11.マンハッタンに夜は更けて

 インディアン博物館を出た後、マンションへ戻るまでの間に
いくつか店に立ち寄り、買い物をすることにした。夜にはS吉
がこちらで知り合った友人と一緒にS吉宅で飲むことになって
いたので、なにかと用意しておく必要があったからだ。

 途中、カメラのフィルムを買うためにカメラ屋へ。そこの
おねえさんはニューヨークの店員にしては愛想がいい方だとか、
店主さんはユダヤ教徒だとか、そんな話を聞きながらフィルム
を数本購入。S吉はさすがにマニアック、ポジフィルムを買って
いた。

 前にも書いたかと思うが(書いてないかもしれないが)、
S吉の下宿はウォール街のすぐそば。知っている人は知っている、
牛の像の傍にあった。

「株価上昇時のことをブル相場つってな。前の大暴落のときに、
ブル相場を願って誰かがこれ置いていったらしいで。下落時は
ベアーやねん。」

 この牛、今ではどうなっているのだろうか?これについて、
数ヶ月前(現在02年11月)にS吉とこんな話をした。

「最近、株価がどんどん下がってるからねえ。」
「あの牛とかどうなったんかね。」
「お、よく覚えてるね。」
「ブル相場を願ったんだっけ?」
「そう。反対がベアー。」
「牛が元気出るように、キュートな牝牛でも置いといたら。」
「いや、そんなのより、熊を牛が刺してる方がいいよ。」
「あ、それいいね。」
「熊のイメージは、ラオウにやられたレイみたいな感じで。」
「あるいは、刺されてるのにあさっての方向向かってヤル気満々な熊。」
「それか全く置物みたいな熊。」
「自分が何されたかわかってないような?」
「もしもし、刺さってますよー?」
「シャケ咥えた木彫りの熊では?」
「あれは小さいよ。」
「でかいの用意してさ。」
「夜中のうちに刺しておく。」
「絶対ニュースになるよね。」
「で、その日の株価は下がりました。」
「だめじゃん。」

ログのないチャットを記憶で起こしたものなので一字一句正しいわけでは
ないが、大事な所は拾えていると思う。

さて。

買い物を済ませて部屋に戻ってから、飲み会の準備にとりかかった。
…といっても、軽く部屋を片付けた程度だが。S吉は決して整理整頓する
タイプではなく、部屋は常に適度にちらかっているのだが、基本的な
レイアウトは使いやすくまとめておくタイプなのでそう手間はとらなかった。
あまり物に執着のないタイプなので、余計なものが部屋に無いというのも
あるだろう。

 片付けた後、どうやってお客さん二人がその部屋へやってきたのかは
覚えていないのだが、待ち合わせの駅までS吉が迎えに行き、刀舟はホケー、
と待っていたのではなかったかと思う。

 その場にやってきた二人は若いカップルで、年の頃は20代半ばといった
ところではないかと思う。まあ、世代的にはそう変わらない人達で、実に
気さくで面白い人達だった。実は初対面の人との飲みで気軽に話せた試しは
無いのだが、このときはそれほど気にせず飲むことができた。少人数で周り
が全員知らない人、という状況にはならなかったのが良かったのだろうと思う。
周り全員が慣れてない人だと、僕はまるでダメなのだ。このとき、S吉が
持ち出したなにやら高い酒の味を皆で吟味していたのだが、刀舟の
「小さい頃に薬として飲んでいたマムシ酒に良く似ている」という意見は
まともにとりあってもらえなかった。だが、それは本当だ。

 この飲みの場ではそれなりに面白い話も出てきたのだが、他の人達の
プライヴェートにかかわることが多いので詳しい話は伏せておく。ただ、
女の子の方がとんでもない有名人の娘さんだったのには驚いた。これは
S吉もそのときまで知らなかったそうだ。この子に「音楽関係の仕事とか
やらないんですか?」と言われ、いえ、できるんならやってますと思い
ながら「それが全然雇ってもらえません」とそのままな答えを返した
のも今では懐かしい思い出だ。

 若い二人が帰ったあと、小腹のすいたS吉と刀舟は近くのピザ屋でピザを
一切れづつ購入。何がどういうものなのかわからない刀舟、S吉の「何も
のせてないプレーンチーズのピザがめっちゃ美味いで」という言葉を信じて
プレーンチーズピザ購入。かつて「青い珊瑚礁」というクールミントガムの
ような味のするまっずいカクテルを「美味いから」と騙して後輩に飲ませた
実績があるS吉。そのお勧めには用心が必要だが、何も乗っていないピザ
が不味ければその店のピザは全て不味いということになる。同じ店でS吉が
ピザを購入している以上、その言葉にウソはないだろうと思って信用する
ことにした。結果は大当たり、とても美味しいピザだった。

 マンハッタンでの最後の夜。次の日の朝には、僕はもうこの街を離れなければ
ならなかった。

続く