今までに乗ったMOTO GUZZI

Le Mans III について

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人情として、もともと乗っていたルマン1000とつい比べてしまうのだが、比較論としては、mopedさんの記事に全く同感である。私なんぞより、はるかに分析的、理性的で、的確だ。

しかしまあ、せっかく私が書くのだから、いつものように、もっとメロウな記述を(笑)以下、行ってみたい。


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1000と比べると、ルマンIII は、低く、スリムで、弱い。
では優しいかというと、そうでもない。
取っ付きは、1000の方がはるかに良い。
ルマンIII は、スタンドから下ろし押し始めた瞬間から、扱いづらさを感じさせる。

GUZZI 特有の癖が強い。ただぼんやり乗っていると、やたらと頑固な、直線番長に感じるだろう。

しかし、慣れるのは難しくない。遠くのハンドルに手を伸ばし、腕から力を抜き前傾を保ちながら、脚で車体を抱えてやる。バイクの挙動を感じながら、アクセルを当てる方向で、腰の辺りでバランスを補正してやる。

ちょっと長めに感じる車体に、寄り添うように乗ってみる。

途端に、こいつの態度は氷解する。

乗り味は、ルマン1000とは、全く違う。「ルマン」という系譜で一括りにされがちだが、こいつは「1000の前の型」などではなく、別の車種と考えた方がいい。

その違いは、ちょっと言葉にし難いのだが、簡単に言うと、「共に走る感覚」と言えるかもしれない。


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ルマンIII の走りには、動作の一つ一つを、丁寧に作り上げて行くような感触がある。

ひとつひとつ、探り、確かめながら、積み重ねて行く。それらが、走りの質を決めて行く、そんな感覚だ。積み重ね、積み上げしているうちに、走りの質は上がり、認識が深まって行く。

ここで言う「走りの質を上げる」とは、国産スポーツ車のように、アグレッシブに走りを組み立てること(単純に、ペースを上げること)を、必ずしも意味しない。まずバイクの性能があり、その上に乗っかる、という感覚ではなく、バイクの基本的な性能を出せるようになるまでに、既に階段があるのだ。

国産車なら、登らずに済む階段である。
そんなもの、無駄じゃないか。

いや、そうでもない。
ルマンIII に乗っていると、そう思えてくる。

「些細な動作も、探って積み重ねた『答え』である、という感覚」
その利点は、二つある。

まず、大きな安心感をもたらしてくれること。走りの隅々まで把握できている感覚が強いからだ。

次に、無理をしなくなること。隅々まで認識できているからこそ、できるかどうかは冷静に判断できる。そこに、感情が魔をさす隙はない。

性能と状況と腕を勘案し、可不可を判断、対処する。当たり前のことなのだが、ルマンIII だと、それが妙に現実的に行える。この現実感が、地に足がついた安心感をキャスティングしている。

ルマンIII の天井は、思ったよりもかなり高い。が、ライディングの現実感は保たれるので、猛烈な域でも走り込んでも、無理している感じはほとんどない。

飛ばした時のルマンIII は、あでやかだ。GUZZI 独特の癖も強いかわりに、GUZZI 特有のツヤも濃い。それを愉しみながらのクルージングは、GUZZI のスポーツモデルだけが持っている別世界だ。

それは、巷のハイパースポーツにありがちな、バイク様に跨がってブッ飛んでるだけ、と言った「踏み台に乗っかっている感じ」とは全く違う。現実に足をついたまま、高みの愉悦に手が届く「自分の背が伸びたような感じ」そんな演出をこなしてしまう、道具としての優秀さが、GUZZI の真骨頂だ。ルマンIII は、それを濃厚に教えてくれる。

ルマンIII の限界特性は、実はかなりの優れものだ。万一のときも、思ったほど怖い思いはしなくて済むし、少しだけなら無理も利く。絶対性能は、一般的な人間の能力に対しては、既に必要充分だ。(絶対性能では、新型に勝てない。念のため。)

ペースにかかわらず、安心して操縦を楽しめるので、距離を伸ばしても疲れない。
後はもう、思う存分、走るだけ。

「共に走ってゆく感覚」
少しは、ニュアンスが伝わっただろうか。


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ちょっとしたアクシデントがあって、大変な軽装でルマンIII に乗る機会があった。
(ライディングの装備一式を、クルマん中に閉じ込んだバカが居ましたとさ!。笑)

お古のヘルメット、チノパンにスニーカー、素手。
素手でバイクに乗ったのなんて、ガキの頃の原付以来だ。
そんなんで高速を何十キロか走る羽目になったのだが、意外にも、大きな発見があった。

普段、皮パンを始めとする通常の装備で触れていたので、気が付かなかったのかもしれないのだが。

このバイク、異常に手触りが良い。

「手触り」というのは、止まったまま、アクセルをぐりぐりやってみて、シルキーとかスムーズとか、そういうことではない。実際の動作状態で、操作そのものの感触と、機体の反応の作法が、実に心地よい調和を成している、といったような意味合いだ。

その感触は、例えて言うと「一張羅を素肌にまとったような感覚」だ。

本当に仕立ての良い服というのは、一級の心地よさをもたらす一方、それを着る人間の姿勢を正し、はつらつとさせるものだ。結果、服の風合いとの釣り合いが、自然に取れるようになって行く。その、身体に馴染んだ一張羅を、部屋でふと、素肌にまとってみた。そんな感じだったように思う。(端から見ると間抜けな姿、というのも同じだが。)

ルマンIII の風合いは、機械的、数値的なスペックだけではなく、こういった手触りのような、様々な要素が絡み合って創られている。

たなごころの感覚をハンドルと接地面にいだき、さまざまな事象に、冷静に対処して行く。いつも通りの動作だが、そこでの感触の一つ一つが、現実感を伴いながら、愉悦に直結する。

まさに、飽くことがない。(飽きても、他に行けない。)

名車というのは、一瞬に輝くものではない。
持続する概念なのである。

この機体が感じさせる「深さ」とは、その「器」の大きさなのだろう。
そんな印象を持った。


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公道バイクの解として、ルマンIII が持つ説得力は並大抵ではなかった。
私は、打ちのめされたように説得されている。

こんなに凄い解が、しかもそれを具現化した実物が目の前にあり、かつ相当以前から既に存在していたという事実に、私は驚嘆している。

ルマンIII が持つ普遍的な感覚、長期間の使用を前提としたその概念は、短期間での買い替えが大前提である昨今の市場では、もうどうにも実現できない解だろう。

探し求めていた答えは、とっくの昔にあった。
しかしそれを今では、再現すらできない。
この歯痒さと悔しさは、ノスタルジーなどでは決してない。


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と、美辞麗句をば滑らかに並べてみたわけだが、このまま美しくは終われない。

ルマンIII は現実感が強い、と書いた。
現実は、美しいことばかりではない。

まずモノとして、ルマンIII は古い。履歴により個体差が大きいし、年代的にも、大きなメンテナンスを要する時期に達して来ている。年式の割に妙に高いくせに、修理や整備にも思ったよりかかるだろう。たぶん、維持をし続けるには、相応の覚悟が要る。

次に、乗り味の方も、実際に乗っている間の我慢は思ったより多いだろうし、結論が形を成すまで、時間がかかるだろう。

そして、得られるものは保証できない。ルマンIII は間違いなく銘品だが、それを気に入るかどうかは、相性の問題、簡単に言ってしまうと、運だろう。

そんな訳なので、既に自分のスタイルを変えることに抵抗が強いご年配には、ルマンIII はお勧めしない。このクラスに金額的に手が出せるのは、ある程度は年が行ってから、というのが現状だとは思うが、その分「挫折」の確率も大きいように思う。(ルマンIII の「掘り出し物」が意外と多いのは、そのせいかもしれない。生産台数も多いのだが。)

私は、こういった機体にじっくり触れてみるのは、若いうちの方がいいのではないかと思う。ルマンIII が持つ類の感性は、今の時代には大変に貴重だが、これを感じ取り、実際に生かすには、バイタリティと吸収力の両方が要る。オジさんよりも、意外とすんなり乗りこなせたりもするようだ。(とはいえ、素人さんには無理がある。ある程度の下積みは必要だろう。)

多分、ルマンIII に合っている人とそうでない人は、ある程度、明確に分かれる。だが、どういう人に向いているのか、私にはまだ、具体的には描けない。

ただ、この古い割に高い機体に、カネと時間と手間を割くことができる「器」が、人間の側にも必要だろう、とは思う。(「相性」の正体は、「多元的なバランス」である。)

ルマンIII 自体は、構成も性格も、大変に簡素な機体と言えると思うのだが、市場的な環境に恵まれていないせいで、正体が見えにくい。ルマンIII はみな、プレミアと修理と改造の、あいまいな混沌の中を過ごして来たし、多分、それに手を出そうとするあなたにも、同じ衣を着せようとする連中が後を絶たないだろう。それに独力で立ち向かえる確信がないなら、ルマンIII は止めた方がいい。早期の「挫折」に参列し、業界の収益にご貢献遊ばすだけの結果に終わるだろう。

私のルマンIII に、次に誰が乗るのか、ルーキーかベテランかはわからない。だが、その時のために、なるべくコンディションを維持するよう、努力したいとは思っている。


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ルマンIII
それが居る光景。

バイクの上で、暖気の音を聞きつつ、遠くのハンドルバーに手を伸ばす。
まだ明けぬ街の見慣れた風景を、シールドの上端ごしに見やり、
足の裏の感触を、路面に突いた片足から、タイヤの接地面に移す瞬間。

その一瞬を、こよなく愛する人の傍らに、
この機体は、永くあり続けるのだろうと思う。

 Ecco, andiamo.


※ 念押し
ここに書いた感触は、ノーマル完調の機体によるものです。
「共に走る感触」が、いじって良くなるワケないでしょ・・。



ombra 2007年 3月

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