149kg 29ps
「軽いバイクに乗りたいんだが」の件の続きである。
前回、CBR250Rには、ちょっとガッカリしたのだが。世間の下馬評では、今の250はちゃんと走る、のような評価もよく見かける。やはり、一種類だけちょろっと乗って、今の250ccはダメだ的な断定的な言い方をしていいものか、自分でも気になっていた。
各社の最新型の250ccのスペックを並べてみると、馬力は(在りし日の45psは望むべくもないという意味で)皆ほとんど同じなのだが、車重の方は結構な差がある。
中でも、一番最近に出た、このNinja SLが一番軽かったのだが、エンジンの形式はCBR250Rと同じ水冷シングルなのに、車重は161kg vs 149kg。これだけ違えば、走りも変わるかもしれない。そう思って、確かめに行った。
跨ると、とにかくコンパクトに感じるのはCBRと同じだが、こちらは、特に車体のスリムさに強い印象を受ける。ステップ幅も狭くて、足元がキュッと引き締まってイイ感じだ。これは、最近の極太ラジアル車にはない印象。
ハンドルは低めで、CBR250Rが「ほぼ水平目線」なのに対し、こちらは少し上目遣い。と言っても、さほどスパルタンではなくて、自然に背中が丸まって、身体が車体の上にこじんまりと収まる感じで悪くない。(身長が高い人は狭く感じるかもしれない。)上に盛り上がっている「せむしタンク」は、クルージングの時に、左手を置いて休ませるにいい位置と。(笑)
シートは心持ち高めだが、足つきは問題ない。どころか、至極軽い車重と相まって、跨ったまま、前後にヨチヨチ自由に歩ける。これは便利だなっと。(笑)
走り出す。
まだホントに新車で、エンジンもシフトも硬いんだが、エンジンはとにかく元気で、ビンビン→バビーン!と回りたがる。
丸&針のアナログメーターに慣れたオジサンには、液晶デジタルメーターってどうも見づらくて。どこからレッドゾーンか、よくわからなかったんだけど。CBRと同じように、5000rpmちょいでシフトアップ、トップで80km/h内外だから、スピードレンジはほぼ同じか。(排気量が同じだから当たり前。)
しかし、同じ5000rpmでも、CBRは「結構頑張ってんですケド」って感じなのに対し、こっちは「えっ?もうギヤ上げちゃうんですかっ?」と非難されているようで、5000rpmなんかとっとと過ぎて、さらにガンガン回りたがる。
さすがにシングルだけあって、トルクの方も、下の回転からそれなりに押してくれる感じはあるのだが、速度を下げる場面でシフトダウンをサボっていると、ガガガッ!とノッキングが早めに来るので、いわゆる「ドコドコ感」は期待薄だ。燃焼爆発によるピストンのキックは期待せず、ちゃんとシフトを下げてエンジンの回転を保持しつつ備えるべしと。その備えが、次の加速のタイミングで、右手で車体をコントロールする余力にちゃんと活きてくる。ガチャガチャ上げ下げで、左半身が忙しいんだが。(笑) 小排気量車の醍醐味でもある。
足回りは、正直、カネはかかってない感じ。よく言っても「かなり素の仕様」なのだが、それでもCBRよりは好ましくて、荷重に対する踏ん張りは期待できそうだった。(もともと速度域が高くはないから、期待値が低いのだが。)ブレーキもカワサキ流で、握りしろがえらく広くて、コントロール幅がかなり広い。砂や雨などの微妙な路面のコントロールにも、冷や汗をかくことは少ないだろう。
試乗コースが、混雑も目立つ街中の幅広国道という微妙なシチュエーションで、コーナー特性は、さほど試せなかった。だから、コーナーでのコントロール性について、私が言えるのは「入り口から覗いた風景」で、実際&詳細については、断言はできない。
だた、総じて、コンポーネントの出来、配置やアライメント、操作感、全て問題なしと感じた。
カワサキは、250ccで従来のツインに加えて、今回シングルを追加で出したわけだが、店員さんいわく、どちらかというと、このシングルの方をよりスポーティなイメージで売ろうとしているとのこと。乗ってみれば確かにその通りで、「元気でよろしい!」な感じだった。
CBR250Rとは、随分印象が違ったわけだが、上述のエンジン特性の他に、軽い車重や、CBRより細いタイヤなんかが、いい方にバランスしているのかもしれない。CBRはキッチリ燃費仕様のエンジンで、こっちは違う、というだけのことかもしれないが。ただ店員さんは、このNinja SLも燃費はいいですよ〜とは言っていた。(今時のエンジンだから、たぶんホントなんだろう。)
まあ、この剛性でこの出力だから、高速マニューバーで勝負ってのはムリな話だ。だが、普通の一般道のスピードレンジで、ライディングをスポーツとして楽しむ道具としては、いい線行っている。
でもねえ。
このエエ歳のオッサンが、こんな派手なカラーリングの、フルカウルの小さなバイクに打ち跨って、峠道で「カメッ!」(←古い)なんかやるというのは、全く「年寄りの冷や水」以外の、何モノでもないのでね。その辺は、やっぱり、ちとナンである。
こうして、軽いスポーツバイクに改めて触れてみると、予想外に考えたり、思い出したりすることがあった。
いつも乗っている大型バイクは、重い車重をエンジンの大トルクで動かすやり方で、もっぱら、右手のアクセルとブレーキで、車体のバランスを作り出す方法論が主になる。
対して、小排気量車の場合、車重が軽いかわりにエンジンの出力には余裕がない。人間の重さ(着座位置や姿勢など)の影響が結構大きいから、走行時の動的なバランスの粗方は予め人間が作っておいて、エンジンの出力はそれを補うようなやり方になる。だから、人間の立ち振る舞いに対し反応が素直なシンプルな車体というのは、安心感を得る意味で重要度が高い。さらに、エンジンが伸びやかに回ってくれると、単純に余力が増えて、天井が上がる感じに直結するから、実に楽しく乗れそうに思えてくる。
反面、厳しい一面も、厳然としてある。
大排気量車は、荷重容量も、エンジンの出力にも余裕があるから、ちょっとしくじっても、ブレーキ→アクセルの一連の操作で、やりなおし(≒ごまかし)が結構効く。対して小排気量車は、あらかじめ作ったバランスを、事後に(例えばコーナーに入った後に)作り直すのは難しいから、より丁寧に、慎重に、常に備えながら、走らねばならない。
大型バイクに慣れた人は、その余力に甘えて走ることに慣れてしまっている場合も少なくない。(私もそうで、その度に、ココロの
未熟者カウンター
をチンしている。)だから、一見イージーに思える小型バイクが、実はそうではない、という場合も大いにありうる。「小さいのはかえって疲れる」を通り越して「危ない」となると不幸なので、その辺は意識して、ちゃんと吟味した方がいいだろう。
「ラクさ加減」と「スポーツ性」については、また少し考えさせられた。
一般的な技術トレンドとして、4輪も含めて「スポーツ」を冠した乗り物が、レジャー用と混同していることが増えているように思う。
便利でラクで快適なレジャーが、最新や最適だと思うのは個人の勝手だ。時に「正しい」ことでもあるだろう。だが、それをスポーツと勘違いしていると、たぶん、行き詰る。
ただ聞いただけの話なのだが、あの有名な、ドイツの四輪スポーツカーでさえ、エンジンやシャシがあちこち「進化」して、電制が豊富に入った結果、素人さんがオチャメしても乱れもせず、まっとうに走るようになったのだと。
世間的には「進化」したのかもしれないが、見方によっては、素人向けに「退化」したともいえるそれは、あの、いろいろ素だった元々のスポーツカーを、手足のように扱うことに意味を見出して、さんざ苦心したり支払ってきたりした玄人たちにとっては、我慢ならない、鈍らな代物に感じると。
いくら機械が「乗りやすく」なって、走らせる労力を減らしてくれた所で、人間がその分、背伸びできるとは限らない。世の中、そうそう飛ばせる場所なんてないし(取り締まりも増えている)、エミッションとか規制は厳しくなる一方だ。だから「進化」した分の使われ方は、結局のところ、やりたくない人やできない人が、ボサッと走るのを手助けしていると、そういう面は否めない。
でも、メーカーのマーケティングなんかからすれば、昔ながらの玄人はだしのお客様はどんどん高齢化してご退場あそばしている上に、景気がいいはずなのにナゼ〜か若年層の給料は下がり続けているという「挟み撃ち」のご時勢下でも、売り上げ自体は伸びているんだから、この方向性は正しいのだ!という「大人の判断」で、ずっと進んで来ているのだろう。
そんな大勢は、バイクでもほとんど同じようだ。
国産バイクは(最近は西欧メーカーもだが)、言葉ではスポーツといいながら、実用車と同じような「省力化」、つまり「誰でもラクにスピードが出せる」方向性を、進歩の方法論として採り続けてきた。それは、スーパーカブからレーサーに至る「仕事用の実用車」では正しかったから、一見、妥当なように見えていた。ユーザーの側も、その矛盾を丸呑みしたまま来てしまっていて、どんなに尖んがったスポーツバイクにも、最上のホメ言葉として「乗りやすい」と言い続けて久しい。しかし、乗りやすいスポーツバイクが役に立つとは限らないのは、上の四輪の例と同じことだ。
実際のところ、公道では行き過ぎたスペックの機体を使いあぐねて、何だか暇そうに走っている新型のオーナーもよく見かけるし、やることがないのに上手くなるはずもないから、面白く乗れる余地も減ってる。つまるところ、この「乗り易さ」と「スポーツ性」の矛盾が、端的にバイクをつまらなくさせている大きな要因の一つになってしまっているように見えてしまう。
「乗りやすさ」自体を否定したいわけではない。例えば、ちょっと前のセローや、もっと前のハスラーなんかの優しかったオフローダー達を思い出すと、こいつらが敷居を下げてくれたおかげで、オフロードの楽しさに触れた人は多かっただろう。女性や小柄な人にとっては、違う意味で必須だったこともあったと思う。
ただ、一通りオフを走れるようになって、少し「遠くまで見通せる」ようになった時に、もっとうまく乗りたい、自分の力でキッチリ走りたいという、その向上心を無視するようでは、道具としては、よろしくない。
「乗り易さ」と「向上心に応えること」は、ある程度、矛盾する。(むしろ、極めるほどに離れていく。)優れた道具が、それに慣れない人に、異質なほどの使いにくさを感じさせるのはよくあることだが、悪いこととは限らない。それは、道具の作り手が、確かな信念を伝えようと意図した結果かも知れないのだ。
作り手も、乗り手も、その辺を誤解したり、逃げたりしてはいけない。
バイクの場合は、特にそうだ。基本的な段階での誤解は、時に危険を招きかねない。
だけど、きっと、そうはならない。
製品に対する最悪の評価として「面倒くさい」とも、よく言われる。
easyとenjoyに、同じ字を当てる国民性である。
(同じものだと思っている。実際はむしろ逆なんだが。楽なことは楽しくない。)
たぶん、ここしばらくは、IoTの曖昧な自動化の海にただ浮かびながら、それが最新であることを無邪気に喜べるタイプ(お金持ちかな)と、単純でシンプルで素直でわかりやすい物(ひょっとすると、みすぼらしい安物)の上に、自分の意思を乗せようと苦心する人(貧乏人かも)の、二極化が進むのではなかろうか。
少し前に、シンプル路線はアジアに期待するしかないのかなと、どこかに書いた気がするが。今回、一見「タイ製の安物」であるこっちの方が、印象が良かったというのは、何となく、そんなことを示唆しているように感じた。
何かを楽しもうと思った時、問題は「何をしないか」ではなく「何をするか」だ。
という原点に立ち戻ってみると、そもそも「軽くてラクなスポーツバイク」という今回のお題目そのものに、矛盾があったことに気付く。
だって、「軽くて良質なスポーツバイクは、まず、ラクではない」が、当然の帰結なはずなのだ。
今回の一連の試乗を通して、何か尻の据わりが悪いような感じがずっとしていたのだが、それは、私が自分で抱えた矛盾を、鏡に映して見ていたようなものなのだ。
人間、歳を取ると、自己の経験に拘泥するようになる。
新しい価値観を受けつけるより、自分の手持ちの評価軸で済ませようとしたがる。
(きっと、私もそうなっている。)
さらに、体力が落ちて、できることが少なくなってくると、「さらに何ができるか」や「何をしてもらってきたか」は忘れて、「今以上にしてもらえること」だけを、しきりに気にするようになる。
(私も、そうなりかけている。)
そして、そんな老人のことを、真面目に考えている人というのは、世間には、いないものだ。
だから今回、私なぞが、許せる道具に出会ったというのは、ひどく幸運なことなのだ。
手放しで喜ぶべきだろう。
若人の皆様にあらせられては、もし峠道で、遅っそいNinja SLのオジサンを見かけても、笑って許して、優しく抜いて行ってほしい。
とは言ってもね。ここしばらくは、二輪四輪を含めて、路上のお年寄りは増え続けるだろうから。ゆっくり抜くべき相手に囲まれちゃって、身動き取れないかも知れないんだけどね!。
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