フォーレ語録

作成日 : 2002-02-21
最終更新日 :

1. はじめに

フォーレは控えめな人生を送ってきたが、当時の人の習慣からだろうが、書簡を多く残している。 また、語り継がれているフォーレの発言も味がある。 ここではそんな語録を少しずつ紹介する。

2.フォーレ語録

私にとって、芸術は、中でも音楽は、 この世に存在するものよりはるかに上の、 できるだけ高いところまで私たちを引き上げるために存在する。 今いるところから、人が歩んでいこうと考える地点に移るのは、どれほど難しいことか。 そして音楽が何の役に立つのか、何度も私は自問した。音楽とは何か。 私が表現するものは何か、どんな感情か、どんな考えか。自分がわからないものを どうやって表現すればいいのか。(1903 年 8 月 29 日、ガブリエル・フォーレ夫人宛)

(私は)秩序正しく仕事をするのが好きだ。 (1907 年 9 月 7 日、ガブリエル・フォーレ夫人宛)

夜想曲第6番をどんな美しい風景で作ったのかという質問に対して) シンプロンのトンネルの中で。

私がこの世を去ったとき、私の作品についてこう言われるだろう、結局こんなものだったのさ、と。 たぶん人びとは私の作品から離れていくだろう。悩むことも、悲しむこともない。 それは宿命だ。サン=サーンスの場合も、ほかの人の場合も、 忘れられる時が来る。そんなことは大したことではない。 私はできる限りのことをした。神よ、裁きたまえ。(息を引き取る前夜、息子たちに)

モーツァルトの曲はとりわけ演奏するのが難しい。 彼のみごとな清澄さは絶対の清潔が求められる。 ほんのわずかなミスがまるで白地に黒のように目立ってしまうのだ。 最近サン=サーンスが 音符がすべて聞こえるのが音楽だ、、 と言うのを聞いた。 もともと単純で自然だからなおさら単純で自然な表現が要求される。 言い換えればそう解釈して、 なんとかうまくやろうと思っている演奏者でさえなかなかそうはいかないのである。

この、モーツァルトに関する語録は小野様から頂きました。感謝します。

ぼくの父は一度もぼくと話をすることができなかった。... 両親によると、ぼくは子供のくせになんでも夢中になり、黙り屋だった。

「モンゴージにいたとき――だからずいぶん昔のことだということがわかるだろう―― 西風が吹く夕べにカディラックという村から聞こえていたあの城の鐘のはるかな想い出を, 私は《四重奏曲第2番》のなかで, ほとんど無意識に表現したように覚えている。 あの響きから,ほのかな夢想が――ほのかな夢想がすべてそ うであるように,文字通り言葉ではいい表せない夢想が生れるのだ。外的な出来事が,定かならぬ一種の想念―― それは本当は想念とはいえぬほどのものだろうが,喜びを見出しうるようななにかであることは確かだ―― のなかで私たちを麻痺させるということは,そうしばしばあることではないだろう。 存在しないものへの憧れ,たぶんそうだろう。そしてそれはまさに音楽の領域なのだ。」 (1906 年 9 月 11 日、ガブリエル・フォーレ夫人宛)

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MARUYAMA Satosi