まりんきょの部屋のはなれ(2001年9月)

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本掲示板閉鎖のお知らせ

 投稿者:まりんきょ

 投稿日: 9月24日(月)16時59分53秒

突然で恐縮ですが、
長い間(といっても一年間ですが)皆様の楽しいお話があった本掲示板を
2001 年 9 月で閉鎖することとしました。

既に後継の掲示板は次の場所に開設されていますので、今後はそちらを御利用下さい。ありがとうございました。


シュタルケル

 投稿者:まりんきょ

 投稿日: 9月16日(日)22時17分37秒

どんな演奏を聞かせてくれるか、楽しみだったでしょうに、残念でしたね。

かくいう私は、シュタルケルの音盤をもっていないことに気付きました。あれあれ。

たまたまつけたN響アワーでは、イングリート・ヘブラーがモーツァルトのピアノ協奏曲24番を弾いていました。老人力あふれる演奏でした。カデンツァは私の聞いたことのない曲想でした。ベートーベンのではないと思いますが、私も老人力がつきつつありますから本当のところはわかりません。

ヴォルフのセレナード、探してきます。


シュタルケル

 投稿者:Dai

 投稿日: 9月15日(土)23時59分28秒

チケットがとれなかったそうで、来週のN響定期のコンチェルトをキャンセルしたそうで。
シュタルケルじいさんを見たかったのに〜。

ヴォルフのセレナードなんてなかなかでした>N響定期FM放送。


いろいろな階段

 投稿者:まりんきょ

 投稿日: 9月14日(金)21時23分55秒

フォーレ自身の命名になる「和声的な階段」は
彼の曲のいろいろなところで出てきます。

pierre さんが綿密な解説を載せているピアノ四重奏曲第2番で、
その最終楽章のコーダにも使われています。
そのほか舟歌のいくつか、即興曲第五番に使われていることを
確認しました。
なにかいい結論を導きたいと思っているのですが...


和声の動かし方

 投稿者:Dai

 投稿日: 9月13日(木)22時25分54秒

私も「和声的な階段」、見事な表現だと思いました。

ピアノ四重奏第1番、終楽章のコーダもそんな感じで
ど しふらっと、 ら と下ってくところ、
どれみふぁそらしど と昇っていくところ
自在に和声を動かしているなあと感心してます。


和声的な階段

 投稿者:pierre

 投稿日: 9月12日(水)18時41分03秒

フォーレの10番の舟歌、読みました。「和声的な階段」!この言葉を見落としていました。
フォーレのあの独特の半音階、パターン化されているようないないような音の渦をどう表現してアプローチしたら良いのか、悩んでいたんです。美しい、力強い、それはわかっているもののそれをフォーレの世界にあてはめるにはどういう言葉を用いたら良いのか・・・

まりんきょさんの鋭さには相変わらず参ってしまいます。

「多くを語るのは中身がない証拠」とある人に言われたことがありますが、まりんきょさんのように、ツボだけおさえて全体を語る口調(文体)は、見習いたいものです。


思い入れ

 投稿者:まりんきょ

 投稿日: 9月 7日(金)22時51分00秒

私のセンスも変わっています。atyim さんのお話で改めて気がつきました。
ありがたいことです。

地球征服を企む方々のマーラーというのはどこかおかしくて笑ってしまいます。
音楽史上はワーグナー旋風がありましたが、せいぜいヨーロッパの征服だったということですね。


反戦丼

 投稿者:

笛吹き

 投稿日: 9月 7日(金)14時46分30秒

そういう丼はなんかいやですねえ。ひよことか、鳩サブレ食べるのも好きじゃないので。

ショスタコービッチは知らないけど、悲惨な場面や、恐ろしさが目に焼きつくような場面で、きれいな音楽がながれると、映像が音とともに頭に残ってしまって、あとでその音楽を聴いたときに、その映像までいっしょに思い出したりするのが、いやですね。

 戦争の悲惨さ、難病の苦しみなどを訴えたいとき、バックにそれらしい音楽をながすのって、よくあるんですが、情に訴えることじゃないだろう、ちょっとずるいなと思ってしまいます。

 ところで、子供が小さいころよく〇〇レンジャーとか、〇〇マンとか、〇〇ライダーとか見てましたが、他の星からやってきた地球征服をたくらむ方々の秘密基地や宇宙船などの場面では、マーラーがよく流れています。そういう方々の首領(なぜか女であることが多い)が「行け、行って地球人を恐怖のどんぞこにたたきおとすのじゃ!」などと大見得をきっている場面で5番なんかがかかります。

 じつは、そのころはそれがマーラーだって知りませんでした。数年前、リコーダー友達の車に乗せてもらったときに、カーステレオでかけていたのがどこかで聞いたあの曲でした。マーラーの5番!でも、聞くとなんかTVを思い出しておかしくなって笑ってしまうのです。


シュールな「罪」?

 投稿者:atyim

 投稿日: 9月 7日(金)05時15分19秒

これも政治と音楽の話というのとは違いますが、小さな罪と言えば
ラーメン屋でフォーレの音楽が流れてくるとか、「高級ホテル」の
トイレでショパンが演奏されていたり、また最も目立つのはテレビ
でのBGMの扱い、その他いろいろありそうです。

テレビでのBGMの扱いについては、私も少しは知っています。
あれはほとんどディレクターの恣意に任されているのです。昔の話で
恐縮ですが、昭和20〜50年代、初期のテレビではショスタコの音
楽はニュースのBGMの定番でした。殺人事件とか経済の大事件とか
に盛んに使われていました。放送局内の多少「センスのある人」が
レコード盤を選ぶのです。テレビを見ている方もそれで「センスある」
と思っていた。だから、この場合は「おあいこ」で罪はなかった?と
思うのです。
 昭和60年代から後、国民のセンスもうるさくなってきた。
テレビ局でもだいぶ「センス」を磨く必要が出てきた。たぶん今では
番組制作会社や電通とか、博報堂とか、そういうところでは小さなB
GMでも侃々諤々の議論の上でBGMが選択されているでしょう。
番組の場合はいまだにゆるいが、CM制作となるとかなり厳しい。

こんな話長くなりそうですから、ここで区切りをつけますが、要す
るに「センス」も罪も?歴史の中で動いていくものだと思うのです。
あるいは違う文化や国情にも左右されるものでしょう。純粋センス
主義、センス絶対主義なんていうものがあるとしたら疑問を持つ理
由の一つです。


反戦丼

 投稿者:まりんきょ

 投稿日: 9月 6日(木)21時34分16秒

後藤さんの御意見を読んで、いろいろと考えることが多くありました。残念ながらショスタコービッチの交響曲は聞いたことがないのですが、気持ちはよくわかるつもりです。
ただ、丼物(食い物)にたとえるとなると、後藤さん自身が強引な譬えとおっしゃるのをわかったとしても、私の実感とはずれてしまうのです。たぶん、音楽の聴覚と食い物の味覚(+視覚+嗅覚+触覚)という、五感の違いだけだとは思うのですが。

つい最近の例ですが、NHK の歌謡ショーを見ていたら、ヴァイオリン弾きが歌の伴奏をしていました。この人は五輪真弓の「恋人よ」の前奏を弾いたのですが、その前奏というのあバッハの無伴奏バイオリンパルティータ第2番ニ短調の「アルマンド」の序と「シャコンヌ」の序を妙な具合につなげたもので、しかもホ短調でした。運指をよく見ていなかったのですが、通常調弦でも、変則調弦でもさぞかし大層弾きにくかっただろうに、と同情してしまいました。
もうひとつ NHK ですが、「ちゅらさん」に出てくるヘンデルのアリアがについて、私の知り合いのオペラ通の人は「あのオーケストラの編曲はいただけない、気持ち悪い」とおっしゃっていました。

これら二つはまだ罪が軽いのだと思いますし、まず「反戦丼」の譬えとは関係ないとは思うのですが、
ひょっとするとこういうのが小さな罪かもしれないし、もしそうなると小さな罪が積み重なって「反戦丼」に相当する大事故が起こるのではないかと心配になりました。


感謝

 投稿者:まりんきょ

 投稿日: 9月 6日(木)21時30分46秒

例のページには kugi さんの名前を出してしまいました:-)。

「こんな終わり方」にたくさんネタを送って下さりありがとうございます。早速 kugi さんの投稿を掲載します。
掘り起こせばまだまだたくさんありそうですね。


反戦曲?

 投稿者:

後藤文彦

 投稿日: 9月 5日(水)08時03分59秒

音楽と政治の話とはまたちょっと違いますが、

 私は中学の頃、ショスタコの13番を初めてラジオで聴いた時に
何とも不気味ながらも実に美しい音楽だと思って気に入って聴いていた
ものですが(幸か不幸かロシア語も理解できないし)、実は、それが
バビヤールのユダヤ人大虐殺を扱ったものだと知ってからは、
純粋に「美しい」音楽としては鑑賞できなくなり、なんとも複雑な
気持ちになりました。

 また、ドキュメンタリーなどで、紛争で被害を受けた人々の悲惨な光景を写しながら
美しい音楽(これがまたショスタコの5番の3楽章とか)を背景音楽として
流されると、「音楽はやめでけろ」と思ってしまうことがあります(特にそれが、自分の
好きなバッハの音楽とかであれば尚のこと)。

 標題音楽だろうと作曲者の意図とは無関係に割と絶対音楽として鑑賞する
私にとって、戦争や虐殺の悲惨さを訴える手段として「美しい」音楽が
使われるのは、今一つ受け付け難いところがあります。

 強引に食物に譬えるなら、「反戦丼」という戦争の悲惨さを訴えた丼があったとして、
ご飯の上に、内臓や血を飛び出させながら悶え苦しんでいる人々をかたどった食べられる
人形がのっていて、味自体はとてもおいしい……という丼を「おいしく」味わいながら
且つそこに(調理者の意図である)戦争の悲惨さを感じ取らなければならないといった
感じでしょうか。

 その意味では、ペンデレツキの反戦曲とかは、実に恐怖心を煽るような
(13日の金曜日とかの恐怖映画でよく使われそうな)不気味で(私には)
「不快な」音楽で、なかなか作曲者の意図と表現方法が整合??してる希有な
曲かも知れない……

http://plaza22.mbn.or.jp/~gthmhk/piano.html


所有権

 投稿者:

kugi

 投稿日: 9月 5日(水)02時18分16秒

いや〜、ツマンナイネタなのでどっちかというと
明示せずそっと隠しておいてください(笑

「こんな終わり方」面白かったです。
早速ご提案。
「ロボコン」
「ファミコン」
「ポケコン」
「オフコン」
「レセコン」
「メコン」
「ホンコン」
「サイコン」
「カヨイコン」
「イッキュウニュウコン」


御活躍

 投稿者:まりんきょ

 投稿日: 9月 4日(火)21時52分42秒

kugi さんの御活躍は中小企業診断士関係のあちこちの掲示板で拝見しております。
おっしゃるように、PPM のネタ振りは kugi さんのものです。このネタがなければ悪魔の辞典のページは誕生していなかったでしょう。kugi さんにこの場で遅蒔きながら感謝するとともに、ネタが kugi さんのものであることを明示しておきます。
これからもよろしくお願いします。


こんにちは。

 投稿者:

kugi

 投稿日: 9月 4日(火)02時40分18秒

こんにちは。kugiと申します脱サラ君です。
突然お邪魔します。

サイトの中身を少し拝見しました。
精力的にご活動されてますね。
音楽の専門的なお話が多くて理解できず残念です。

あ、「悪魔の辞典」という面白そうなタイトルに惹かれて
覗いてみたんですが、あそこに書いてる「PPM」って、書いたのたぶん(笑


ご寛容に感謝

 投稿者:atyim

 投稿日: 9月 1日(土)17時45分09秒

限りある掲示板ですから、大事に扱いたいものです。
「かなり相容れないもの」なのは同感なので識者ではない私は控えます。
同じ質問が私のところ(HP)にもあり得るだろうと思いました。
音楽史の興味としては社会・思想史との関わりはとても面白いお話があり得る
だろうと思います。
 どこかで「歴史の中で音楽は一番遅れてやってくる」という言葉を読んだこ
とがあるような気がします。まりんきょさんが識者の意見を待ちますとおっしゃ
られるように私も待つことにします。  


政治と音楽

 投稿者:まりんきょ

 投稿日: 9月 1日(土)16時57分20秒

政治が音楽の邪魔になるかどうかはわかりませんが、かなり相容れないものではないでしょうか。ただ、政治を初めとする社会環境が触媒となって音楽に影響を与えることは無視できないし、その影響を考えてみることは価値があると思います。
ここらあたり一般論で、atyim さんが挙げている音楽家についてどのようにあてはまるのか(あるいはあてはまらないのか)は、識者の意見を待ちます。

あるところで聞いたのですが、いわゆる企業メセナが流行ったころ、企業が応援するゲイジュツ分野で一番(量か金かわかりませんが)多かったのが音楽、特にクラシックということでした。イメージの良さに加え、美術や演劇などと比べて、体制の批判から一番遠いところにある、と思われたのがその理由だそうです。


チェロ

 投稿者:まりんきょ

 投稿日: 9月 1日(土)16時56分48秒

剛守様

チェロは難しいですね。最初に練習した時は左手の指にたこができまくっていましたが、今はそこまで練習していないので指がやわらかくなってしまっています。

フランス音楽が好き、とのこと。同好の士がいることをうれしく思います。
演奏会の御案内ありがとうございます。時間が許せば聞きにいこうかなと思っています。


みなさんどうお考えですか?

 投稿者:atyim

 投稿日: 9月 1日(土)12時34分44秒

みなさんは、というよりまりんきょさんはどうお考えですか?
政治と音楽。

こういう話題を出すこと自体が、マナーの良くないことか、センスのないことか
あるいは非常識なことか、不快なことなのか。唐突ですみません。

 ショパン、シベリウス、バルトークの生涯、ボフスラフ・マルティヌ−の略歴
等々を知ると、「かわいそうな人」などと思ってしまうことがあるのですが、音
楽の中味とは外れる話になります。亡命者ならぬ我々のふだんの生活の中で政治
と音楽は全然別の話ですから。
 (ちょっと刺激的なことを付け加えると君が代の問題だけは身近でしょうか?)
私自身は政治と音楽が本当に無関係とは思いません。
しかし、政治「と」音楽の話のつもりがたいていは政治の話になってしまうもので
すし、音楽の話のじゃまになるんではないでしようか?


フランス音楽好き

 投稿者:

剛守

 投稿日: 9月 1日(土)11時53分34秒

はじめまして!大学でオーケストラのチェロパートにいます。まりんきょさんもチェロとピアノをなさるそうで。チェロ、難しいですよね、指の力が足りなくてなかなか上達しない…。さて、私どものオーケストラは定期的に演奏会を開いており、翌年1月にはフォーレの組曲「ペレアスとメリザンド」を演奏いたします。今までにも、フォーレのパバーヌ、サン=サーンスの交響曲オルガン付きや、ドビッシーの小組曲など、フランスものに多く取り組んどります。お暇でしたら、聴きにいらしてみませんか?

http://webs.to/todaiorch/

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