KAWASAKI GPzの系譜(?)


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若かりし頃、私は、GPzと名の付くバイクに、四台乗った。
ずいぶんたくさん乗った中で、というだけで、連続して乗った わけでも何でもないのだが、同じ車名ということでムリクリ ひとまとめにして、思い出話を綴ってみた。


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初めは、GPz250Rであった。

 当時の広告より

カワサキが、硬派なイメージの払拭を狙った?意欲作である。
Egli Target を軟弱に消化したような、妙ちくりんなスタイル。シートと二ーカバーの色が選べます、オシャレに乗ってね、てな販売戦略だったように思う。

実は私は、GPz400F2に乗りたくて、とあるバイク屋に出向いたのだが、出たばかりの250Rを、絶対こっちの方がいい、こっちにしなさい、と半ば強引に勧められ、買ってしまったのであった。

これが、本当に面白くないバイクだった。

エンジンは新設計の250ccパラレルツイン。これを、ニンジャばりの?ダイヤモンドフレームに乗せている。タイヤは前後16inch。シートは低くえぐってあって、足付き性だけは、猛烈に良かった。

ビンビン回るエンジンは快活だが、たかが250ccである。小さくて弱い車体と相まって、小排気量丸出しだ。無機質で面白くも何ともなかった。



しかし、ハンドリングは悪くなかった。
前後16inchの低い車体は、それなりにクイックに反応してくれる。その中に、埋もれるように人間が乗っている。バイクの挙動を体感し易く、お勉強には持ってこいだった。(db1に似ている、と言ったら笑われるかな。)

ブレーキがまた良かった。何の変哲も無い、片押しシングルキャリパーだが、コントロールの幅が実に広く、ロック寸前でもニギニギして遊べた。

ブレーキングやコーナリングの逐一で、何をしたらどうなるか、素直に反応してくれた。
私は、このバイクに乗ってから、めったに転ばなくなった。(それまではよく転びました実は。)ライディングに関する教訓は、確かに得られたと思う。

お勉強にはなるバイクだったが、面白くないものは面白くない。もう飽き飽きして、結局、買ったバイク屋に引き取ってもらった。

教材として良いバイクでも、乗って面白いとは限らない。これも、こいつで得た教訓である。

GPz250Rは、市場でも失敗していた。
全然売れずに、新車が暴落していた。
オシャレなカワサキの250ccなど、誰も欲しがらなかったのだ。
しかし、エンジンだけは、リファインしつつ、この後も長く、使われましたとさ。
めでたし、めでたし。(?)


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次は、ナナハンニンジャである。
限定解除(死語)をして、イッパツめのバイクだ。
ニンジャに思い入れがあった訳ではない。
たまたま見つけた中古を、何となく買っただけ。

当時は、ニンジャ最速などと、もっともらしく言われてい時代である。悪くはなかろうとは思っていた。また、市場の評価が高いバイクとはどんなものか、興味もあった。

何しろ、初めての大排車である。目新しくて、喜んで乗っていた。
しかし、これはあまり良くないバイクだったと思う。

エンジンは、900cc用の車体を引っぱるためか、多少ピーキーにしつらえられていたようだ。まあ今思えばカワイイ部類で、猛烈な吹け上がり、などといいながら、低回転から、例のゴロゴロいうクランク音を響かせながら(カワサキ車ですもの)、よく走った。

フレームはダイヤモンドタイプ。実はこれが、からっきし弱い。


弱っちいフレームの資料画像(当時のカタログより)

見るからにやる気のないフレーム。エンジンも強度メンバーとのことだが、エンジンがハマればキッチリ強くなる!ようには、やはり見えない。

アライメントも全然良くない。エンジンの搭載が低く、ステアリングヘッド高く、キャスターが寝ていて、前輪が小さい。スイングアームは短く、ドタバタと良く動く。まるで、できそこないのアメリカンカスタムのようだ。(あっ、石を投げないで。)

だから、基本的に、低速は扱い易かった。当時、学生だった私は、通学には重宝した。交差点レベルのコーナーは曲がり易かった。しかし、スピードが乗って来ると、どんどん重く曲がり難くなった。

当時、私は、高速で曲がれないことを、自分のウデが悪いせいだ、と思っていた。しかし、この後に乗った空冷のGPz750Fは、私でもガンガン曲がれた。だから、高速コーナーでのこの印象は、バイクの特性自体が、そういうものだったように、今では考えている。

スタイリングは、斬新で良かったと思う。座った感じも、身体と車体のフィッティングがよく、居心地は悪くなかった。
しかし、エンジンの熱気は凄かった。50km以下で流していると、水温がグングン上がった。スピードを出していれば、快適ではあったのだが。

便利なツーリングバイク、と考えれば悪くなかったが、それにしても、言われている程いいバイクでもなかったと思う。そう思いつつ乗り続けるのは、あまりいい気分はしない。

結局、友達に貸した時にコケられたのをきっかけに、手放した。
市場の評価が高くても、いいバイクとは限らない。
こいつが教えてくれた教訓だ。

その後、世間では、900ニンジャが、後継車種がデビューした後も永く生産され、市場に評価され続けていた。デビュー当時の「伝説」や独特なスタイリングが効いていたのでは、と思う。(映画やマンガでアオリが入ってたしね。)

しかし最後には、フレームの補強とアップハンを装備し、もう直線をブッ飛ばすことしか考えていないような改造仕様が、一般化していたように見えた。

それを横目に、私は、このバイクをそう使うのは「正しい」と思ったものだった。

実際に乗ってるヤツらが、一番良く知っているものなのである。

めでたし、めでたし、と。


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次は、GPz400F2であります。
ずいぶん前から乗ってみたかった、ノンカウルに、メッキの4本エキパイ。
このスタイリングが美しく思えていた。
(そんな時代があったのです私にも。恥。)

しかし、ああもう、こいつが食わせもんだった。

エンジンはパンチが無い。これは、750ナンジャに慣れた後だから当然として、その分さっ引いて考えても、猛烈に遅かった。

車体のデキも悪かった。ハンドリングのスイートスポットが、本当に狭いのだ。コーナーを走っていて、キマったー上手く乗れた!という域がほとんど無い。もうずーっと我慢してる感じ。次項のGPz750Fと同世代であることを考えると、「手を抜いた」としか思えないデキだった。

当時、周りは、無茶苦茶な動きが可能なVFRかなんかが全盛だった。F2で、こいつらと一緒に走るのは、本当に辛かった。久しく転んでなかったのだが、F2では何度か転んだ。無理してたな、と思うが、無理しないと乗れないバイクだった。

長続きしないのは目に見えていた。やはり手放した。
その後、誰の手に渡っただろう。
やはり、末は族車だったんだろうか。

めでたし・・・めでたくないよなあ。
デザインイメージでバイクを選んではいけない。
こいつの教訓である。


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次、GPz750F。
(何だか、乗り替える度に、世代が戻っているような・・?。)
当時から、マイナーなバイクだった。(知ってます大体?。)

この時期の空冷GPzは、400、750、1100と、カウル付きは同じデザインコンセプトでまとまっていた。(よく見ると全くの別モノなのだが。)

750のエンジンは、古くはザッパー650の、空冷2バルブ。これを、普通のダブルクレードルに積む。リアサスはリンクで、アンダブも付いていたが、もう当時でも、見劣りするスペックだったように思う。

何でまた、こんなものに今さら乗るかというと。
随分昔だが、とある雑誌で、「歯に衣着せない正確なインプレッション」で有名だった某ライターが、妙にほめていたのを憶えていたのだ。

曰く、
「底なしのハンドリング」
何だそれ。(笑)

中古で安かったこともある。
しかし、これは素晴らしいバイクだった。

エンジンは、空冷のくせに、高回転まで気兼ねなく回る。高速の中央車線の巡行程度のペースなら、ラクにこなした。カウルのプロテクションも悪くなかった。

フレームも存外に丈夫だった。高速ぶっ飛ばしのペースからコーナーに入っても、不安なくスイスイ曲がった。とにかく、バランスがいいのである。

「怖い、おっとー、そんな場面でも、ちょちょいと補正しやり過ごした後、またすぐフルバンクで突っ込んで行ける。安心感の高いシャシだ。」

本当にそうだった。

そういう走りは、バイクを信頼できていないとやれないものだ。
破たんが不信につながらない。まさに、ハンドリングは「底なし」だった。

しかし。
造りの精度は悪かった。

エンジンは、クランクがゴロゴロ、ヘッドがベチャベチャ、と常にうるさかった。カネをかけて調節してもらっても、一瞬はいいのだが、またすぐ元に戻ってしまう。

エンジンのかかりも悪かった。しばらくセルを回し続けて、ぐずぐずいいながら、やっとかかるエンジンだった。忙しい朝はイライラした。

リアがエアサスで、これが古くなるとエアがよく抜けた。セッティングがビシッと決まった時は、例の素晴らしいハンドリングを堪能できるが、300km位のツーリングに行って帰って来ると、もうエアが抜けて尻が下がってアメリカンになった。この時のハンドリングは劣悪だった。セッティングの最適幅って小さいんだな、という勉強にはなったが。

私が触れたのが、程度の良くない個体だったのかもしれない。
しかし、まともに走れないのでは仕方ない。
やはり手放した。

あのハンドリングは、今も惜しいと思う高バランスだ。
しかし、中古を探す気にはなれない。

寿命が短いものは、公道バイクとしては使えない。
ハンドリングの他に、あれが教えてくれた、もうひとつの教訓である。

めでたし・・はもういいか。


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GPzなどと名前は同じでも、全く違ったバイク達だった。
改めて振り返ってみると、私が受けた影響は、小さくなかったようだ。

すっかりバックボーンフレームが嫌いになり、クレードルの信者になった。

ブレーキのタッチは、公道バイクの大切なファクターだと学んだ。

無骨で真面目なバイク達だった。それは昔の、カワサキのイメージ、そのままだったかもしれない。

今のカワサキはどうだろうか。


ombra 2005年 12月

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