4.アポロ・シアター

 「125番街、アポロ・シアター。雨の降りそぼる中、そこは閉まっていた。
  私はもう一度、ここへ来ようと思った。タクシーの運転手は、そんな私
  のことを正気ではないと思った(何故なら当時、ここへ白人が一人で
  やってくるなんて、考えられないことだったから)…。」
 (エリック・バードン&ジ・アニマルズ「ニューヨク1963−アメリカ1968」
  より。訳に関しては、適当だが国内盤『愛』のライナーを参考にしている。)

 何故1963年なのかがよくわからないが(エリックがアメリカを訪れたのは、
1964年…)、とにかく僕もアポロ・シアターを見ておこうと思った。

 先に引用した歌にも、エリックが地下鉄を利用してマンハッタンの街を闊歩
していた様が伺えるような一節があるのだが、地下鉄がある分、ロスに比べると
こちらは実に行動し易い街だった。まあ、バス網はロスも発達しているけれど、
バスなんて日本でも使い勝手の悪い乗り物だと思っていた僕には、やはり不便に
感じられた。

 マンハッタンの地下鉄は、ロスに比べるとかなり(変な言い方だが)リアル
だった。改札へ行くにも外へ出るにも、子供だったらケガするんじゃないのか?
と思うようなごつい鉄格子のような回転ドア(?)を潜り抜けた後、当然キップか
カードを持って改札口を抜けなくてはならない。キセルしてもバレないのでは
なかろうかと心配してしまうほど野放図なロス地下鉄とは大違い。というか、
ごつい回転鉄格子を除けば、こちらの方がよほど日本の地下鉄に近かった。違う
ところといえば、やたらと列車やホームに落書きがあることくらいか。自転車を
持って乗り込んでいる人がいたり(日本なら顰蹙だが、置きっぱなしで盗られる
リスクが相当に高いのだろう)、突然「めぐまれない人のための募金活動を行っ
ています。このチョコを買って下さい」と、少年が募金活動を高らかに宣言して
からチョコを売っていたりしたのも日本では見ない光景だ。ちなみに、このチョコ
は買っていない。

 何分くらい乗ったのかは忘れたが、確か各駅停車ではなかったように思う。前回
路線についての説明をはしょったので、簡単に説明しておこう。マンハッタンの地下鉄
は、同じ路線を停車駅の違ういくつかの列車が走るような格好になっていた。そして
それぞれの列車は、アルファベットのA〜…いや、いくつまでかは忘れたのだが、
とにかくアルファベットで呼ばれていたのだ。アポロ・シアター近くの駅へ行くには
そのとき2種類の列車があり、そこで僕が選択したのはA列車だった。

 マンハッタンの地下鉄、僕が乗ったときにはどうということはなかったが、S吉の
話では各駅停車のくせに「遅れているからこの駅を飛ばします」とか、一旦クイーンズ
まで行って、空いている路線を使ってUターンして目的地に着くとか…。そういう信じ
られないことをして、全体の辻褄を合わせることがあるのだそうだ。幸い、そんな憂き目
には会わなかったがもしそんなことになったら最後、間違いなく迷子になるだろう。

 ニューヨークのガイドブックは借り物で、今手元にはないので何という駅で降りた
のかが確認できないのが残念だが、とにかく乗過ごすこともなく、目的地に到着。
階段を上ると、そこは…

まさに、異国の地。

「…確かに、空気が違う…。」

S吉達がいづらかった、というのもまあわかるような気がする。なんと言うか…
ロスにしてもマンハッタンの他の土地にしても、これほど異国を感じさせてはくれな
かった。だいたい、マンハッタンなんてちょっとアメリカ人が多いだけで、なんか
東京とあまり変わらない感覚だったのだ。しかし、ここは違う。まさに、自分は
異邦人。周りはというと、本当に黒人だらけ。危ないという感じはなかった。そして、
強がっている、と思われるかもしれないが…

「…かっこいい…」

と、思った。いや、自分の存在がいたたまれなかったのも事実だが(何故なら、完全に
よそ者だから)。

「…とにかく、アポロ・シアターへ行ってみよう。」

駅から見えた看板を目印に、アポロ・シアターへと向かった。

歩いている途中、「南米系?」と思うような人もいて、まるきり黒人しかいないという
わけでもなかった。後で聞いた話だけれども、ハーレムに下宿している留学生なんて
のもいるらしいから、ハーレムといえばどこでもあぶないというわけではないのだろう。
特に、刀舟が歩いていた場所はアポロ・シアターの近く。観光客も多いだろうし、後で
寄ったヴァージンメガストア(ロックの品揃えは普通。でも、一階がまるごとヒップ
ホップだった)では白人女性が一人で買い物していたくらいだから、何も怖いことは…

「…!!??」

…怖い、というのとは違うのだが…。珍しい光景だった。ご存知だろうか、金属なんかを
ブッタ切る、電動ノコギリみたいな機械のグラインダー。道端で、グラインダーを使って
鉄筋(?)のようなものを切っている人がいたのだが…当然、火花がシャワーのように
歩道側へと飛び散っている。

それを、しれっと背中で受け止めるその仲間。

通行人に火の粉がかからないように、という配慮だろうが…。

画力不足で迫力に欠けるが、こんな感じ。頭まで火の粉を被っていたのは間違いない。

「…熱くないわけはないだろうに…。」

その受け止め役が妙に無気力な顔をしていたのが気になったが、その前を控えめに横切り、
アポロ・シアターへと向かった。

火の粉の飛び散る中、そこは閉まっていた。

 …さて。建物は当然に閉まっていて、中に入ることはできなかった。入り口付近に、
住所不定の雰囲気を漂わせたじいさんが数人いたのも気になったが、とにかくチケット
がいくらくらいなのかを確認する方法はないものかと、しばらく受付付近をうろうろ
していた。看板か何かがないかと思ったのだ。どうにもそんなものはなさそうだと
気づいたところで、当直(?)しているおねえさんを受付所の奥に発見。早速、声を
かけてみる。

「すんませーん!」

何事か、と意外そうに僕の存在を認めたおねえさん。つかつかとこっちへやってきた。

「チケットが、いくらか知りたいんですが。」

そう言うと、おねえさんは何も言わずにすっと公演予定表を渡してくれた。成る程、
これさえあればチケットの代金はおろか、いつここへ来ればいいかもわかる。一言
も発しないつれないおねえさんに礼を言い、その場を離れることにした。本当なら
この場にいる自分の写真1枚が欲しいところだが、通行人にそんなことを頼む度胸
もなく、アポロ・シアターの写真を一枚撮っただけで我慢した。

ちょっと急いで撮った。また行きたい。

 そして、再びS吉の下宿へ。方向オンチの刀舟がわりと不自由なくマンハッタンを
歩いてきたことを意外そうに驚くS吉。余計なお世話だ。

「さっき、○○ジンとチャットで話しててん。」

○○ジンとは、S吉がニューヨークで知り合った韓国人留学生のお嬢さん。今回の
旅行に参加するとS吉が言っていた人だ。ちなみに、韓国の女性の名前には日本
で言えば〜子といった具合に、〜ジンとつくのだそうだ。

「『お友達はどうしたんですか』って言われたから、『アポロ・シアター見に行き
ました』って言うたらな、『いきなりハーレム行ったんですか』て驚いてたで。」

…そんな凄いことではないと思うのだが、まあその子の知り合いにはあまりいない
のだろう。韓国の留学生でアメリカまで来ているとなると、結構いいところのお嬢
さんだろうしな。しかし、そんなんで俺らと一緒に旅行できるのかねえ、などと
思ったところが。

「でな、この子ジンマシンが出て旅行行けんようなったらしいわ。」

……まあ、いいけど。

「アポロ・シアター行ってきた?」

「ん。公演予定表もろてきたよ。」

簡単なちらしみたいなもの。

「ふーん…あ、意外と安いな。」

「これなら行けそうやな。………あ、あれ?」

「どしたん?」

「…今日明日、休みになってるんやけど…。」

………

「…出発すんの、明後日の朝やなあ…。」

125番街、アポロ・シアター。私はもう一度、そこへ行こうと思った。友人の友人
は、私が普通ではないと思った(何故なら、彼女にはマンハッタンへ来てまず
アポロ・シアターへ行くということのロマンが理解できなかったから)…。

続く