Adagio)が該当する。

室内楽では、エレジー(Molto adagio)、ピアノと弦のための四重奏曲第1番ハ短調第3楽章(Adagio)が典型例だろう。 歌曲ではかなりあり、牢獄(Quasi adagio)、歌曲集「イヴの歌」から第2曲「最初のことば」(Adagio molto)、 同じく第4曲「輝く神のように」(Quasi adagio)、同じく第9曲「たそがれ」(Adagio no troppo) ヴォカリーズ(Adagio molto tranquillo)などがある。 また、レクイエムのオッフェルトリウム(Adagio molto)、ピエ・イエス(Adagio)もある。

フォーレの典型的なアダージョは、刻みが拍の単位で和音(特に低音)が進むことにある。 エレジー、四重奏曲がこれに該当する。また歌曲も「牢獄」は典型例である。 夜想曲第6番のようにアルペジオが刻みを担って進むタイプの曲に Adagio はまず使われない。 夜想曲第8番は12/8拍子で、中音部が16音符の音階で縫うように進行するので、 Adagio non troppo は例外ではないかと思う。これだけ挙げたのは、 この曲にふさわしい速度記号は Adagio より Andante ではないかと思う。

なお、同時に確認しておきたいこととして、自筆譜にはメトロノーム指示がない。 また、冒頭の不完全小節における表情記号 dolce の指示は、 出版譜にあるが、自筆譜にはない。一方、11 小節の dolce は、出版譜にも自筆譜にもある。

ついでに、次の情報も掲げておく。 藤井一興・美山良夫(編・校訂):春秋社版 フォーレ全集[1] 夜想曲集の解説では、 ピアニストのマルグリット・ロンの記述の抜粋が各所にあるのでこれを引用する。 「長く発展させられてゆくこの素晴らしい歌に, Adagio という指示は的確な感覚をもっています。 メトロノーム記号の 𝅘𝅥 = 76 は,𝅘𝅥 = 60 に置き換えたらどうでしょうか。(後略)」

2.1.5 Allegretto molto moderato の意味

次に B 部の Allegretto molto moderato である。この速度記号は自筆でもこの通りであるが、 ここでも自筆譜にはメトロノーム指示はないことに注意する。氏が 《私としてはむしろテンポを落としたいところです。弾きにくくなるし。》 と感想を述べているところである。ここでは、刻みそのものは遅くなっていることを先に記した。

さて、Allegretto molto moderato という指示であるが、これは molto があることからして、 基本的には moderato であるが、それよりは「ちょっと Allegro」、すなわち Allegretto にして、 という意味ではないかと思う。これを確かに A の部分より速くなっているのだが、 なぜ弾きにくくなっているのに速くする指示を出したのかということである。 フォーレには中低音で裏拍のみを打つ曲が多い。このような後打ちのリズムの曲では、 フォーレは前に転びそうなイメージをもっていて Allegretto あるいは Allegro と書きたくなるのではないか、という仮説を私は立てた。しかし、 どうやらこれは見当違いのようだ。 第9番および第10番の夜想曲はあと打ちのリズムであるが Quasi Adagio であるからだ。 ほかにもあと打ちのリズムで Allegretto ではない曲が多くある。もう少し検証が必要なようだ。

なお、41 小節、自筆譜とアメル版には dolce の指示があるが、 春秋社版にはない。

B の部分の終わり近く、57 小節は A の終わり近くとほぼ同じ音型だから、 気分は Allegretto molto moderato ではなく、Adagio / Andante であるからだ。 しかし、印刷譜も自筆譜も、その変化を表す指示はない。

2.1.6 Allegro moderato 部の各種指示

C部は Allegro moderato であり、音型から見ても自然だろう。 変ニ長調からイ長調に転じたすぐで、自筆譜とアメル版には dolce の指示があるが、 春秋社版にはなく、かわりに強弱記号の p が置かれている。この不一致は不思議であるが、 その後の 72 小節ではすべての譜・版において dolce の指示がある。

速度記号に関しての自筆譜を見ると、84 小節の Più moderato と 86 小節の Allegro の指示はない。 88 小節の Più moderato の指示はあるが、100 小節の指示は 1ρ tempo と読める。 あるいは、右肩のひげはインクの癖でついてしまって、 1o tempo かもしれない。 この 1 の右肩にあるのはわからないが、常識的に考えて Tempo I (テンポ・プリモ)と同じだろう。 この Tempo I は、必ずしも曲最初のテンポとなるとは限らないらしい。 この「限らない」ということについてはどこかの楽典に書いてあったが、どの楽典か思い出せない。 証拠を得たら記しておく。なお、インターネット上でも、マーラーの交響曲第2番「復活」で、 《Tempo Iで常に冒頭のテンポに戻っていると,どうにもつじつまが合わない,という場面に何度か遭遇した》 ということが報告されている。

以降の速度に関する指示は、春秋社版のみにある、111 小節の 𝅘𝅥=𝅗𝅥 de la mesure précéndente と(つまり自筆譜とアメル版にはない)と、 そしてアメル版と春秋社版にある 114 小節の dim. sans rall. のみである。 sans rall. は rallendando せずに、という意味である。 この個所は自筆譜とアメル版は diminuendo とのみ記されている。

そして結局、114 小節の後半、冒頭のテーマの再現で速度に関する指示はない。 しかし、自筆譜とアメル版には dolce の指示がある。

2.1.7 dolce の出現個所

今まで速度記号に着目して各譜面の異同を調べたが、 そこから得た情報は乏しかった。一方、発想記号としてフォーレがよく用いる dolce が、 本曲でも各所に現れること、そして各種版でその出現個所が異なる。 この異同がこの曲を把握する上での一つの鍵となっているように思われる。ここで表にまとめてみよう。

フォーレの夜想曲第6番の各種版における dolce の出現個所
小節自筆譜アメル版春秋社版コメント
A1なしありあり不完全小節(アウフタクト)
A11ありありあり
B27ありありなし
B38ありありなし
C65ありありなし
C72ありありあり
C114ありありなし115小節のアウフタクト
C129ありありなし
C131ありありなしdolcissimo

自筆譜とアメル版では、冒頭を除いてすべて自筆譜を反映している。 アメル版で新たに冒頭に dolce が付け加えられた理由や、 春秋社版でかなりの dolce が省かれた理由はわからない。 これらの dolce の個所は、高声部のメロディーを長く、のびやかに歌う個所で出てくる。 そして特に、中声部が細かな動きをしている時に新たに、あるいはしばらくの休みから復活したときに、 登場した高声部のメロディーを強調したいときに置かれているように思える。 そこで、大きな疑問の一つの手がかりが得られるように思える。 114小節で A 部に戻るときに Tempo I があるべきなのにそれがない理由は私の考えは次の通りだ。 音型も一つの理由にあるだろうが、それ以上に発想記号 dolce を置くことで、 特に速さにこだわることなく、旋律線を柔らかく歌うことが第一だということを伝えたいからではないだろうか。 自筆譜の冒頭に dolce がないのにアメル版で dolce が付け加わった理由は不明だが、 ゲラ刷りを見てフォーレが直させたというのが一つの仮説である。 仮説を補強する証拠として、自筆譜に見られる細かな臨時記号のミスはアメル版で修正されているからだ。

もっとも、アメル版(おそらく初版)でも直っていない見落としがある。 その最たるものが 111 小節の音価に関する注釈で、 アメル版にもないことがわかる。これに関しては、資料の「藤井一興・美山良夫編・校訂: フォーレ全集1 夜想曲集」の作品と演奏 (6ページ右段)から引用する。

1922 年 7 月 23 日付けのフォーレのロジェ=デュカス宛てへの手紙には次のような一節がある。
「[ピアニストのロベール・]ロルタは,以前私に夜想曲第6番の終り近く, プリモ・テンポになるところのメトロノーム指示が誤っていると指摘したことがある。 これでは,このパッセージが本来より2倍速く演奏されてしまう。」
実際,自筆楽譜や初版には,1925 年頃ロジェ=デュカスによって一部訂正された夜想曲集 (第1~8番,アメル社)にある‘𝅘𝅥=𝅗𝅥 de la mesure précéndente’という指示はみられない」

この辺りは、けっこう当時速度記号に関してはいい加減だったのかもしれない。言い方を変えれば、 演奏者がよきにはからって演奏することで事なきを得ていたのかもしれない。

2.2 リズムの謎

(準備中。B の部分が 3 拍子なのに 4 拍子のヘミオラがはめ込まれているような感覚がするのはなぜか)

なお、拍子の謎は、夜想曲全体のページに書いた。

3. 誤植

3.1 勝手に直した誤植

あるとき、とある会場でこの曲を弾くことになって、 春秋社版の譜読みをしていた (私の最初の譜読みは18歳のころ、インターナショナル版であったが、 この版はもう手許になかった)。 すると、左手のアルペジオで一ケ所おかしいところがあったので、 これは音楽上こうでなければならないとして直して弾いていた。 あるとき、私がこの曲を弾くということをKさんに伝えた。K さんは私淑するピアノの師である。 すると K さんは聞きについていくというのである。 場所は千葉ニュータウンのほうである。 二人は電車に乗った。 私は行きの電車の中で問題の春秋社の箇所を指摘した。 するとKさんも同じ楽譜をもっていてどれどれとあけてみた。 なんと、Kさんのほうの例の箇所は私の想定の通りに直っていた。 Kさんの持っていた版の「刷」が多少後だったからだろう。(2010 年ごろ記す)

この誤植は春秋社の初版にのみ見られる。 具体的には、102小節の左手アルペジオが Fisis-Gis-Dis-Fisis と誤っている個所だ。 正しくは Fisis-H-Dis-Fisis である(Fisis の三全和音)。

3.2 誤って重変記号をつけた誤植

109 小節右手高音が重変イ Ases と誤って印刷されている。アメルの初版が該当する。 正しくは As である。右手はアルペジオも担っていてそこは Ges なのだが、 As と Ges 両方とも(調号で何もつける必要がないのに親切の)変記号が付与されている。 誤った印刷は、2つの異なる音にかかる変記号がどちらも A の音にかかるように段が同じになっている。 残念なのは、この誤った版によって録音された音盤があることで、 この場所にそぐわない短二度の音が聞こえてしまいがっかりする。

3.3 誤って本位記号をつけた誤植

76小節、第1拍め裏、右手で弾くF は、正しくは Fis である。これは春秋社の初版にのみ見られ、 アメルの初版は正しい(本位記号♮がついていない)。

3.4 本位記号をつけ忘れた誤植

57小節、最後の音から2番目、右手の[dis-his]は、正しくは[dis-h]である。 ロ音には小節冒頭の2分音符で#がついているので、最後の和音で♮をつけて#を外さないといけない。 ここは普通手なりで正しい[dis-h]を弾くから実害は少ないと思うが、 音型が酷似している 17 小節と比べて(こちらは最初の h 音は最初から本位記号がついている)、 校訂者が見落としがちなのかもしれない。ちなみに、フォーレの自筆稿でも his である。 楽譜はアメル社のものである。

3.5 珍しい誤植

4. 旋法

4.1 移調の限られた旋法

2ch ( 現在は 5ch )で、この曲の Allegretto Molto Moderato (シャープ 4 個の個所)が、 イ長調ではなくて MLT2 ?という指摘がなされている。 ここで MLT2 とは、フランスの作曲家であるメシアンが提唱した 「移調の限られた旋法 modes à transpositions limitées」 (頭文字をとって MLT ということがある)の第2番のこと(MLT2)である。 この MLT2 は、音階に全音と半音を交互に上昇・下降させることによって得られる。 MLT2 では次のドイツ音名でのいずれかを「調」とみなし他の旋法に移ることを移調という。 シを H と、またシ♭を B と表記している点に注意。なお、(i)に誤りがあったので修正した (2020-08-19)。

  1. C, Des, Es, E, Fis, G, A, B, C
  2. Cis, D, E, F, G, Gis, Ais, H, Cis
  3. D, Es, F, Fis, Gis, A, H, C, D

実際に、このAllegretto Molto Moderato (シャープ 4 個の個所)の最初のフレーズはどうなっているだろうか。なお、ここは 3 拍子になっている。 数字の 4 , 8 はそれぞれ四分音符、八分音符を表し、| は小節の区切りを表す。

Cis4 His8 Cis8 His4 | Ais4 Gis4 E8 A8| Gis4 H4 Gis8 Cis8| B4 Dis4 Gis8 Dis8| Gis4 Dis4 Gis8 Dis4 | E4 Fis,4 D8 Fis8 | Gis

His = C だから最初は i でよいが、Gis - E - A - Gis の解釈がしにくい。 すると、むしろ次の MLT3 (移調の限られた旋法第3番)に 当てはめるのがいいかもしれない。

  1. C, D, Es, E, Fis, G, As, B, H, C
  2. Cis, Dis, E, F, G, Gis, A, H, C, Cis
  3. D, E, F, Fis, Gis, A, B, C, Cis, D
  4. Es, F, Fis, G, A, B, H, Cis, D, Es

MLT3 として考えれば、最初から Gis - E - A - Gis までが III で、 Gis - E - A - Gis 上記フレーズの終わりまでが II と解釈すればすっきりする。 つまり Gis - E - A - Gis が III と II の橋渡しをしている、と考える。

4.2 教会旋法

準備中

5. 演奏上の注意

5.1 音階

いつも困るのが104 小節、105小節の第1、2拍で左手が奏する音階。 必ずどこかでミスする。アマチュアの演奏でも結構ここでとちっていることが多い。 特にむずかしくはないのだが、1拍と2拍の間でフォーレらしい転調が起っているので、 手がそれについていけないのではないかと思っている。

5.2 和音とアルペジオ

準備中。要旨は、書かれていないアルペジオは極力減らすべきではないかということ。たとえば、 15 小節3拍め C#7の和音で、左手長10度の Eis を右手で親指でとり、右小指の Gis と同時に打鍵する。 そのかわり右親指の Gis は省略する。結尾フェルマータの D♭和音も同様。

まりんきょ学問所フォーレの部屋夜想曲(ノクチュルヌ、ノクターン)> 夜想曲第6番変ニ長調 Op.63


MARUYAMA Satosi