地下鉄 銀座線ストーリー
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●上野検車区の謎 電車には検査はつきものである。故障もあれば修理もあれば改造もある。そういえば大ベテランでオレンジ色の旧型車から交代するためにつくられた01系は、昭和58年のデビュー時に冷房がついていなかった。 話がいきなりそれて、それたついでに地下鉄での冷房の話をするが、直通運転で相互乗り入れをやっている線区は冷房の使用が遅かった。都営浅草線などは京浜急行からの乗り入れ車はとっくに冷房がついていたのに、都は地下鉄線内での冷房使用を認めず、直通電車は品川で冷房を切られるということが続いたものだ。 ● ● ● さて、銀座線最初の車庫は上野に作られた。地下鉄上野駅から地上に出て、バイク街の少し浅草寄り、台東区役所の辺りを北方向に歩くと上野検車区がある。さすがに大きな車庫の建屋を地下に作るのは当時無理があったのだろう。その車庫の手前には何やら大きなゲートのようなものが…。 これが日本でたった一つしかない地下鉄の踏切なのです!!
地下鉄ってもともと地下を走る訳だし、踏切なんてあるべきものではない。…けど、ここにだけはある。全国でここ1ケ所。 戦後になると丸の内線が開業したが、もともと銀座線赤坂見附駅は同一ホームで乗り換えが出来るよう考慮されて作られていた。これは東京高速鉄道が東京市から譲り受けた免許線に赤坂見附―四谷間があったためで、この線は戦時中すでに工事に着手していた。そして赤坂見附で銀座線と丸の内線がレールで繋がった。 丸の内線が中野まで延びると銀座線の電車も中野工場を使えるようになった。だから今となっては手狭な上野検車区もそのままで事足りている。この繋がったレールを利用して夏の隅田川花火大会の時など、銀座線の電車が丸の内線の荻窪から銀座線の浅草へ直通運転するようになった。 ● ● ● 余談だが、旧型の電車達は今でも他で活躍しているのがいる。銀座線の旧型車は運転台の取り付けと台車(日比谷線のお古をもらった)の取替え、それと生まれて初めてパンタグラフ(屋根についてる集電用器具)をつけてもらって、派手な塗装をしてもらって千葉県の銚子電鉄で活躍した。また後継の01系も引退後は熊本電鉄で殆どそのままの姿で活躍している。 昔、「地下鉄ってどうやって入れるんでしょうね」という漫才ネタがありました。これはトレーラーで夜間輸送してホントに道路に作った穴から入れる場合もあれば、相互乗り入れをやっているので何の問題もない場合もあります。でも不思議ですねえ…車庫。 次回は…暗〜い話です。 【予告】
地下鉄ストアの謎 【参考文献】 鉄道ジャーナル 1974年10月号 特集「日本の心臓 東京の鉄道 第一部」 (株)鉄道ジャーナル社 【協力】 帝帝都高速度交通営団(現:東京メトロ) 地下鉄博物館 地下鉄互助会(現:メトロ文化財団) このサイトからの文章、写真等内容の無断転載は固くお断り致します。 |
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