明石ーたこフェリーー淡路島ー明石
雨模様の中、海岸沿いを走っていると前方からトラックが。突然パーンと軽い音。しかしトラックは何事もなく通り過ぎていった。音のしたあたりを見ると蛇がくねっていた。どうやら音は蛇の皮が破裂した音。タイヤに皮だけが踏まれて破裂したらしい。皮がやぶれて進むことが出来ずにいた。
まだ生きていて動いている。
初めに阪神大震災の震源地、野島断層の博物館と思ったが時間が早すぎて閉まっていたので、東岸に回って本福寺(設計:安藤忠雄)を訪ね、東岸を走る。途中から西岸へ回ろうと島の中央を走っていたら、源義経と静御前の公園があった。二人の墓が離れ離れでは可哀想と地元の有志が作った。
静御前公園。日本庭園風の造りの中に。
大鳴門橋の展望台にある大鳴門橋記念館にある人形浄瑠璃を目指す。展望台までの上りがキツく3時の開演に少し遅れた。(現在は人形浄瑠璃館という建物で公演しているようだ。)
淡路人形浄瑠璃。かつては淡路島には40余の人形座があって全国を巡回していた。
翌日、福良から戻る途中ふと見たら大きな鳥居があったので寄ってみたら「おのころ島神社」という名前。日本発祥の地とされているらしい。しかも近くに「天の浮橋」、「豊葦原国」もある。みなこじんまりとして住宅街や畑の中にあり、そのアンバランスに頭をひねる。
おのころ神社の鳥居。平安神宮、厳島神社と並び日本三大鳥居とか。
天浮橋。住宅街の一角にある。
豊葦原国。日曜だったので地元有志が清掃中。
途中「枯木神社」を通って断層博物館へ。大きな建物で断層を覆って保存している。さすがに15年もたつと周りでは断層も全く分からなくなっている。阪神大震災の揺れを体験するコーナーもある。
岩屋に戻ってたこフェリーで明石へ。
枯木神社の案内。奈良時代に香木が流れ着いた。>
野島断層。阪神大震災の震源地。
玉ねぎの乾燥倉。淡路は玉ねぎの名産地。
塩山ー大弛峠ー三国峠ー中津川林道ー秩父三峰口
塩山を出て峠として国内最高地点の大弛峠を目指す。山梨側は舗装路。なんとか大弛峠にたどり着いて山小屋に泊まる。
翌朝、小屋から国師ヶ岳方向へ徒歩で少し登ると「夢の庭園」と名付けられた一帯がある。しかし息が切れるので諦めて、小屋に戻り長野側へ自転車で下る。川上村方面は未舗装、岩だらけ。ところどころ雨が流れた後が溝になっている。マウンテンバイクなので問題なし。
大弛峠から川上村へ下るところ。
中津川林道。この辺りでは鹿は人馴れして、逃げない。
土木技術の見せどころ!奥の方からグルッと手前を回り、下へ。
遠野ー(鉄道)ー吉浜ー釜石ー山田ー魹ヶ崎灯台ー月山ー宮古
遠野まで輪行。駅周りは水木しげるの世界。
駅前は水木しげるの世界
「カッパ淵」、「伝承園」、「五百羅漢」などを尋ねる。
東北のオシラサマ信仰
夕刻の列車で釜石へ。乗り換えて三陸鉄道で3駅南の吉浜へ。 わざわざ吉浜へ行ったのは釜石との間のリアス式の地形を走ってみたかったので。集落の海抜10mあたりから200mくらいまで上がり、また下って次の集落へ。この繰り返しになる。舗装されているが交通量はほとんどなし。国道のトンネルができるまでは、こちらが主要道だったろうが。
吉浜近くの林道
釜石からも山ぎわの道と思ったが、昼食をとった食堂の話で熊が出るらしいとのことで敬遠して国道のトンネルを行く。吉里吉里などをすぎて陸中山田の民宿に泊まる。まんぼうの刺身が出た。
マンボウの刺身
翌日、本州最東端の魹ヶ崎へ。姉吉漁港から先は山道を歩く。海岸沿いで平坦。魹ヶ崎灯台は無人だが、22日は142周年灯台記念日で特別公開。灯台の上まで上がれた、
特別公開のため職員が来ていた。到達証明書をもらったが、13番だった。
何もないが近くの月山まで上り宮古へ。
夕方で少し暗くなっていたせいもあるが、宮古の浄土ヶ浜はいかにも死後の世界の雰囲気。翌日は宮古から輪行で帰った。
浄土ヶ浜
松本ー美ヶ原ー林道ー松本
松本から青息吐息で美ヶ原高原を目指す。上りに使った舗装路は昔は有料だった。そのためか当時は路線バスは駒越林道を使っていた。下りは林道を通ってみる。上部には通行禁止の表示があるが。フェンスはなし。しかし下部には通行止めロープが張ってあった。
駒越林道
宮津ー天橋立ー城崎ー餘部ー湯村ー出石ー江原駅
宮津でお寺や商家(三上家住宅)をみてから天橋立へ。
「知恵の餅」を看板に出してる店が数件。食べてみたがただの餅。天橋立を通って対岸まで。
道は固く走りやすい。途中海のそばなのに清水の出る井戸もあった。
対岸まで走ってから溝尻の舟屋へ。道を走ってもそれらしいところがない。家の間の路地を歩いて海側へ出たら、そこが舟屋だった。
住居の1階に舟を留める。
観光地を離れて宿泊地の夕陽が浦温泉を目指す。途中日が暮れてしまった。ここは温泉とは言いながら中心街はなく、店もスーパーが1軒あるだけ。2階立て以上の建物もほとんどない。ネットから1名で予約できるのは食事なしのところだけ。旅館で何かあるかと思ったら何も頼めない。やむなく歩いてスーパーまで行って弁当を買った。
翌朝、夕陽が有名という海岸沿いを走り、峠を越えて城崎温泉へ。低い峠だが、手前側は快晴。城崎側は霧が立ち込めていた。城崎温泉は川沿いなので街中もゆったりとしている。志賀直哉の「城崎にて」に出てくる桑の木があった。
桑の木。もとの木は枯れてこれは何代目か
しばらくは、走って海岸線に出て山を越えて、また海岸線に出て、を繰り返す気持ちの良いツーリング。
香住で観光船に乗る。5名集まらないと出航しない。84人乗りの船に5、6人乗って出航。女性の船長が一人で運転しながら解説。香住海岸は日本海成立の歴史を示すジオパークで特徴的な海岸線を見る。
やがて餘部。鉄橋の老朽化で架け替え。餘部駅は、もともと無かった。後から作られたため、徒歩でしか行けない。
餘部の新しい橋。古い鉄橋は一部保存。
新しい橋はトンネルの出口で曲がって、古い鉄橋を避けて作られた。
鉄橋で列車の写真を撮りたかったが、なかなか来ないので諦めて湯村温泉を目指す。NHKの夢千代日記のためか原爆被害についての資料展示もある。
湯村温泉。吉永小百合の夢千代像もある。
翌日は雨模様のなか、出石そばで有名な出石を目指す。途中並木道のある立派な建物。「植村直己記念館」だった。出石で蕎麦を食べて、街を散策してから豊岡の手前の江原駅から帰った。
そばを箸でつまむのでなく、皿から全部器に入れて食べる。
鐘楼と芝居小屋の出石永楽館
上毛高原駅ー猿ヶ京温泉ー永井宿ー法師温泉ー上毛高原駅
上毛高原駅から猿ヶ京を抜けて法師温泉方面へ進み、途中で国道方面へ向かうと永井宿がある。古い建物もいくつか残っている。小さいながらも郷土館もあり。
赤沢スキー場への道を左にとる。尾根を越えて四万温泉に向かおうと思っていた。かつて四万温泉から稲包山へ登って法師温泉側へ歩いたことがあり、今回は逆方向で自転車で行こうと思った。しかししばらく登ったら、土砂崩れが多発。無理して先へ行ってもどうなっているか分からないので引き返した。ちょっと法師温泉へ寄って帰った。
四万温泉への山道。土砂崩れが何ヶ所も。
八戸ー侍浜ー久慈ー北山崎ー岩泉ー茂市ー宮古
八戸駅から市街へむかう途中、広い丘陵地に根城という平城があった。
広々とした丘陵地にある。城郭はない。
市街を抜けて八戸港へ。その先に蕪島。カモメが群れをなしていて踏んでしまいそう。
鳥居の先に見える小さな点もカモメ
海岸線を走っていく。交通量も少ない、快適なツーリング。
階上、種市を通り久慈の手前、侍浜というところで宿泊。夕方、熊の目撃情報があるので注意、と地域放送でアナウンス。
翌日は久慈を抜けて小袖海岸を走る。コーナーを回るたびに気持ちが洗われるような風景。まもなく「あまちゃん」の舞台となった集落から道は海を離れる。丘陵を走り険しい海岸の北山崎展望台へ。
このような景色が続く小袖海岸。
全線復旧はまだだが一部運行している。
北山崎の断崖。展望台は第一から第三まである。土産物屋で「熊が出るから、明るいうちに宿へ入るように」とアドバイス。
田野畑駅。ここから小本駅までは運休中。
茂市との間のトンネル。表記は押角とも雄鹿戸とも。雨の時はトンネルはありがたい。
茂市駅。岩泉線は東日本大震災後運休だったが、2014年廃線に。
宮古の観光船用の波止場も修理中。1隻は津波のとき、咄嗟に離岸して沖に出たので助かった。
大型の観光船のほかボートで洞窟を探検するツアーもある。
浦佐ー六十越トンネルー只見ー柳津ー会津若松ー湯野上ー大内ー会津田島
浦佐を出て小出へ向かう。銀山平への道を通り過ぎて只見線に沿って六十越に向かう。
只見線は2011年の豪雨で鉄橋が落ちたりしているため、只見から先は不通。雪国だけあって、道路がスノーガードで覆われているところが多い。緩やかな登りで六十越につく。トンネルの入り口の傍になぜか公衆電話のボックスがあった。
右手前に公衆電話
トンネルを抜けて下ると田子倉駅がある。駅というにはあまりにも殺風景。浅草岳の登山口の看板がある。
ホームはこの下。臨時停車駅で一応立ち入り禁止。周りには工事事務所があるのみ。
田子倉ダムを過ぎて急坂を下ると只見の町。旅館などは水害の工事関係者で皆満員。かろうじて民宿を見つけた。この宿にはほかに工事関係者が5、6人泊まっていた。
翌朝「たもかく本の街」へ行ってみる。たもかくは「只見木材加工業者組合」の略。本を送ると、量に応じて近くの土地の権利をもらえる。実際にもらった人もいるらしい。とりあえず外観だけ見て出発。
建物は増えていっているらしい。
至るところで道路工事で片側通行が多い。天然炭酸水が出ているという看板があったので寄ってみる。小さな水たまりのようで、ゴミも浮いていたので口に含むのはやめた。さらにおう穴の看板も。
滝沢天然炭酸水。道路脇に看板。炭酸水は左手下に湧いている。
おう穴の案内板
鉄橋が落ちているので復旧不能で廃線かと思っていたが2022年に全線開通、復旧した。
会津川口を通って柳津へ。赤べこで有名な福満虚空蔵尊圓蔵寺がある。
圓蔵寺の境内にある。
会津若松を回って宿泊予定の湯野上温泉へ。途中で暗くなってしまった。
翌日は坂を上って大内宿へ。観光客で賑わっていた。大きな駐車場がある。満車の時、諦めて帰る人のため、途中にUターンのための場所も用意されている。
昔は会津から江戸へ通う街道だった。
阿賀川の塔のへつり。侵食、風化により形成された。人も歩ける。