MOTO GUZZI の品質について


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「デキのいいバイク」というのがどういうことを言うのか、人それぞれだと思う。
ここでは、「イタリアのバイク」などというキワモノ(?)に触れる上での考え方の一つとして、バイクを造り上げる「技術」を「設計技術」と「量産技術」に分けて考えてみたいと思う。


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設計技術とは、簡単に言うと、図面までの技術力のことだ。

まず、こういうバイクを作ろう、というコンセプトから始まって、エンジンはこんな、搭載位置はここ、フレームワークはこうで、タイヤはこう置く、といったような「設計」、これを上手くおさめないと、ちゃんとしたバイクにならない。これは、すぐに納得してもらえると思う。

しかし、いくら素晴らしい理想を体現した設計でも、製造や維持が極端に難しいような「絵に描いた餅」では、お話しにならない。性能の実現性:製造や耐久性、整備性への配慮は不可欠である。一方、量産技術とは、高い品質を均一に多数、製作できる技術力のことだ。

これは日本のメーカーがダントツである。同じものを何万台も量産しても、不良品をほとんど出さない(多分)。部品の品質と組付けの管理技術のすさまじさである。

これら二つの技術は、厳密には区別できない。造れない図面に意味はないが、いくら壊れなくても駄作は駄作である。製造に設計が譲ることもあるだろうし、製造技術の進歩が設計をラクにすることもあるだろう。

要は、こういった技術の相克の把握に努めることが、バイクの品質を理解する一助になる、ということだ。そうすれば、「良くないバイク」に出会ったとしても、悪かったのは何か、良くするには何ができるか、次はどうしたら良いか、がわかるようになるだろう。

メーカーの組織では、設計と製造が分かれていることが多い。
だから、個人的には、
「製造にも配慮した図面が出来上がるまで」が設計技術で、
「実際にその通りに製造できるかどうか」が量産技術だ、
と判別して良いと思っている。


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MOTO GUZZI に限らないが、日本のメーカーに比べて、小規模ながら、今だにバイクを量産しているメーカーは、設計技術に特色がある、としてよいと思う。優れた着想による独自の価値観を、長い熟成を経て供給し続けており、その価値観がユーザーに浸透し、かつ確たる支持を得続けている、だからこそ、メーカーとして成り立っている、そういう行き方である。

その初めとなる「着想」は、いわゆるマーケットリサーチなどに(あまり)依らない、文字通り個人の「思いつき」「理想」などに依っている場合が多いように思う。当然、マーケットに受け入れ難いような「着想」だけでは立ち行かないし、しっかりとした技術的な裏打ちも必要だ。そういう意味で、まるきりの独善で行ける訳では決してないのだが、その辺の折り合いをつけるやり方も、個人の「スタイル」で、とそんなやり方だ。例えばイタリアでは、タンブリーニ、マルコーニ、テルブランチといった「個人名」で仕事が語られることが多いのは、そういう仕事のスタイルが、今でも根強い証拠と見ることができるだろう。

「着想」の価値、普遍性を判断するのは、市場である。市場の趨勢から発想する日本車に比べ、そう言う意味で、正反対の考え方と言えると思う。

だから、小メーカーの製品に触れる喜びというのは、思いもしない方向から真実を突いて来るような、そういった「着想」や「情熱」に触れ、評価し、うなる。そういう楽しみだと思う。

「好き嫌いがはっきり分かれる」などという言われ方をするのは、そのためだろう。一種の「相性」なのかもしれない。


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MOTO GUZZI は、「バイクの製造はこうすればよいのだ」というような技術トレンドが発生する遥か以前から、バイク造りをビジネスとして来た。だから、独自なものを独力で作り上げる「設計技術力」を、ちゃんと持っている。

その例をいくつか挙げようと思うのだが、実際に乗ってどんな感じか、というのは別項に書いたので、ここでは、デザイン面での「着想」の幾つかを示したいと思う。

● クランクケースが分割しない

普通、クランクケースはボルト止めの分割構造である。左右/上下の方向は違え、ほとんどのモデルで共通の構造だろう。一般には、クランクが短いシングルやVツインは左右分割、四気筒等の長いクランクは上下分割、が大多数と思う。

みっちり計算したわけではないので感覚論なのだが、後者の、分割面でクランクを支える構造というのは、本質的に「厳しい」構造なのではなかろうか。クランクケースの合わせの面精度が、クランク支持の精度に直接関わるし、ケースのゆがみで発生したクランクのモーメントが、ケースのゆがみを増す方向に働く。クランクケースは何度も開けるものではない、などと言われる由縁だろう。

さて、MOTO GUZZI のクランクケースは、基本的に分割はしない。クランクケースは、一体構造の鋳造品である。これ自体、剛性確保のために、きめ細かな造形を施した逸品だが、これに、クランクを支えるベアリングハウジング(下の図の矢印の部品)を、クランクの軸方向に、ボルト止めする構造を取っている。


 Mario Columbo " MOTO GUZZI " NADA社 ISBN :887911039X
 より図面を拝借、矢印を追加。

これならば、クランクの支持も楽だし、猛烈な剛性を確保できる。精度も出るので、あの頑丈なクランクを、キッチリ支えることができる。

四気筒辺りの「一般的な造り」とは相当に違うし、コストもかかると思う。しかしMOTO GUZZI は、この構造を変えようとしない。この構成で得られるメリットを維持するために、必要なコストだと判断しているからなのだろうと思う。

実際に乗ってみると、その成果もきっちり出ている。
あのゴツいクランクがあんなにブチ回って、しかも長寿命。
すごい造りだと思うのだ。

クランクケースが分割する「一般的な造り」と違うから「遅れている」というような言われ方もよく聞く。しかし、時系列で見ると、そういう製造法を日本のメーカーが「一般化」した方が、GUZZI のこの設計より後なのだ。違うのが当たり前なのである。


● 手袋のようなフレーム


写真はいわゆる「トンティフレーム」の例

バイクのフレームは、ステアリングヘッドと、スイングアームピポッドを、いかに上手くつなぐか、に尽きる。これら「支点」の間にあるエンジンをよけつつ、どうつなぐか、がデザインのセンスなのである。

まず、写真のトンティフレームだが、いわゆるダブルクレードルで、一見あまり特色がない。しかしよく見ると、エンジンの寸ギリギリまで詰めた、できる限りの直線で構成された設計だ。キチキチに詰められていると言う意味で、「手袋のような」と形容されることもある。支点周りのモーメントにも考慮されており、小さくて剛性が高い。結構デキのいいフレームなのである。

MOTO GUZZI はこの後スパインフレームを造るが、これはステアリングヘッドとスイングアームピポッドを直線で、Vツインの間を一本、ズドンとつなげた構成だ。そう言う意味で、工学的にこれ以上「潔い」フレームはありえないだろう。縦置きVツインはあまり例がないので、設計も独自性が必要なのだ。

さて、ちょっと話をずらすのだが、もしあなたなら、どんなフレームを考えます?。

流行りのツインチューブなんかでは、シリンダーと場所がカチ合う。フレームを外に迂回させた「デブ」か、エンジン位置を下げるかステアリングヘッドを上げるかした「マヌケ」になってしまう。

エンジンの上を迂回した、くの字型のバックボーンもいいかもしれない。実はグッチの最新型はこれ。(Breva 1100とか。)

私は密かに、ハブステアと相性がいいのでは、と思っている。前輪のスイングアームの取り付け部となるクランクケース下部の幅が狭いので、設計の自由度が高く、応力マネージメントもやり易そうだからだ。もし実現したら、ハブステアと空冷OHVのミスマッチが笑えそうだ。

しかし、だからといって、水冷DOHCで頭でっかちになった「アフロな新世代Vツイン」なんて、私は見たくないなあ。(笑)


● ウインカースイッチの例

どうも技術っぽい話はわかりにくいので、もっと簡単な例として、ウインカースイッチを挙げてみる。

MOTO GUZZI のウインカースイッチにも幾つかあるのだが、ここで取り上げるのは、80年代中盤のモデルに装着されていたタイプである。



右の矢印の「緑色の出っ張り」がウインカースイッチだ。
上下に倒してONさせる。上に倒すと「右」、下が「左」。

一見、分かりにくいようだが、要するに、四輪の輸入車のウインカーと同じ操作要領だ。

さて、問題は「戻す時」で、その緑色のレバーで戻そうとすると、操作が微妙で、相当にやりにくい。 実はそうではなくて、「戻し」の操作は、左の矢印の丸印、レバーの付け根が広く張り出している。これが上下にあるのだが、ここを押すのである。
ツライチまで押せばいいだけだ。大変に簡単である。

と言われればその通りなのだが、説明書のない中古を、ろくな説明もされないまま乗っている場合など、気付かないことも多いようだ。で結果、「GUZZI は変な所がデザイン優先で使い難い。国産品に換えて正解」となったりするのである。

この形式のスイッチは、慣れるのにもさほどかからない。BMWの左右分割・上押し上げ式や、すぐ部品が減ってタッチが悪化する、一般のプッシュキャンセル式などよりも、長持ちで使い易い。見た目も、スマートでカッコイイとも思うのだが。
「イタリアデザインの粋」てやつですかね。(笑)

「パッと見が妙でも、GUZZI の造りにはちゃんとした意味がある」という、私の物言いの感触は、つかんでもらえただろうか。


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さて、もう一方の「製造技術」の方だが、これはもう、日本のメーカーに全くかなわない。初めから白旗である。

というのは、基本的に、製造技術というのは、数を作らないと向上しないものだからだ。

簡単に言うと、1万台に1台出る不具合というのは、実際に1万台造ってみないとわからないものだし、その原因を確実に潰せたかどうかは、さらに10万台くらい造ってみないと判らないものなのだ。

パーツ管理などのマネージメントは、「日本式」というお手本のいいところを導入すれば、改善は見込める。しかし、やはり数を経験した者の強みは、簡単には真似できない。理論として一般化しにくいので、各々の状況へ適応した形で、展開し直すことが難しいのだ。

そう言う意味で、MOTO GUZZI の製造技術は、日本車レベルでは全くないし、そこまで向上することも、多分ないだろう。

では、MOTO GUZZI のバイクには価値がないのかと言えば、決してそうではないと思う。実際の使用に問題がある程、レベルが低い訳ではないからだ。

MOTO GUZZI の設計に抜かりはない。製造や整備に対する配慮もされている。整備が行き届いていれば、日常の使用に全く問題ない。

現に私のGUZZI 達は、定期的に点検整備に出しているだけだが、路上で不具合を生じたことは、一度もない。

製造技術に関する弱点は、補完可能なのである。


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バイクのメーカーの仕事は、「製造」だけでは終わらない。「維持」のために、同じ(または代替)パーツを造り、ストックし、供給し続けなければならない。その「サポート力」は、ユーザーがバイクを楽しむためには大変に重要だ。イタ車あたりは、この辺がまず疑問視される所でもあろうと思う。

サポートの強さというのも、実際には製造数に依存する。また近年では、「儲からない分野のサポートはバッサリ切り捨てるのがいい経営だ」のような風潮も強いようで、大きいメーカーでも安心できないのが、一般的になって来ていると思う。

MOTO GUZZI のサポートは、当然、日本車並、というワケにはいかない。しかし、サポートをないがしろにする考えはあまりないようで、消耗部品は供給され続けているし、外装などストックし難いパーツでも、待てば手に入る、といった状況が維持されている。 だから古い機体でも、本当に「ぼちぼち」という感じになってはしまうのだが、「もう長いこと走れない」というほど、維持に困ることはないだろう。

メーカーとしての規模の小ささを考えても、サポートは地道にしろ確実に続けている。業績規模の拡大に躍起にならない「身の丈経営」が、良い方向に影響しているようにも見える。(ひいき目かな。)


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機械ものですから壊れないとは言えません、でも日本車だってエンコすることあるでしょ、なんて、中古屋の営業のようなセリフは、ここでは意味がないだろう。

やはりMOTO GUZZI に、日本車ほどの安心感は、持てないだろうと思う。

しかしそれは、先入観的な安心感の程度の差であって、実際に問題になることは、ほとんどない。

「既に麻痺している身」として苦笑ながら言わせてもらえれば、そんな安心感の差などの為に、MOTO GUZZI のような「キワモノ」もとい「逸品」に触れる機会を逸しているとしたら、実に勿体ない。

その程度の余裕は持っていたいものだと思う。
バイクは「趣味」なのだから。



ombra 2005年 12月

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