12.アンソニーおじさん、さようなら。

 マンハッタンで迎えた最後の朝。早起きしたのか、それとも大して早くもなかった
のか…それは全然覚えていない。

 簡単に身支度を済ませた後、マンションの近くにある…ハーツだったか、そんな
名前のレンタカー会社営業所へと向かった。もちろん、車を借りるのが目的だ。

 車のことについてはS吉にすべておまかせだったので(というか、僕は本当にこの
横断計画に便乗しただけだったので…)、具体的に何をどうしたのかは全くわからない。
ただ、手続きのときには僕も自分の免許証を受付にいた黒人のおばさんに提示した。
運転する可能性のあるすべての人の免許証を確認しておきたいのだそうだ。

「確認させてもらうだけよ。お金はとらないわ(No Charge)!」

 かっ…かっこええ〜。文字だけなのでなんだかよくわからないだろうと思うが、この
ときのおばさん、右手を左肩の位置まで持って行って横一文字にスッ!と振りながら、
「ノウチャージ!!」と言ったのだ。その様、指先一本までソウルフル。僕の記憶の中
ではこのおばさん、既にアレサ・フランクリンと化している。

 さて。

 借りた車は、フォードのエクスプローラー。わりと中が広い車だったので、これから
しばらく利用するには都合が良さそうだった。地下駐車場だったか、そこにそれは止めて
あったのだが、いざ乗り込もうとした所がカギがない。「あれ、カギは?」などと思って
いたら、アレサおばさんが「しょーがないわね」という顔でカギを持ってきた。(いや、
単にカギ待っていただけかもしれなかったのだが、アレサの顔はまさしくそんな感じ
だったのだけははっきりと覚えている。ニューヨークのあらゆる店員さん、基本的に
愛想はめっちゃ悪かった。)

 車に乗り込んでから、一旦マンション前へ。荷物は既に積み込んでいたが、出発前に
ここで写真を撮っておこうと考えたのだ。

「アンソニーさんに撮ってもらおうで。めっちゃ上手いから。」

 そう言ってアンソニーさんを呼びに行くS吉。その間、刀舟は中国人のおじさんに道を
訊かれていた。…が、中国語なのでまるでわからない。「僕、日本人なんすよ」と言うと
おじさん、笑いながらそのまま去って行った。そんなに渡来人っぽく見えるのだろうか。

 しばらくすると、S吉がアンソニーさんを連れて車までやってきた。「これからこの
車で、ロスまで行くんです。記念写真を撮りたいんですけど、お願いできますか?」
そんな意味のことをS吉が言うと、アンソニーさんは笑いながらカメラを受け取り、
写真を撮ってくれた。そして半分あきれたような、面白がっているような調子でこう
言った。

「どうかしてるよ、あんた達(You guys crazy)!!」

 飛行機を使えばいいのに、いまどき…ということなのだろうか。確かに、ちょっと
ばかりイカレているかもしれない。しかし、よくよく訊いてみるとアンソニーさんの
息子さんもフロリダからカナダまで自動車で突っ切ったことがあるそうだ。しかも
たった一人、わずか3日でということだから…。

「運転しっぱなしやったんとちゃうか?」
「ちゃんと寝たんかねえ。」

 すごいガッツだ。いや、ガッツの問題ではないかもしれないが、これからまさに出発
しようとしているこのイカレた漢たちを熱くさせるには十分だった。

 写真を撮った後、アンソニーさんは笑って軽く手を振りながらマンションのロビーへ
と戻って行った。この最高の見送り人に見送られ、僕らはいよいよアメリカ大陸横断の
旅へと出発したのだった。

ニューヨーク編、完。大陸横断編へと続く