お待たせいたしました
レイル・ストーリー5、発車いたします


 ●急行『能登』ものがたり

かつて日本全国の国鉄線を走っていた急行列車。今ではすっかりその数を減らしてしまい、時刻表で見つけることすら困難になった程の衰退ぶりには、何か悲しいものを感じる。

現在、上野と金沢を結ぶ夜行急行列車『能登』というのがある。この列車も以前紹介した急行『銀河』同様に長い歴史があるが、こちらは『銀河』のような華やかなものではなく、むしろずっと地道に、そして複雑な変遷を経て走り続けてきたという実績の持ち主だ。しかし『能登』を語るには、『北陸』『越前』、それに『白山』という列車も同時に語る必要もありそうだ。

では、今の『能登』の前身は、どうなっていたのだろう。

● ● ●

まだ戦後の混乱期、昭和21年11月1日に上野-金沢間を上越線経由で夜行準急列車が走り始めた。もちろん当時は愛称など無かった。後にこの列車は急行に格上げされ、『北陸』という愛称が付けられた。
続く昭和24年9月1日のダイヤ改正で金沢-大阪間が延長され(ただし当分の間延長区間は運休だったという話だが)、昭和22年11月1日に大阪-青森間に誕生した後の急行『日本海』(今の特急『日本海』の前身)と共に北陸線を代表する列車となった。

昭和29年10月1日には信越線経由で上野-金沢間を結ぶ昼行の急行『白山』が出来たが、北陸路と上野を結ぶ2本の列車の関係は、その後ずっと続くことになる。

客車時代の急行「能登」

昭和30年代に入ると大阪と北陸を結ぶ昼行の急行『ゆのくに』『立山』が運転されるようになり、『北陸』は昭和31年11月19日には大阪-福井間が、続いて昭和34年9月22日には福井-金沢間が廃止されたが、これらはお互いの役目を分担するものであった。『北陸』は昭和36年10月に増発された『黒部』を統合し、2往復体制となった。

全国に特急が大増発された昭和43年10月1日のダイヤ改正では、『北陸』はグリーン車以外全部寝台車という堂々たる姿にまで成長した。

● ● ●

いっぽう、『能登』のほうは『北陸』の福井-金沢間が廃止された昭和34年9月22日にデビューした。運転区間は今では考えられないルートで、東海道線の米原経由、東京-金沢間を夜行で結ぶものだった。列車の性格としては金沢以南から福井県内対東京というものを『北陸』から分離独立させたことになる。当初は紀勢線直通の急行『伊勢』『那智』との併結運転だったが直ぐに需要が伸びたのか、昭和36年10月には単独運転に成長した。『銀河』同様、当時の東海道線夜行急行列車華やかりし頃の仲間になったのだ。

客車時代の急行「越前」

しかし栄光は長続きせず、東海道新幹線の開業で乗客は激減、『能登』は関西線湊町(今のJR難波)と東京を結ぶ急行『大和』併結というスタイルに逆戻り。翌昭和40年10月1日、上野-福井間に信越線経由の『越前』が生まれた(『越前』はその1年前に大阪-金沢間に走り出した電車急行だったが『ゆのくに』に統合された)。昭和43年10月1日のダイヤ改正で『能登』は廃止となり、この『越前』に吸収される形で一旦幕を降ろすことになる。

昼行客車急行で残っていた信越線経由の急行『白山』は、昭和47年3月15日、電車化と同時に特急列車に格上げされた。

● ● ●

山陽新幹線が全通した昭和50年3月10日のダイヤ改正では、北陸線のダイヤも大幅に変わった。目玉商品は関西と北陸をショートカットする湖西線の本格開業だったが、この時『北陸』は特急に格上げされた。ただし急行のほうは1往復が存続され、その名も『能登』を名乗ることになった(寝台車の他に座席車を連結)。経緯は多少違うとはいえ、7年ぶりの復活を遂げたのだった。

特急「北陸」

新幹線や昼行の特急がどんどん便利になり、夜行列車の人気に翳りが見え始めたのもこの頃だった。
昭和57年11月1日のダイヤ改正で、ながらく上野と福井を結んでいた『越前』がとうとう廃止されてしまい、代わりに『能登』が『越前』を吸収する形で信越線経由に変更された。ただしこの時には特急用の客車14系がコンバートされ、『銀河』のように特急さながらという姿になった。『北陸』のほうはシャワー車、寝台車の個室化やB寝台の二段化という差別化が進んでいく。

その後国鉄はJRに生まれ変わり、『能登』はその名のとおり昭和63年には、夏シーズンの臨時ではあったものの能登半島は七尾まで延長され、続く秋シーズンの臨時運転でとうとう輪島まで足を伸ばした。この後も観光シーズン毎に輪島延長が行われたが、平成3年3月には七尾線の電化準備のために金沢止まりに戻ってしまった。『能登』が足跡を残した七尾線穴水-輪島間は第三セクターの「のと鉄道」が路線を受け継いだが、平成13年3月に廃止になったのは記憶に新しいところ。

● ● ●

現在の急行「能登」

平成5年3月、『能登』は信越線の夜行急行『妙高』の廃止と同時にその役目までも受け継いだが、特急『白山』に使う電車489系と共通になってしまった。夜行急行列車でありながら寝台車なしという姿に変わってしまったのである。続くゴールデンウイークからの多客期は『越前』時代を思い出させるように福井へ延長され、翌平成6年12月からは定期化された。
しかし、この頃から長野新幹線の工事が本格化し、影響を受けて『能登』は毎週火曜日だけ上越線経由という変則運転になる。

特急『白山』のほうは信越線特急『あさま』の仲間という役目も負い、さらに北陸からの直通客も増えて一時は3往復にまで成長したが、やがて上越新幹線の開業で人気はそちらに移ってしまい、元の1往復に戻ってしまっていた。ただし『白山』『能登』の電車は、上野と北陸を結ぶだけではなく『あさま』に1往復、平日夕方には『ホームライナー』にも使われ、高崎線内や東北線(宇都宮線)も走るという活躍ぶりを見せていた。

平成9年10月1日、オリンピックを目前に控え長野新幹線が開業。『能登』のルート信越本線は、急勾配のため特殊な機関車を必要とした碓氷峠の横川-軽井沢間が、あまりのコスト高のため廃止され分断されてしまい、同時に篠ノ井-軽井沢間は第三セクター「しなの鉄道」になった。このダイヤ改正で『能登』は再び上越線経由となった。特急『白山』は歴史に終止符を打った。

● ● ●

そして平成13年3月、『能登』は金沢-福井間が廃止され、上野-金沢間の夜行急行となって現在に至っている。夕方の一仕事で『ホームライナー鴻巣』『ホームライナー古河』として走るのもそのままだ。
『能登』はかつての夜行『妙高』を受け継いだこともあって、上野発は高崎線最終電車の後に設定されている。つまり事実上の高崎線最終電車だし、定期券でも急行券を買えば終電に乗り遅れても大丈夫。だから上野を発車する頃には車内は帰宅のサラリーマンで埋め尽くされていて、とてものんびりと夜行列車の旅情に浸る余裕などないという話だ。ただし金沢に着くころには車内はガラガラ…。

ただし『能登』は足の速い電車!一方の特急『北陸』は機関車が引っ張る客車だし、区間も夜行特急としては短めなので比較的のんびり走っている。今では急行である『能登』の方が、停車駅が多いのに速いという逆転現象が起きている。

特急『北陸』

急行『能登』

特急『北陸』

急行『能登』

上野 23:03

金沢 6:30

上野 23:54

金沢 6:41

金沢 22:15

上野 6:19

金沢 22:12

上野 6:05

安価で速い夜行高速バスがすっかり当たり前になった今、夜行列車全体が人気を落としているのは事実。『能登』の電車は何度かリニューアルされてはいるものの、もう古さは隠せない。急行『能登』廃止の噂も流れる今日この頃である。でも、最後までその歴史に恥じないよう務め上げて欲しいものだ。


かつて夜の駅には、いつもは見られない遠くの行先をぶら下げた夜行急行列車の姿がありました。青い客車が連なるその姿に旅情をかきたてられたものです。床下から聞こえる冷房用エンジンの音、冷凍ミカン…、もう過去のものになってしまいましたね。

次は同じく北陸路からの話題です。

【予告】食パン電車っていったい何

―参考文献―

鉄道ジャーナル 1975年5月号 北陸本線の生い立ち 鉄道ジャーナル社
鉄道ダイヤ情報 2001年9月号 特集「急行」 弘済出版社

このサイトからの文章・写真等内容の無断転載は固くお断りいたします。

トップに戻る