3.A列車で行こう

 
 一晩あけて、ニューヨークの朝。

 かなり北に位置するこの街は冬だとかなり寒いらしいが、刀舟が訪れた
5月中旬はとても過ごしやすい気候だった。

 マンションの近くにある「ハンター」(だったかな)という食堂で朝食を
済ませ、また部屋に戻ってその日の行動について相談した。

「わるいけどな、今日午後5時までに提出せなあかんレポートがあんねん。
それまで、案内とかでけへんわ。」

「ん、じゃあ一人で適当に歩いてるわ。」

「刀舟、大丈夫かなあ。野方とか行きそうやわ。」

…つまらないことを覚えている。(注:「野方へ行きそう」、というのは、昔
刀舟が道に迷ってJR中野へ行くつもりが野方へ行ってしまった故事をさす。)

「Mが買うてきたガイドブックと、この地下鉄路線図の入った地図持って行き。」

 そう言ってS吉が渡してくれたのは、あまり見かけない装丁の使いにくそうな
ガイドブックと、A2くらいはありそうな大きな地図だった。ふむ、これらが
あればなんとかなるかもしれない。

 ガイドブックをパラパラめくりながら、まだ時間のあるS吉が訊ねてきた。

「刀舟、どこ見に行くつもり?」

…考えていなかった。でも、そうだなあ。せっかくニューヨークに来たんだから…。

「そうやなあ。アポロ・シアターとブリル・ビルディング見に行ってみよ。」

すると、S吉の表情が少し曇った。

「…ハーレムか…。」

「…やばいん?」

「いや。まあ、あの辺はそうでもないと思う。スパニッシュと、イーストは
 止めた方がええけどな。危ないっていうかなあ。前、Mが来たときに一緒に
 『ソウル・フードでも食ってみるか』とか言って、あの辺行ってん。でも
 なあ。

 なんか、雰囲気違うからすぐに帰ってん。

………

「居心地悪いっていうかなあ…。なんというかこう、『ああ、僕たちよそ者
 なんです』って感じでなあ。一人で行くか?」

…そうなのか。でもなあ、どうせ異国だし。

「まあ、行ってみるわ。…カメラとか、そのまま持たん方がええかな?」

でかいスポーツバッグきり持っていなかった刀舟、カメラは剥き出しで
歩くつもりだったのだが、ちょっと怖気づいてしまった。

「バッグ貸したるわ。」

そう言ってS吉は、GIっぽいショルダーバッグを貸してくれた。これは
この旅行中、長い間借りることになる。

「ところで、ブリル・ビルディングって何?」

…知らなくてもしょうがないか。まあ、そっちはあとでいいだろう。

 多少の不安はあったが、昼過ぎまで一人でマンハッタンをぶらつくことに
なった刀舟、まず最初に地下鉄でイースト・ビレッジ周辺へ行ってみること
にした。レコード屋が沢山あったのと、『カフェ・ワ?』をちょいと見て
おこうと思ったのがその理由だ。そこらを適当にうろついて、また地下鉄で
北上してアポロ・シアターまで行けばいいだろう。

 S吉からプリペイド・カードをいくつかもらい、地下鉄でイースト・
ビレッジへ。ガイドブックに載っているレコード屋はほんの数件だったが、
このあたりを歩いているとその他にも沢山のレコード屋があった。ただ、
値段はいずれも普通、ついでに言うと品揃えも(僕的には)普通。とは
言え、しばらくレコードを買っていなかった反動からか、絶対欲しいと
いうわけでもないのに買ってしまったものもあった。

 最初に入った店屋は、妙にラヴィン・スプーンフルのアルバムが多かった。
値段は普通だったが、それでも少し安めのものがあったりしたので、数枚
購入。さらに、ウォーの『ギャラクシー』シールド盤発見。それほど安くない
値段だったので、どうするか少し迷った。アナログ盤では持っていなかった
けれど、これはシールドに拘らなければ日本でもっと安く買えるだろう。
それに、どうせシールド破いちまうし…。

 そうは思ったものの、ちょっと捨てがたかったのでレコード箱の上に置き、
そのまま隣の箱を物色していた。すると、近くにいたおっさん(30〜40くらい)
が声をかけてきた。

「そのアルバム、買うのかい?」

「?これ、欲しいんですか?」(この人が買うんなら、譲ろうと考えながら。)

「いや。そうじゃないんだけれど。そのアルバム、聴いたことはあるかい?」

「ええ。大好きですよ。」

「知っているかい?『ギャラクシー』には、ミックス違いがあるんだ。」

「(にやり)そのシングル盤、持っていますよ。」

するとそのおっさんは、満足そうな笑みを浮かべてこう言った。

「ウォーは有名なんだな!」

もちろんさ。

 そんなことがあったので、このアルバムは買っておくことにした。値段では
計れない思い出が、この盤1枚に生まれたのだから。

 さらに数件のレコード屋を巡った後、『カフェ・ワ?』へ到達。これがあの
『カフェ・ワ?』なのか単に同じ名前の店なのかは知らないが、昼なので閉まって
いて中に入ることはできなかった。歩いている途中にブルーノートもあったが、
これも当然閉まっている。

夜にでも来た方が面白いんだろうけれど。

「…さて。そんじゃ、アポロ・シアターへ行くかな。」

 道端の露店でシシカバブを買って食い歩きながら、ハーレム方面へ行く地下鉄
の駅を探す。地図で見ると…えーと、この大通りの交差点付近だな。そう思って
その通りまで行ってみたのだが…。

「…?駅、どこ?」

 おかしい。地図でみると確かにその交差点付近なのに、まるで駅らしきもの
が見当たらない。

「もしかして、脇道とかにあるんかなあ…。」

 大通りの交差点付近の脇道をうろちょろしていると、そのうちのひとつに
またもやレコード屋を発見。当然、入ってみることにする。道も訊きたかったし。

「…ほう…。」

 アルバムの品揃えについてはよく覚えていない。しかし、感心したのはその
45回転盤の品揃え。しかも、刀舟の好きな60年代モノがわんさと壁に貼って
ある。ジェフ・ベックの日本盤シングルなんかも置いてあった。アニマルズの
シングルもあったが、もってはいないけれどジャケがいまいちカッコ悪い。
値段も高そうだし(値段は訊いてください、だったので)、止めておいた。
ちょっと興味があったのが、ヤードバーズの「Over,Under,Sideways Down」
45回転。すいません、これいくらですか?

「40ドルです(いかにもなおにいちゃんが、さわやかに)。」

要りません。

むー、相場は知らないが、やはり高いものは高い。しょうがないので、1枚
1ドルのレコードを物色する。特に欲しいものはなかったのだが…。

「…?これ、あのテリー・シルベスターか?」

Terry Sylvester : For the Peace of All Mankind / It's Better off This Way
(Epic: 8-20002)

確かグラハム・ナッシュ脱退後のホリーズに参加して、一時スインギング・
ブルージーンズにも参加していた人ではなかったろうか。この曲自体は、
アルバート・ハモンドが歌っていたような。よし、どうせ安いから買って
みよう。道も訊きやすくなるしね。

 会計を済ませてから、レジのおにいちゃんに道を尋ねてみた。

「地下鉄の駅って、どの辺ですか?」

「どの列車に乗るんだい?」

「え、と。ここへ行きたいので…(と、地図を見せる)。」

「ああ、じゃあ出て右だね!」

おお、やはり脇道にあったのか!

 レコ屋のおにいちゃんに礼を言って、地下鉄の駅へ。このレコ屋、
ニューヨークで一番愛想のいいお店だった。値段はともかく、好感度は
No.1。また覗いてみたいものだ。

 店を出てから右に曲がり、駅を探してしばらく歩く刀舟。

…が、どうも見つからない。

「…もしかして、間違えてる?」

まてまて、もう一度地図を開いてみよう。地下鉄の駅は…やはり、

大通りに面している

としか考えられない位置に記されている。もしかすると、右、という
のは大通りに出てから右、ということか?しかしあの店へ行ったとき、
僕はまさしくその方向から大通りを歩いて…。

…まてまてまて。考えてみると、大通りの反対側はきちんと確認して
いなかった。でも、それらしき入り口があるかどうかぐらい、見回した
よなあ…。

 少し悩んだものの、今いる路地よりは確率が高いと思った刀舟、再び
大通りの交差点へ戻ってみた。そして、来たときとは反対側の歩道へ
行ってみると…。

「…わかるかあ〜!!!!(怒)」

 目指す駅入り口は、売店の裏側に隠れていた。当然、駅を表示する
看板なんぞ立ってはいない。おかげで、えらく時間を費やしてしまった。

 しかしまあ、この駅がわかりにくかったおかげでテリー・シルベスター
のシングルを買うことができた。後にこの人のソロ・アルバムを日本で
購入したが、それは今では僕のお気に入りとなっている。もしここで
このシングルを1枚買わなかったら、このアルバムを買うこともなかった
だろう。そう思えば、ここで迷ったことも自分にとっては結局プラスだった
のだ。そう思わなければ、やりきれない。

 目的地へ向かう列車は、A列車と(よく覚えていないけれど、確か)
E列車。ここはもちろん、A列車で行こう。

続く