Denali--夢幻-- その1
22Apl.〜23May.1993
タルキートナのレンジャーステイション
「関西では登れない」という迷言を残して上京したIさんから1本の電話が入りました。
「山、続けてるんだ・・・。来年デナリのスコット・ハストンかハンターのケネディ・ロウルートを狙ってるんだけど、いかない?」岩雪に投稿した剣尾根R4を4月にソロした時の記事を見ての電話だったのですが、海外の経験のなかった僕は、まずは、アルプスあたりをと漠然と考えていた程度だったので、少しばかり戸惑いました。
しかし、デナリ南壁は、関西クライマーズクラブ時代から気になる山だったので即答はできなかったものの大きく心が揺らいだことを覚えています。
Iさんは、若く未熟だった当時の僕のことを目にかけてくれ、多くのことを教えてくれたことを思い出します。
今頃どうしているのだろう。
計画の具現化段階で残念ながら白紙となり、その夏(89年)は、クラブの先輩イソタローさんとアルプスに出かけたのでした。その後東京に転勤となり、G登攀クラブとしてエベレスト(91年)に赴くも、不完全燃焼のまま登山を終えました。
エベレストで高さを経験し、デナリできびしめのクライミングを、そしてG4へ。
エベレストで出鼻をくじかれたものの、若気の至りで、なんとなるような、そんな気がしていました。
そう、この山の向こうに、確かにG4の頂を夢みていました。
植村直己物語の撮影を兼ねて、デナリ南壁のアメリカンダイレクトを登ったKさんに話を聞く機会を得、「4月に行けば人も少なく、クレバスもさほど開いていず、うまくいけばオーロラを見れるかもしてない・・・」という甘い?言葉にNジマさんと僕は、93年4月22日巨大なザックにスキーを抱え、成田をあとにしたのでした。
4月22日 雨
日付変更線を超え、サンフランシスコ、シアトルを経由し、お尻が悲鳴をあげるころアンカレッジ着。
ミッドタウンのノーザンライトインにチェックインし、REIでお買い物。
4月23日 晴
翌日のアラスカ鉄道の予約をし、食料及び装備の買出し。
4月24日 晴
この時期のアラスカ鉄道は、週末に1便フェアバンクスを往復するのみ。
しかも2両編成で観光客も少なく趣があってよろしい。
線路は続くよ アラスカ3山遠望
コーヒーは出してくれるし、運転席にも入れてくれる。
撮影スポットでは、とまってくれ、車掌も愛想がいい。
運転席 タルキートナにて
タルキートナに到着するが、荷物が重いので、とりあえず一人K2Aviationのオフィスに行きトラックでピックアップしてもらう。バンクハウスに荷物を置いて午後、翌日からのフライトの予約を行う。
全装備とNジマさん タルキートナ駅はこんな感じ
帰路レンジャーオフィスへ。
デールというレンジャーが迎えてくれる。
お決まりの説明を受け、ルートの話になる。
アメリカンダイレクトと答えると、どこにいくのか分かってるのか?という感じの態度になる。
壁に飾ってあるB.ウォッシュバーンの写真でルート上をなぞる。
それ以上、彼は何もいわなかったが、そうとう厳しいクライミングになることは、確実だろう。
固い握手を交わし、2階に案内され、日本語のビデオを見せられる。
バンクハウスにもどるとウエストバットレスに向かうというカップルが来ていた。
順応時には、前後することになるだろう。挨拶をしてあとは、ゆっくりする。
K2 Aviationにて K2バンクハウス
今日は、晴れわたりデナリ、フォレイカー、ハンターのアラスカ3山が美しく見えていた。
久しぶりの好天とのことである。
7時30分 アンカレッジ駅発
11時30分 タルキートナ駅着