モスラ闘病記2



キエリボウ氏の優雅な生活
(月刊ALL BIRDS 1999.6月号)
血液検査の決断

 A動物病院は開院間もない新しい病院だった。

 院長のA先生は若くて向学心に燃える熱心な先生である。訪れた飼い主に丁寧に症状を説明したり、投薬の仕方を教えたりと、何かと相談しやすく色々と親身になって聞いてくれる。受付は奥様が担当しているのだが、こちらも笑顔で気さくに話しかけて緊張気味の飼い主の心を和ませてくれたりして、病院の雰囲気がいい。

 まず、問診表を書く。飼い主の住所氏名はもちろん、ペットの種類や雌雄、名前と年齢を書き込む。これはお決まりのことなのだろうが、最後に獣医師の判断、医療行為においてそれに従うといった旨の同意書にサインする。

 私自身も入院した時に、緊急手術になった場合に関する同意書に署名した記憶があったので
「ああこれか」と思ったが、形式上とはいえ何だかモスラの病気が切迫したもののように思われて少しつらかった。ここもやはり生と死の隣り合わせる医療の場なのである。

 電話でかなり詳しい話までしていたのですぐにフンの状態を見てもらう。新しいフンを持参するように言われていたので朝一番のものを用意していたのだが、尿も見たいからとカゴの底の出立てホヤホヤのフンと尿を採取した。
「どうぞこちらへ」とすぐに診察室に通された。中にはそのまま秤になる診察台に椅子。先生は顕微鏡のモニターを見せながら説明を始めた。
「フンには虫などはいませんね。ちょっと問題なのは、尿の中に脂肪円柱がかなり出ているということなんです」

 脂肪円柱? 聞き慣れない言葉にモニターをのぞき込むと細かい丸がパァーッとまかれたように一面に散らばっている。これは尿細管に溜まった脂肪のかたまりやコレステロールが尿の中に出たものであるという。
「脂肪円柱が尿に出るのは珍しいことではありません。でもこれだけ大量に出ているというのは・・・」

 やはり内臓系の病気が疑われるそうだ。腎臓か、ホルモンバランスの崩れか、糖尿病でも多飲多尿になるそうで何だか尋常でない。

 血液検査をしましょうと言われ、モスラをカゴから出した。見慣れぬ場所や私達の雰囲気を感じとっていたモスラは終始おしゃべりをして緊張を表していたのだが(興奮気味にしゃべりまくる時は、緊張したりテレ隠しであることが多い)、これから我が身に起ころうとしている事態を察して素早く夫の肩に上ってしまって降りて来ない。引き剥がそうとしてもまるで猫のように爪をたててくっついてしまって離れない。

 やっとバスタオルで身体を被って抱え込むが、断末魔の叫びとものすごい力で、押さえているのもやっと。あまり人間が力を入れると今度は鳥の方の翼や骨を傷めてしまうからと、首からの血液採取は断念した。

 鳥の血液検査をしたことがある人は「おや?」と思われたかも知れない。

 血液検査は爪を少し切って2〜3滴の血液を採取するだけで安全かつ正確に行なえるものであるが、それは鳥を専門に診ている、その機械を持っている病院での話で、犬や猫を中心とした病院では注射器で血液を採り、検査センターに出さなければならない。

 血液検査をするかどうかについても先生と話し合っていた。

 腎臓が悪いのか肝臓なのか、糖尿病はあるのかなどの詳しいことは検査してみなければわからない。ただわかったところで、内臓疾患に対する決定的な治療というのは難しいそうだ。

 それでも私は知りたいと思った。モスラの身体に何が起こっているのか、見とどけてやりたい。たとえ知ったところでどうしようもない重い病気だったとしても、真実を直視してモスラと一緒に闘いたい。 

 先生はカゴに戻ってホッとしているモスラをカゴごと診察台に上げて体重を測った。モスラの体重は650g。鳥種の標準体重には多くの意見があるであろうが、個体差があり、骨格の大きさや筋肉のつき方などでも変わってくるということだ。モスラの場合は肥満でもなくヤセでもない、ちょうど良い体格ということである。
「これなら5ccは採れますよ。でも暴れると鳥自体にも危険なので麻酔をかけることになりますが」
「先生、痲酔をかけたりしても大丈夫なのでしょうか?ただでさえ具合が悪いところに、負担はないのでしょうか?」

 私の中に麻酔の事故という言葉が浮かんできた。以前取材で猫の避妊手術に立ち会ったが、
まだ麻酔から覚め切らない猫が自分の身に起こったこともわからずに首だけ上げてニャーニャー鳴いていた哀れな姿が思い出されていた。
「事故は起こらないとは言い切れません」先生の正直な答えだった。

 気持ちは決まっていた。検査はやめた。強攻な検査によるモスラの身体と心のダメージの方が、心配だった。本当のことは知りたいが、これ以上モスラを苦しめたくない。

 結局、腎臓の細菌感染の疑いということで薬を出してもらい、1週間投薬して様子を見ることになった。心配はおとなしく薬を飲んでくれるかということに変わった。


つづく