MOTO GUZZI の改造について


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雑誌等を見ていると、MOTO GUZZI は出来が悪いので、いじらないとマトモに走らない、といった印象を受ける場合も多かろうと思う。しかし、そんなことは全くない。

改造には、大きく分けて二つの目的があると思う。
・耐久性や整備性の向上
・絶対性能の向上

MOTO GUZZI に関しては、どちらもさして必要ない。ノーマルでも十分走るし、楽しめる。モディファイを、前提条件として考えてもらう必要は全くない。この点は、安心して頂いて良いと思う。


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改造に関し、私が実際に見た例を、幾つか挙げてみる。

● ポイント点火をトランジスタに改造する

メンテフリーになり、始動性が良くなり、パワーもちょっとアップする、などと言われたりする。

もともと始動性はノーマルでも悪くないし、パワーもそうそう使いきれるほど少なくもない。点火時期の調整は不要になるが、これで点火は完全に安心、とはならない。トランジスタユニットが抜けてしまえば、一巻の終わりだからだ。何の前触れもなく突然、全く動かなくなる、というたちの悪い壊れ方になる。

実はポイント点火も、そんなに悪くはない。機構が簡単で値段も安い。維持は思うほど難しくない。点火時期をわざと変えて、遊んだりもできる。それに、調整がバッチリ合った時の、何と言うか「すっごい」って感じが、また何とも楽しいのだが。(笑)


● パワーフィルターを装着する

メンテナンスも簡単だし、パワー、レスポンス共に向上します、などと言われたりする。

低速での吸気の抵抗は減るようだ。ガスを濃くする方向で、キャブのリセッティングが要るらしい。

しかし、これでパワーが上がるかと言えば、そう簡単ではない。シリンダーの真後ろで、暖まった空気を吸うことになるからだ。吸気の量が増えても、温度が上がっては何にもならない。ターボ車からインクラ取っ払うようなもんである。パワーが上がるかどうか、状況次第だろう。(気温、車速、右手の捻り方、などなど。)

私が一番気になるのは、吸気のフィルトレーションの効率が落ちることだ。MOTO GUZZI はメッキシリンダーが多い。吸気のろ過には、気を使っておいた方がいいと思う。


● デロルトφ40を軽く:横引き→縦引きに操作方法を変更

これはルマン1000の話だが、アクセルが重すぎてよくないので、軽くするキットをつけましょう、などと新車時から勧められていた代物である。

確かに軽くはなるのだが、全開までのストロークが長くなる。手首が柔軟な人以外は、握り直しが必要になるだろう。

また、スプリングが弱くなるので、高回転時にアクセルを戻した際、キャブが張り付いて戻らなくなる可能性がある、という話も聞く。どちらにしろ、発生する懸念は高速時のものなので、もしもの時のダメージは大きい。

MOTO GUZZI が、わざわざアクセルを重くした(重くなった)理由も、ちゃんとあるはずなのだ。注意した方がいいだろう。


● 集合管:特にクロスパイプ

バイクを買ったらエキパイを換えるものだ、という信仰は根強い。
MOTO GUZZI に関しても同様らしい。

しかし、エキパイというのは、技術的に、そう簡単なものではない。市販品の中には、プロの設計技術者が見れば、笑っちゃうような代物も多いらしい。「何を狙ったんだろう。低中速?高速?」。特にクロスパイプは、流力を無視したキワモノ、という評だ。

いずれにしても、いっぱしの大人なら、ポン付けで全域パワーアップ、などというウマすぎる話は、ちゃんと疑った方がいいだろう。

私はどうも、アフターパーツはピークパワー重視、という先入観を持ってしまうのだが。

レッドゾーン間際のピークパワーで勝負、などという、ウチのカミさんの朝の準備のような刹那的な設定は、私は御免こうむりたいが。(笑)


● 油圧クラッチキットを装着する

ワイヤー切れの恐怖から解放されますよ、などと言われたりする。

しかし、実際のモノを見ると驚く。取り付け部の剛性がまるで足りていない。クラッチを握る度に、ぐにぐにと歪んでいる。クラッチは猛烈に重くなった。また、タッチがデッドになって、加減がよくわからなくなった。

半クラが強烈に難しくなり、立ちゴケの危険性も高まった。
これは疲れそう・・。

こんなんなら、クラッチワイヤを早めに替えておく、という方が、よほど安心だと思う。


他にもたくさんあるのだが、要するに、まとめると以下のようなことである。

● イタリア人は仕事が適当なので、日本人がいじれば良くなる

私も以前は、こんな先入観を持っていた。
しかしこれは、悪質な都市伝説だ。

実際、できるイタリア人が集中力を発揮している時の仕事というは、普通の日本人の比では無い。仕事の良し悪しは、国籍ではなく、個人の実力に依るのだ。

MOTO GUZZI は、基本設計はしっかりしているし、構造にはちゃんとした理由がある。それを考えもせず、適当な改造を重ねてしまうと、必ず落とし穴にはまる。思わぬ二次故障を招いたり、耐久性を落としてしまう。

自分の機体で、都市伝説の証明を試そうなどと、間抜けなことはなさいませんよう。


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よしんば、MOTO GUZZI は製造バラツキが大きく機構的に安定しないものだ、としても、それが改造で良くなることは、多分ない。

街の改造屋さん・部品屋さんの方が、技術的ではメーカーよりも劣っているからである。

もっとちゃんと言うと、MOTO GUZZI が一般の国産バイクより劣っているのは量産技術であって、テストや生産の数でメーカーより劣る改造屋さんが、メーカーにかなうはずがない、ということだ。

具体的に幾つか説明しよう。

改造屋さんの試作機でよい結果が出たとしても、それがあなたの機体で再現するとは限らない。改造屋さんは、製造安定性が確保できる程の数を造っていないし、製造後の市場の追跡検証も、多分していないからである。

また、その性能が、今後どのくらいの期間、維持できるのかもわからない。実際の使用状況を鑑みた耐久試験を、数こなしているわけではないだろうし、また、たとえレースで試していたとしても、テストとしては状況が偏り過ぎているし、サンプル数も少なすぎる。技術の裏打ちとしての説得力は、あまりないと思う。

例えば、同じ「ツインプラグ」でも、改造屋さんとメーカーのものでは、出来がまるで違うだろう。それもそのはず、開発にかけたカネ、時間、試作数、どれを見ても、その差は歴然だ。

さらに悪いことに、改造というのは、元に戻す方が高くつく場合が多い。機械加工を施して改造パーツを装着した場合、削ってしまったノーマルパーツまで買い戻す必要がある。

また、装着した改造パーツよりも、外してしまったノーマルパーツの方が高い、という場合も少なくない。(ノーマルパーツの方が質が高かったりする。)

そんなわけで、ストック状態への復帰作業は、二重三重に出費がかさんだりするものなのだ。だから、改造した結果が、あまりよくないなと感付いても、後戻りができず、そのまま漫然と乗っていたりする例もあるようだ。

改造中古車を、ノーマルに戻さず、そのまま売っているのも、ほとんどが同じ理由(戻すと高い)によると思っていい。

だから、改造車の市場価値は下がるのだ。一般に、かけたほどは取りかえせない。しかし、維持費は相応にかかる。(ワンオフパーツなんか、維持するのが大変な場合も多いと思う。)

結果的に、改造は、あまり良い選択に見えない場合が多いと思う。
やる場合にもせめて、外したノーマルパーツは、忘れずに必ず「返して」もらった方がいいだろう。(次のメシの種というつもりなのか、勝手に捨てられてしまうことがほとんどだ。)

もう一つ。同じような理由で、安売りパーツにも注意した方がいい。安いのには、それなりの理由が、また必ずあるからである。ウマイ話などというのは、そうそう転がっていないものだ。これはバイクに限らない、世の中一般の「常識」だろう。


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高速のPAで見かけた、大改造MOTO GUZZI のオーナーに、話を聞いたことがある。
車両を一瞥すれば、かけた金額は相当だろうことは瞭然だった。
その見かけ通りの「金額」と「苦労」について、彼はいろいろ語ってくれた。

その中で、次の一言が妙に印象に残った。
「ツインプラグの、燃焼の速さがいいんですよ。」

燃焼が速い、遅い、というのが、どういう感覚なのか、私にはわからない。しかし、少なくとも、ノーマルのMOTO GUZZI に乗っていて、燃焼が遅くて困ったことなど、一度もない。

そもそも、ツインプラグに改造しても、燃焼(火炎伝播)速度は上がらない。燃焼時間は減るかもしれないが。

私は逆に、燃焼室に大規模な加工を行うことで、燃焼モードが変化したり(ピストンや燃焼室がダメージを受ける)、ヘッドの耐久性を落としたりする可能性がある方が、恐ろしいと思う。

彼のあの一言は、改造屋さんの受け売りではないか、と今は思っている。

あのオーナーさんは、その後も、あの機体を楽しんで乗っているだろうか。
10年20年後も、同じように笑顔で乗っているだろうか。


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850ルマン以降のMOTO GUZZI の性能というのは、それが完調であれば、既に、一般ライダーが容易に使いきれる程、たやすいレベルにはない。また、そうそう使い難い程に、出来の悪いものでも決してない。

まずは、本来の性能を発揮できるよう、基礎整備にいそしむ。ノーマルを乗りこなし、その本来の姿を理解した上で、どうしても納得できない部分があるのなら、副作用やリスクを承知で、改造する。そういうアプローチなら、ステップアップとして順当だろうと思う。(というのは、本当はMOTO GUZZI だけではないのだが。)

大変にいじり込んだMOTO GUZZI を、10年20年と乗り続けた(持ちつづけただけ、ではなくて)という例を、私は知らない。

逆に、ノーマルのMOTO GUZZI を何十年/何十万キロ、と乗り続ける例は、身近にたくさんいる。

「ノーマルが一番、実用域が広いからです。」
とは、私が世話になっている、整備屋さんの受け売りである。

私も実感として、そう思う。


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矛盾するようだが、私は、「いじる楽しみ」を否定するものでは決してない。私は、機械いじりは大好きである。何しろ、ネジを回してると、ストレス発散になるという変人だ。

MOTO GUZZI は、古っぽくてメカメカしい。いじりがいもありそうに思える。しかし、言われている程、いじるに適した素材ではないように思う。

いじる楽しみとは、手をかけて、調子や性能が上がるという「成果」を指すのではないかと思う。MOTO GUZZI は、自分で手をかけないと「成果」が得られない程、デキは悪いわけではない。いじり道楽というのは、「成果」に必然性や必要性がないと、長続きしないものなのだ。(次の個体に食指が延びたりする→「買う楽しみ」にシフトしてしまう。)

さらに、世間によく見る「パーツを組み上げ」て「仕上げる」類の「いじる楽しみ」と言うのは、どちらかというと「持つ喜び」に近い。持つ喜びは、大概は、手に入れた辺りの一瞬で終わる。だから、資金回収の効率は高い方がいいと思うのだが、MOTO GUZZI は、パーツが高価なのに、売り値は安い。割に合わないのである。

また、もし絶対性能(馬力や最高速)が欲しいのなら、初めから「よい」日本車にした方が、よほど現実的だ。

繰り返すが、MOTO GUZZI は、いじらなくとも走る。走れば面白い。だから、走る楽しみのために使った方が良い。

「持つ喜び」と違って、「走る楽しみ」は、走る度に味わえる。
その方がおトクだ。(MOTO GUZZI の本懐でもある。)


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おしまいに、たとえ話をひとつ。

ネコ好きにもいろいろいらっしゃる。
みんな、ウチのが一番とか、そんなんですわ大概。

でも、みんなしあわせそう。(笑)

さて、もし、ネコを仕込んでワンと鳴かせる人がいたら?。
本懐 そりゃスゴイ。ニュースだ。すごいネコだ。
何?ネコが不憫?、うるせえ俺のネコだ勝手にする?

まあまあ。

そうですね、好きにすればいいんじゃないすか。
法に触れない程度に。

でもね。

もしワンと鳴くのが好きならば、初めからイヌを飼った方がいいんじゃ・・?。

私が言いたいのは、まあ、そんなようなことです。



ombra 2005年 12月

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