21.会場から

 …僕は一体、何を思い上がっていたのだろう?ほんの少し考えてみれば、わかる
ことだ。エリック・バードンが、僕のことを覚えているわけがないじゃあないか。
会場で会った人たちが「エリックも君に会いたがっていたよ」というのはつまり、
「日本から来たファンがいたのか?そりゃ、会いたかったな。」という意味なのだ。
別に、「あのときの日本人か?」という意味ではない。

 僕は一瞬、硬直した。

 「…どの街?」

 エリック・バードンが少し、イラついたような口調でもう一度訊ねてきた。

 「と、東京です。」

 「東京か!大都会は好きだよ。Bright lights, big city...」

 そう言って、「Bright Lights Big City」の一節を歌い始めたエリック・バードン。
とてもいい場面のハズだが…。

 そして、エリック・バードンは僕の持っていたファンクラブ会報(言い忘れたが、
ショウの後でフィルさんにもらっていた)に、サインを書いてくれた。

 「君の名前は?」

 「あ、えと…」

 僕の名前は本当に、向こうの人には発音、聞き取りしづらいようだ。一文字づつ
綴りを伝えたのだが、しっかり間違えられてしまった。

 そして、それをここで指摘する度胸はなかった。

 最後に、エリック・バードンはにっこり笑って、両の手を顔の前で合わせて挨拶
してくれた。このとき、何と言われたかはよく覚えていないが、たぶん「どうも」
だったのではないかと思う。両の手を合わせる…坊主の挨拶だということは、多分
わかっていないだろう。というか、もしかすると今は仏教徒のヒルトンに教わった
のかもしれない。…いや、もっと前から誤解しているかも…。

 エリック・バードンの前から離れた僕に、ヒルトンが何か話し掛けてくれた。
そのときの僕にはよく聞き取れなかったけれど、とてもやさしい口調だった。
多分、「満足かい?」とか、「よかったね」とか…そういうことを言ってくれた
のだと思う。

 「何が不満だ」、「会いたいのに会えない人の方が全然多いぞ」、「何様のつもり
だ」、等等、第3者の目で冷静に見てみれば、僕はかなり甘えていると思う。

 しかし、僕には相当にショックだったのだ。はかなくもすがりついていた自分の
存在価値が、あっという間に消し飛ばされてしまったような気がした。僕には大仕事
だったあの数年前の出来事は(…もっとも、しんどかっただけでたいした結果は残し
ていないということを考えるとそれは当然だが)エリックには覚えておくにすら足り
ないことだったのだから。 

 そして、僕は楽屋からこそこそと逃げ出した。ここにいるより、会場内でパーティー
の場へ連れて行ってもらうのを待つほうが肩身の狭い思いをしなくて済むと思ったから。

 楽屋から会場内へ行く途中、何故か迷って(どう迷うんだ、と言われそうだが、
それが刀舟なのだから仕方が無い)、楽屋から出て来るヒルトンにばったり出くわした
のが、妙に気まずかった。「やあ、また会ったね。」と言われていまいち反応できな
かった自分が情けない。

 そして会場内に戻り、今度は一人でぽつんと立っていた。パーティーへ行くには、また
前日車に乗せてもらった人に連れて行ってもらわねばならない。その人たちに呼ばれる
まで、そこで待っている必要があった。

 既に1時過ぎだったろう。この頃になると、楽屋にいた関係者も(ヒルトンのように)
帰っていく人の方が多い。一人、また一人と出てくる関係者。その中に…

 「!デイヴ・ロウベリーだ。」

 アラン・プライスの後を受けてアニマルズのキーボード奏者となった、デイヴ・ロウ
ベリー。「朝日のない街」から「CCライダー」までのキーボードはこの人の演奏だ。

 「…チャンスだ。」

 そう考えて、僕はデイヴに駆け寄った。

 「失礼、デイヴ・ロウベリーさんですね?」

 すると、デイヴはサインと思ったのか、懐に手をやった。…ごめんなさい、サインより、
あなたの話が聞きたいんです。

 「あなたのキーボード、大好きです。」

 サインじゃないとわかったデイヴは、少し迷惑そうにこう答えた。

 「君も楽器をやるのかい?」

 う。そういうタイプか…。さすがジャズ畑出身。

 「あ、と。トランペットなら少し…。ヘタですけど。」

 ちなみにそれは小学校のときの話で、今ではドレミファソラシドを吹ける自信もない。

 「それは別にかまわないさ。」

 そう言ったところで、誰かがデイヴ・ロウベリーを呼んだ。

 「それじゃ。」

 そう言って、デイヴ・ロウベリーはすたすたとその場を去っていった。

 強襲失敗(というか、弱かったから失敗)。

 この後、僕の記憶はもうこんがらがっている。これより前だったか後だったか、やる気
を無くしてボー、としていた僕にジャーメインさんが「あら、あのカーリーヘアーの女の
人はどこ行ったの?あなた、あの人に連れて行ってもらうんでしょ?」と我がことのよう
に心配して世話を焼いてくれたり(めちゃくちゃいい人だ…)した話など、具体的に書け
ば先の愚痴などよりもよほど面白い話になったと思うのだが。が。記憶が既に定かでは
ないのだ。

 どうやってカーリーヘアーのご婦人たちと合流したかも覚えていない。
ただ、ジャーメインさんにもらった紙の腕輪を、会場から出るときに無くしてしまった
のは覚えている。

続く