使徒星の住人たち vol.8



 ジャックが戻ったのは、マリエの小さな頷きから四十分も経ったあとだった。

 マリエと同様の白く浮かんで見える人の形をした灯と、実際に浮かんでいた鳥の白い灯は、俺の存在を白い光の中に間違って紛れたただひとつの黒い影に思わせた。

 それほどにファラとジャックは俺と違い過ぎて……。
マリエにしても、俺と比べたらずっと彼らに近い存在に見えた。

──今、そんなことを考えてる余裕があるなんて。

 こんな時だというのに劣等感を感じてしまうほど分厚い塊となって深層意識に溜まってるなんて、本当に情けない。
俺の腕の中でほんのりと微笑を浮かべるマリエにすごく申し訳なかった。

「マリエ、来たよ。ファラだよ……」
「あり……が、と……。朱里のお陰……よ。
ここにあなた……いるから……きっと、彼……来てくれたのね……」

 できるだけ優しい声をかけようとする俺は、自分の心を隠そうとする偽善者なのだろうか。

 こうしてマリエと一緒にファラたちを待っていながら、どこかでやっぱり他人事に感じ、ましてや俺のほうが白い姿をしている彼女よりずっとファラたちに近いんだって、マリエに張り合っていたのだから。

 ずっと羨ましかったのは俺。

 それなのに、こんな俺に、マリエは、
「私、朱里に嫉妬、してた……。
博士も、ほかの人たちも、みんな、朱里がファラとジャックのそばにいるのが当たり前のように思ってるんだもの。
朱里はそれを当然みたいに日常にしてるし、私より地球人種の朱里が使徒星に近いようで……。
ごめんなさい……、すごく恨めしかった……の」
最後までその乳白色の身体のような綺麗な心で、素直に、純粋に打ち明けてきた。

 どちらがより近いなんて、そんなことくだらなかった。

 こうしてみんながお互い顔を合わせられるだけでよかったはずなんだ。

「マリエ……。もう、そんなことはいいから……」

──ファラ、頼むよ。もうすぐ、きっと彼女の時間は尽きてしまう。
だから、彼女の願いを適えてあげてよっ!

 縋るようにファラを見上げると、ジャックを肩に乗せたファラは俺の心に頷いて、俺たちの側に腰を下ろした。

 そして、彼女の額に掌を当て、それをゆっくりと下に降ろして双の瞼を閉じさせると、
「シュワルナウツだ、見えるか?」
甘く心に染みてゆくような声でマリエの涙を誘った。

 ファラはマリエの脳裏に伝説の星の映像を送ってくれたのだった。

「瑠璃色の惑星、綺麗……。私ね、ずっと使徒星に行きたかった。
ガイダルシンガーさえあれば行けると本当に信じてた……。
だから、私の羽根との感応変化を博士が試みた時、私、チャンスだって思ったわ。
これで地図が手に入るって……」

 マリエは自分を信じてたんだ。中でも一番、その自慢の白い双翼を──。

 けれど、信じるがゆえに、彼女は信じてきたものすべてを失うことになってしまった。

「私、翼を拡げたわ。博士も助手の人たちも、みんなが私を見てくれた。
綺麗だって……、素晴らしいって褒めてくれた。
──でもっ、花は開かなかった! ファラ……、どうしてなのっ?」

 マリエの瞳に手を置いたまま、ファラはやや頬を強張らせつつも、伏せた視線を上げて静かに応えた。

 このセリーア人はマリエが翔べないことも、仲間じゃないことも、全部わかっているに違いない。
それに、マリエの生命があとどれくらいなのかも──きっと知っているんだろう。

 その上で、おまえは何て言うつもり?

 最後なんだ、花を咲かせてやるんだろ?

「花が翼に反応するのは本当だ。
正確には、この花びらが羽根から出てる波動を感じて花を咲かせるんだ。
マリエ、きみの場合は多分……、羽根からその波動が出ていないんだよ。
だからきみが翼を拡げても花は開かなかったんだ。
きみの身体は弱ってる。翔べないほどに、だ。そうだろう?」
「──それならっ! ファラでもいい。お願い、咲かして。私が使徒星に行けるようにっ!」

「……」

 俺はじっと見守ることしかできなかった。

 今ここで、花を咲かせられるのはファラだけなんだ。

<ファラにだってできねーこと、あるんだぜ。花は簡単に咲かせられるだろうけどよ。
マリエにとっちゃ、花はただの通過地点だ。平たくいやァ、使徒星への切符でしかねえ>

 何が言いたいんだよ、こんな時に。ファラが咲かしてくれればマリエだって……。

<おまえ……、花が咲いたってなァ>
「ジャック、少し黙ってろ。──マリエ、悪いけど……、俺には咲かせられない。
自分の力でできなきゃ何にもならないんだ。
きみがシュワルナウツに行きたいのなら、きみ自身の力で咲かさないといけない。
他人の手を借りなければ成せない奴に、あの星に行く資格はないんだ」

「ファラっ! それはないよっ。今のマリエにはキツイ……」
「おまえも黙ってろ、朱里」

「だって……、私はもうダメなのよ。こんなにボロボロなんだもの、絶対無理よっ。
どうして言うこと聞いてくれないの? あなたにしてみればどおってことないんでしょうっ!?」

「ああ、どおってことないね。翼を出しさえすれば用は足りる。
でも、俺はきみのために拡げるつもりはない。
朱里じゃあるまいし、きみにはりっぱな羽根があるんだろう?
後生大事に使わないでとっておいたその白い翼が。
翼を持ってるのなら、それを鍛えて試せばいい。もう一度、身体を丈夫にしてチャレンジすればいいさ」

「私……でも……」
「できなければ、それはそれできみのシュワルナウツへの想いはそんなものだったというわけだ。
──ほお、タイミングがいいことに、博士たちが来たようだ。シティズンカードの領収から調べてきたな。
さあ、どうする、マリエ。セリーア人としてのプライドを捨てて俺に縋るか?
それとも博士のもとに帰って、不自由だが健康を取り戻すための生活に戻るか?
この際だ。額を地面になすりつけて懇願するなら、花の件、考えてやってもいいぞ」

 ファラの言うように、博士が片手では収まらない人数をつれて、こっちに向かって走ってくる。
タクシーのカード支払いから足がついたのかはわからないけれど、俺はそんなことより、このファラの物言いに腹が立って仕方がなかった。

 ファラは、マリエの健康状態を知っててわざと厳しく言っている。
今の機会を逃したら、マリエは花が咲くのを見ずにもしかしたら逝ってしまうかもしれないのを承知の上で。

──ファラ、情けないよ。
他人のことを言えた立場じゃないけれど、もっとマリエの身になってやれないのかよ。
マリエはファラだけを頼りにしてるんだから、そのへんを汲み取ってくれたってよさそうなもんじゃないか。

 睨むようにファラから目を離さずにいると、辿り着いた博士たちの手が無言のまま俺に伸びて、俺の胸で支えていた白い身体を奪っていった。

 完全に引き離される時、マリエが小さく、
「同じセリーア人として、こんな人がいるなんて……! 最低よっ」
そう、俺を見て吐いたのが耳に残って、俺は身体に力が入らなくなった。

 マリエが遠ざかったため、腕の中に風が入り込んでスースーする。

 じっと長時間も同じ態勢で座っていたためか足や腕が痺れていて、立とうにも立てない。
もしかしたら憤慨のあまり、頭に血が溜まってしまったからかもしれない。

 けど、マリエの言葉を覆したい、ここはマリエのために俺が大人になって、と思い、俺は重い身体を動かして、
「頼むよ。マリエのために。この通り、お願いしますっ」
ファラに土下座して頼んだのだけれど、ファラは一瞥を投げただけでひとりでさっさと行ってしまった。

「あんな人にそこまでしないで。朱里、頭を上げてよ。
私、誇りを捨ててまで、ファラの靴を嘗めようとは思わないわ」

 返ってきたのは罵詈雑言。身体の具合とはアンバランスなきつい視線と冷たい口調。

 そうして、捜索隊の人に抱き上げられたマリエはだるそうに頭を回しながらも、遠ざかるファラの背に向かって何度も汚い言葉を投げつけた。

 俺たちの不様さが、マリエにその言葉を吐かせてしまったんだ。

──何てことだ……。

 彼女が去るのに残した最後の言葉がそんなものだなんて。

 そうして、残ったのは俺とジャックとひとりと一羽だけになった。

 去り間際に博士が、「朱里もあとから研究所に来るようにの」と言い残してくれたが、みんなと一緒に戻ることは俺にはできなかった。

 博士が気を使ってくれたのは有り難かった。
でも、俺はもう動くのも考えるのも何となく億劫だった。
それに、マリエに合わす顔がない。

<朱里ィ、いい加減、行こーぜ>
「どこへさ。家には帰りたくないよ。ファラの顔は当分拝みたくない」

<……研究所っ。 博士んとこ、行こーぜ。な、朱里っ>

 しばらく躊躇してからのち、仕方なく重く感じる腰を上げ、俺は服についた埃を落とした。

 ジャックが俺の肩を止まり木にして、また楽をしようと考えている。
振り返ると、ラオス三〇〇〇ナンバーの夜景が拡がり、いつもと同じ夜があった。

 でも、だんだんといくつかの明りが研究所に集中していくのがはっきり見えると、博士が捜索願いを解いたんだってわかって──。

 やっぱり、さっきのファラは幻じゃなかったんだって、その研究所に集まってゆく明かりがいかにも証明しているようでとても口惜しかった。

──ファラが、他人に最低って言われるなんて……。

 俺は本当に心の底から悔しかった。

 そして、そんなふうに言われても仕方のないあいつの態度にやるせなさを感じた。

「そうだよな……。ジャック、行こっか。ここにいても、もう誰も来ないし、な」

 ジャックは、ちらっちらっと俺を覗くように何度も見ては溜め息をついた。
鳥のくせに芸が細かいったらありゃしない。

「何だよっ、言いたいことあるんだったら、はっきり言えよな」

 イラついている時は些細なことにも敏感になるものだ。
ほんとに、ちょっとのことでも癇にさわる。

<あの花をよく知りもしないで癇癪起こしてるおまえ見てるとさ、ほんと、ファラが気の毒になっちまうよ。
ファラはマリエの誇りを守ってやったんだぜ。
おまえに呆れ返られるどころか、感謝されてもいいくらいなんだ。
いくらファラを憎もうが、彼女はセリーア人として自分を信じて逝けるんだからよっ!>
「別にファラが守ったわけじゃないさ。彼女が自分で選んだんだ」

<ちっ! おまえ、ファラよりマリエにつくのかよ。よく聞けよ。
ファラはなァ、マリエに、『おまえはセリーア人じゃない。
花はおまえのためには一生咲かない』って言ってもよかったんだぜ。
なのに、あいつはわざわざ憎まれ役を買って出てくれたんだ。
わかるだろ? マリエとおまえのためにだぞっ!>
「あんなの……、ちっともマリエのためになるもんかっ!
このまま死んじゃったら……彼女、つらいよ。哀しいよ……」

<馬鹿だな、おまえ。それは違うよ。マリエは幸せなんだ。
誇りを持ってセリーア人として一生を全うできるんだからさ。
それは、ファラと朱里がマリエの少ない時間のために考えた最高の贈物だ。
その出所をさ、マリエはわからなくても朱里だけは知っておかなきゃ、それこそファラがかわいそうじゃんか。
もし、ファラがあの時、翼を拡げて花を咲かせちまったら、俺の言葉さえわからねえマリエにはガイダルシンガーの声だって聞こえなかったんだぜ?
咲けば地図が手に入るって信じてたマリエにとっちゃ、きっとそっちのほうが何倍もショックがでかかったはずだ。
だから、ファラの判断はマリエにとって幸せだった。俺はそう思うぜ>

 おまえもそう思うだろって相槌を求めるジャックの声が、さっきのファラのきつい台詞と今のジャックの話をごちゃ混ぜにする。

 あの時、ファラは何も弁解しないで俺に背を向けた……。

 俺はあいつの考えてることがわからなかった。
今だって、本当にわかっているか自信がない。

──ファラに訊かなきゃ……。おまえが……言ってくれなきゃ、鈍感な俺にはわからないよ。

<行こうぜ、朱里>
「でも、どこへ?」

<決まってる、ファラんとこさ。ここでこうしてたって埒が明かないだろ? わかんなきゃ訊けばいいのさ。
おまえは口を持ってるんだし、声に出しづらかったら心を読んでもらればいい。
ファラはきっとマリエの近くさ。
あいつは一度関わった奴の面倒を最後までみるお人好しだからな。
もともと朱里のお人好しだってファラから来てんだ。おまえはファラに育てられたんだからよ。
ほんと似てる、そっくりだよ。ったく、オレたちは似たもの同志だよな。
オレも人がいいったらありゃしねえ。あ……、人じゃねえか、鳥だった>
「おまえ、ちょっとそれってしょってないか?」

<いいじゃん。オレは飼い主に似た。おまえは育ての親に似た。そんでうまくいってんだからよ。
んじゃ、行こうぜ、研究所っ!>
「……研究所には博士もいるしね。きっとマリエの様子も教えてくれるよね」

 ジャックははじめっから俺を研究所に行かせる算段だった。

「おまえって奴は、ほんと気が回る鳥だよな」

 ここにジャックがいてくれて本当によかった。

<ま、行き先は博士のいるとこだけど、おまえが会うべきなのはファラだかんな>
「ん……」

 とにかく、今はファラに会うことだけ考えよう。

 白くぼやけて消えていったあのうしろ姿を、もう一度ちゃんと前から見てみよう。

 正面から俺と面向かった時の、その時のファラが本当のファラだ。
ジャックと俺とずっと一緒に暮らしてきた、いつのものファラがきっといる。

 ちょっと呆れたような笑顔を降り注いで、調子よくからかう声を奏でる──。
それが俺の周辺で漂う、あいつから生み出される空気。

 きっと……、きっと……。

 そして、俺の脚は、すでに駆け足になっていた──。





 人の多い技術開発生物研究所。

 マリエは集中治療室だと、顔見知りの職員が教えてくれた。
今は多分、ヴァルタナッシュ博士を含む多数の優秀な研究員に囲まれてるのだろう。

「あ、朱里くんっ! 遅かったですね」

 捜索に駆り出された多くのELGの中から、エスターさんが俺たちを見つけて飛び出て来た。

 俺たちのとこに駆け寄ると、ここからじゃその入口さえ見えない治療室を親指で指して、
「きみが見つけたそうですね」
急に声を潜めてくる。

「それで、マリエの様子は? 博士は何て?」
「僕が来た時にはもうすでに集中治療室の中でした。それより……、朱里くん、ちょっと、こっちへ」

 エスターさんは俺の肩をくいっと抱き寄せ、廊下の隅まで連れて行き、
「きみのガイダルシンガーはちゃんと部屋にありますよね?」
真剣な眼差しでそう尋ねた。

「はい、俺なりに大切に世話してます」

 俺の応えを聞くなり、
「だとすると、アースが持っていたあれは──」
思案を巡らせるように、エスターさんは顎に拳を持っていった。

「実はヴァルタナッシュ博士の研究室にあるべきものが消えたんです。多分、それは──」

 エスターさんの言葉を最後まで聞かなくても、さすがにこの場合、俺にも察しがついた。
取り戻したはずのあれがどこにあるのかも、現状を考えれば容易にわかる。

「ジャック、ファラの居場所っ!」
<任せとけっ>

 時計の針が音を早めて進んでいる。
今日のうちにすべてが早く終わってしまうように、誰かが望んだのだろうか。

 ゆったりとした流れの中で過ごしてきた日々が突然に変わっていくのを俺はただ見ているだけなのか。

 濁流に削られる岸辺のように、その勢いを誰も止めることはできなかった──。





 ジャックが中央ドームに俺を案内する途中、マリエと会っていたのは常にそこであったこと、そして、彼女の周辺にはいつも緑が覆っていたことが回想された。

 ジャックのうしろを駆けて行く時も、ドーム内に足を踏み入れて外部より酸素の多い澄んだ空気を吸った時も、緑は彼女の白い姿を囲んでいた。

 そう……。今、俺の頭の中は緑と白の二色でいっぱいになっていた。

「きみは……ここに在(い)るのかもね……」

 だから、緑の空間を越えて行く時、そう自然と俺はひとりごちていた。

 葉を茂らせ幾重にも俺たちを覆う、隠れんぼをするために見つけたような、一見、外からは見えない秘密の園──。
マリエとのデートは隠れ家で遊ぶ小さな子供心で溢れ、いつ壊されてしまうかわからない緊張をいつも背にしていた。

 柔らかな草の絨毯。高くそびえ立つ樹木のカーテン。
隠れ家全体が生きた人工栽培の自然だった。

 今、俺の足が止まった。

 いつもマリエが俺を迎えてくれた場所に、彼女と同じ白い姿の人がいたから──。



 彼はそこにいながら、緑の住人ではなかった。

 彼は彼女を拒絶しながら、それでもそこに佇んでいた。

 それは俺が知ってるファラだったし、いつも見慣れてるはずのファラだった。
鉢に入った「歌姫」も、ちゃんとあいつの足下にあって、気を揉むことなど何もないはずだった。

 けれど、大きすぎるいつもとの相違点──。

「逝ったな」

 俺の顔も見ないで呟いた言葉と、常に蕾だった「歌姫」の突然の開花。
マリエさえも焦がれた、その大きな乳白色の翔べる双翼。

 そして、マリエへの一番の追悼──緑の園に響いた花の歌声。

<Λ二〇一九六、ε―〇〇九三、侵入角度λ=仰角三十二度、十一時……、Λ二〇一九六、ε―〇〇九三、侵入…………>

 彼女には聞こえない歌声が、それでも逝ってしまった彼女のために繰り返される。

 もうここにはいない白い羽根を持つマリエを道案内するために、優美な五羽の白い鳥を淡い青色の使徒星のまわりに翔ばして。

──うん……。きっとマリエは天使の集う星へと、今頃駆け足で急いでいるよね。

 そうさ、本物の天使に看取られたマリエだもんな。

<……度、十一時……、Λ二〇一九六、ε―〇〇九三、侵入角度λ=仰角三十二度、十一時……、Λ二〇一……>

 花が萎むまでの五分間、俺はその声に聞き入った。

 マリエの代わりに、一語一句間違えなく、深く耳に刻むために。

「歌姫」が三粒の種子を残して枯れていくまで、ずうっと──。



illustration * えみこ



えみこのおまけ




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