きみを希う vol.7



 少し時間が遡る。

 エルウィンがセシルから「腐れ外道」の称号を授かったその日、遠く西に離れた《学びの塔》で常にない動きがあった。

 オルゼグン王国の西側の隣国であるイクミル王国の西部、山に囲まれた景観の美しい湖水地域には、古来より治外法権が認められている魔導学総本山、通称《学びの塔》と呼ばれる一画がある。各国の意向に偏ることのない中立な立場を保つ《学びの塔》は、魔道師にとって故郷でもあり、聖域でもあった。

 《学びの塔》では、多くの魔道師および未来の魔道師が実力や適性に合わせて小集落に分かれて修業を続けている。

 集落地の中心には一際目立つ城塞があり、この地で《学びの塔》といえばこの城塞を指し示す。山と山の狭間に建つこの《学びの塔》こそが、上級魔道師の巣窟であり、魔道師ギルドの中枢であった。

 諸国に散る魔道師からもたらされるさまざまな知らせを一手に束ねる《学びの塔》の情報力は侮れない。情報を制するものは社会を制すると言われるほど、情報収集には早さと正確さが何よりも求められる。

 離れた場所と場所を一瞬で繋げる魔道師は情報収集の達人でもある。しかしながら誰もが空間を繋ぐ魔道を発動できるわけではなく、その役目を担うのは、四大精霊魔法に光の精霊魔法を組み合わせられる魔道師に限られる。

 魔道師とは「魔道を発動させることができる人の子」の総称であり、魔道とは「魔法を導き出す行為」を指す。

 すべての魔道師が異なる性質の魔法すべてを取得できるわけではない。

 魔道師の実力は修得した魔法の難易度もしくは魔道発動可能段階を目安に、初級、中級、上級の三階級に区分されるが、同じ階級でも修得した魔法の組み合わせは十人十色であり、一口に魔道といってもその性質はさまざまである。

 魔道はひとつの魔法の発動を基本とするが、高難度になると同時に複数の魔法を紡ぎ絡める必要がある。

 また魔法はその性質ごとに、精霊魔法、神聖魔法、古代魔法の三つに大きく括られる。

 精霊魔法は使役魔法とも呼ばれ、主に火、風、水、地の四大精霊を使役する魔法である。光の精霊魔法もこれも含まれ、特に四大精霊魔法は一番親しまれている魔法であり、魔道師といえば精霊魔法が頭に浮かぶほど広く認識されている。

 神聖魔法は主に治癒や浄化を行う魔法である。この魔法に適性がある魔道師たちの中には神官になるものも多い。神官が必ずしも魔道師を兼ねる必要はないが、今までにも多くの神官、または神官見習いが精霊魔法を修めるために《学びの塔》を訪れている。そして実力の差はともかく、神官のほとんどが修めていることから、神聖魔法は聖職者にとってもっとも身近な魔法となっている。

 古代魔法は時空や空間に連なる魔法であり、代表的なものとして、未来を見る《未来(さき)読み》と過去を見る《過去見》がある。古代魔法を使える魔道師は精霊魔法や神聖魔法にくらべて非常にに少なく、《未来読み》に至っては、うっすらと数か月先を見るものが若干いるくらいで、数年先、数十年先の遠い未来を見るものは、現在ではひとりもいない。

 《未来読み》以外の未来を知る方法として占術があるが、市井で身を立てている彼らの占いは《未来読み》とはまったく異なるものである。それらの相違点は正確さにあり、占い師の解読によっては占いの内容に誤差がでる占術と、未来の様子をそのまま見る《未来読み》では、根本的に違う。

 また、古代魔法が扱いづらい理由のひとつに、単独で魔法を発動できてもほとんど役には立たないという手間が挙げられる。夢見の《未来読み》を除く古代魔法は、未来まはた過去の映像を特定の媒体に映し出す必要があるため、精霊魔法と合わせて発動するのが基本であった。

 その難易度の高い《過去見》をこの二年間、駆使し続けててきた魔道師たちがいた。《過去見》の使い手と精霊魔法の補助を受け持つ魔道師たちは、ある使命を持って、ひたすら過去に向き合ってきた。

 その彼らに、この日、大きな変化が訪れた。待ちに待った発見をしたのである。

 《過去見》の使い手のひとりが、《学びの塔》の山側にそびえ立つ六本の塔のひとつである二の塔の最上階の一室に、息を切らせながら駆け込んだ。(余談であるが、まさにその時こそ、遠くオルゼグン王国の田舎宿にて左右異色の瞳の子どもが朱金の少年の額に「糞馬鹿変態野郎」の烙印を押した瞬間でもあった。)

 会議をしていた長老たちの眼が突然の乱入者に集中する。

「何事だ! 騒がしい!」
「見つけました! 十五年前です。黄水晶は十五年前に消えています!」

 《学びの塔》の運営は塔長を中心に上級魔道師の中でも特に腕の立つ先達者十名で構成される長老会が担っている。

「何だと?!」

 二十歳半ばの若い魔道師から報告を受けて、長老ガランドがくわっと眼を見開いた。

「それは確かか!」
「はい。やはり盗まれたのではありませんでした。何ものかが宝物庫に侵入したわけではなかったのです! 三人の魔道師が過去見を試みて確認しました。もちろん私もしっかりとこの眼で見ました。黄水晶は自ら消えたのです!」

「よくやった。これからすぐに行く! でかしたぞ! ──塔長、行きましょうぞ」
「わかりました。とりあえず我々も確認してみましょう。かの御方にお知らせするのはそれからでも遅くはないでしょう」

 塔長と長老たちは宝物庫を目指して急いだ。

「ようやくですぞ。黄水晶の紛失が発見されたのが十四年前……長かった! とにかく長かった!」
「この二年間、このものたちもよく頑張ってくれました。とにかくその瞬間を見なければ話にならない!」
「確かに」
「過去は逃げはせんよ。転ばぬよう、おのおの気をつけられよ」
「誰に言っておる! おまえこそ、そんなに急ぐと足がもつれるぞ!」

 十四年前の宝物庫の点検で発覚した大事。──それは世界にひとつしかない秘宝の紛失であった。

 《学びの塔》の宝物庫にはさまざまは宝が眠っている。どの宝も価値がつけられないほど貴重なものであり、中にはいまとなっては手に入れるのも難しい古いものある。よって宝物庫は保管だけでなく、劣化を最小限に済ます保存・品質保持も求められる。

 ゆえに宝物庫の点検は保管品管理の徹底を目的とし、所蔵確認と同時に保存状態によって清拭き、日干し、修復なども合わせて行っていた。

 点検は二年に一度行われ、点検の際は常に点検者ひとりに対してふたり以上の立会人がつき、点検者が不正や窃盗を働かないよう見張ることになっていた。

 さらに通常、宝物庫は盗難防止用の結界で包囲されている。仮に結界が破られた場合、その衝撃により大きく気が乱れるように細工してある。魔道師がうじょうじょ生息する《学びの塔》で結界を無理やり破壊するなど耳元で鐘を鳴らすようなものだ。

 点検にはこの結界が正常に作用しているかの動作確認も含まれていた。点検開始時に結界が正しく作動すれば警鐘する。それはすなわち、前回の点検以降の密室状態を証明していた。

 とはいえ万にひとつということもある。仮に、心に闇を抱いた魔道師が結界を破壊することなく安全に解除して盗みを働いたとする。だが、その時は精霊たちが見逃さない。《学びの塔》の宝物庫に納められている保管品には精霊にとっても得難い宝であるものが多く、宝を移動すればそれに惹かれた多くの精霊たちもあとに続く。これは目立つこと極まりない。在り処さえわかれば盗人が捕まるのは時間の問題なのである。

 こうした経緯もあり、「宝物庫は盗難および紛失の二語とは無縁である」が《学びの塔》の常識であり、宝物庫の管理体制を知るものすべての考えだった。

 そのような常識がはびこるさなか、十四年前も通例通り、宝物庫の点検が行われた。すると、信じがたいことに保管品のひとつが紛失しているのが明らかになった。それも行方不明となったのは世界の至宝とされる対の水晶──。世界の至宝と呼ばれる対の水晶には、黄水晶と白水晶がある。消えたのは黄水晶のほうだった。

 当然、《学びの塔》は上へ下への大騒ぎとなり、点検者たちや立会人たちは当然のこと、知らせを受けた塔長と長老たちも失神寸前まで顔を青ざめた。

「仮に…、仮にですぞ、仮に本当に盗めるとしたら、余程の腕を持つ魔道師か、もしくは高位精霊にほかなりません。とにかく犯人を捕まえるためにも過去見をして確認しましょう。まずは黄水晶が持ち出された瞬間を見つけることです」

 すぐに長老会は過去見の使い手たちを選び出した。誰かが無断で持ち去ったのならばその盗む瞬間を過去見で確かめ、捕まえればいい。誰もがそう考えたのである。

 だが、事は簡単には進まなかった。肝心の過去見を行おうとしたところ、宝物庫の気が大いに乱れていたのだ。これでは繊細な魔道を発動するなどできない。気の嵐が治まるのと待つしかなかった。

 大地には地脈もしくは地気脈と呼ばれる地の息吹の濃厚な気の道筋が通っている。蜘蛛の巣のように地下を網の目のように張っている地気脈には、人の子がこしらえた道にも大きな街道や野道があるように、太いものや細いものがある。人の行き来の激しい街道と街道が重なる場所が宿場町となって大きく発展するように、地気脈と地気脈が交わって気が集中する交差点では珠を描くように気が溜まるようになる。これを地気脈の気塊と呼ぶ。

 《学びの塔》は太い地気脈が集中する気塊の上に位置し、また《学びの塔》周辺は中原でもっとも大きな気塊のひとつに数えられていた。これに匹敵するのはイクミル王国の王都の気塊くらいだろうか。

 古来より、大地を守る重要な地点には地気脈が集まり、大小の違いはあっても必ず気塊をなしている。つまり、人の子たちは気塊の場所を嗅ぎ分け、気塊の上に城を作り、町を作ってきたのである。

 地気脈は常に生きている。

 地気脈は大地の気の道筋の地図を書き直してゆく。その速さは最初はゆっくりだが、しばらくすると加速する。

 大地に愛されしものに惹かれて地精が集まり、気が満ちれば、根を張るように幾筋もの地気脈を生み出す。地気脈が活発になれば大地はますます濃厚な気に満ち、豊穣の地となって、農作物の収穫が大きく見込めるようになる。また、気候や風土も穏やかで済みやすいものとなり、はたまた治政の風向きさえもよくなり、国はさらに栄えてゆく。そして栄えた国はますます地気脈を太く強いものにし、密度を高くして気塊を大きく育てていくのである。

 逆に地気脈が痩せ細くなれば、農作物に影響がではじめ、天候も不順となり、寒暖の差が激しくなる。次第にその地を治める国は傾き、衰退してゆく。

 地気脈が痩せるだけならばまだ先の見込みがある。地気脈が移動したり、消えてしまうと灼熱の砂漠になって大地は死に至ってしまう。

 十四年前、長老たちがもっとも恐れたのが地気脈への影響だった。《学びの塔》は大きな気塊の上にあり、気塊は気の乱れに敏感に反応する。気塊の変動は地気脈に影響を与え、地気脈の動向次第では大地の命運を分けることになる。

 宝物庫の気は、気概への影響を心配するほど大きく乱れていた。

「落ち着いてください。黄水晶が失われて、地精たちが一時期、暴走しているだけかもしれません」
「いや、白水晶に込められた気が乱れているのかもしれん。相方が消えたために対の均衡が崩れた可能性がある」
「このままでは崩れた均衡が気塊に影響を及ぼすことにもなりかねんぞ、どうする?」
「ひとつ言えることは、このまま気が乱れたままでは過去見ができぬということだ」
「このままモースの二の舞とならなければよいのだが」
「馬鹿な。ここには白水晶がまだあるのだぞ。気塊が消滅するなどありえん話だ」

 嵐のように大地の気が乱れている中、魔道を施すなど命を捨てるような行為だ。これほど乱れた状況で魔道を正確に発動できるとは限らない。

 原因は不明のまま、魔道師たちは気の乱れが落ち着くまでじっと待つしかなかった。

 だが一度乱れた気が落ち着くのには長い年月を必要とした。

 嵐が過ぎ去り、地気脈が一定の落ち着きを見せるまでおよそ十二年。そうして魔道を発動できるほど気が鎮まって、ようやく過去見を試みることができるようになったのは今から二年前のことである。

 過去見の基本は、まず《場所》を決めること、次に見たい在りし日の《時間》を決めることにある。

 魔道師たちは黄水晶を保管していた台座を《場所》と定め、調査する《時間》帯を、十四年前の点検日から遡ること二年間とした。十六年前の点検では不備はなかったので、それ以前は調査対象から外したのだ。

 十四年前から十六年前──このどこかに目当ての瞬間がある。魔道師たちはそう睨んだ。

 魔道師たちはその二年間の過去をしらみつぶしにあたることに力を尽くした。

 そうして、過去見をはじめてからおよそ二年経ったこの日、黄水晶の消失の瞬間をようやく捕まえたのだった。





 長老たちが宝物庫に到着すると慌ただしく過去見が再び行われた。

 代表して過去見を施したのは四十年の魔道師歴をもつ上級魔道師アジャマラル・ムキールである。熟練の魔道師は早速、水の精霊を使役して薄い水膜を空中に張り、その水膜に十五年前の在りし日の黄水晶を映し出した。真球の、向こう側が透けて見えるほど綺麗に澄んだ黄色の水晶珠がそこにあった。まさにそれは長老たちにとっては記憶のままの美しい姿だった。

「おお」
「黄水晶だ」

 安堵の声がそこかしこからあがる。

「塔長、そして長老がた。十五年前に蝕があったのを覚えていますか? 我々が見つけ出した問題の日時はまさにその蝕の時でした。蝕が起こる前の黄水晶がこれです。よろしいですか。次は蝕がはじまったころをお見せします」

 アジャマラルは次の過去見の準備に入った。しばらくの間、過去見の発動に神経を注ぐ。

「確かに覚えておるぞ。あれは見事な蝕であった」
「そうだ、すっぽりと陽が月に陰り、真昼だというのに少しの間だったが完全な夜が訪れたのだったな」
「その通りです。──用意ができました。こちらをご覧ください。黄水晶の内部の一部が光って三日月のような形をしているのが見えますか? これは蝕がはじまって数刻経ったころの様子です。この時、蝕によって陽が欠けた部分、つまり月が重なった部分にあたるところがこの黄水晶の輝いている部分にあたります。──このまま見ていると数刻かかってしまうので時間を飛ばします」

 またしばらくするとアジャマラルは別の過去を映し出した。

「黄水晶の光っている部分が、半月のように先程よりも肥えてます。わかりますか?」
「蝕が進むと黄水晶の輝く部分も進むということか」
「はい。ではもっと先をお見せします。──完全なる蝕がはじまる瞬間です」

 今度の黄水晶は真球全体が輝いていた。
 
「まるで満月のようじゃ」
「真ん丸よの」
「そうです。そして、完全に空が真っ暗になった瞬間が──────これです!」

 満月の光だったほのかな輝きが、一瞬にしてまさに陽光のように目が眩むほど煌めいた。

 宝物庫は黄色い光に包まれ、あたり一面が刹那、白くなる。

 その場にいたもののほとんど全員が反射的に眼を閉ざしていた。

「うわ!」
「何だ、この光は!」

 爆発的な光の放出が治まると、誰もが眼を瞬いた。

「さっきまでそこにあったのに、消えとる!」
「まさか蝕に同調したのか?!」
「いったいどこに消えたというのだ」

 お静かに、とアジャマラルの声が宝物庫内に朗々と響いた。

「これでおわかりでしょう。黄水晶は盗まれたのではありません。水晶自ら消え去ったのです」
「自らだと!  馬鹿な!」
「まさかこんなことが……!」
「ですがこれが真実です」

 黄水晶が消え去った。それが意味することは何か。長老たちは顔を見合わせた。

「未来読みに出ればよいが……」
「そんなに都合よくはいきますまい。未来読みはこちらでどうこうできるものではないのですぞ」
「それに運よく見れたとしても、見れる範囲はたかが知れ取る」
「地気脈の変動状況を調べたらどうでしょう。黄水晶の気は尋常ではありません。影響があらわれるのでは?」
「地気脈は十年単位で差を計らなんと我々には変化などわからん。数年で見つかる変動となるとそれは相当なもんじゃ」
「それでは遅かろう。わずかな変化を計れるのはかの御方だけでしょう。早急にお知らせしましょう」
「それがよい。地気脈に変動があったら一大事だ。陽の方向に進めばいいが、もしも陰に向かうのなれば大事だぞ」
「まあまあ、ここで顔を突き合わせていてもどうにもならんわ。塔長どの、とりあえずかの御方と各国に散っている同胞たちに地気脈の変動を見守るよう通達しましょうぞ」
「そうしましょう。今、我々にできることと言えばそれだけでしょうから。アジャ、ご苦労様でした。みなもよく頑張ってくれました。黄水晶の行方はきっとわかります。そう信じましょう」

 だが、その意気込みに水を差すものがいた。連絡をつけたところ、もっとも優れた地気脈の判定者が個人の都合により現地調査に行けるのは早くて七年後だと言ってきたのである。彼を抜きにして本格的な地気脈変動の状況調査ははじまらない。

「困ったものだ」

 長老会は眉をひそめた。

「あまりにも悠長すぎる! 優先すべきはこちらでしょうに!」

 一番年若い長老が声を張り上げ、ほかの長老たちの同意を得ようと試みた。だが周囲は慎重な態度を崩さない。

「気持ちはわかるがあちらにも都合というものがあるのじゃよ」
「それほど言うのならそなたが訴えてみるか? 彼がけんもほろろに一蹴するのは眼に見えてるがな」
「かの御方相手にそんな大層な態度がとれるものがここにおるとは思えん」

 《学びの塔》は依頼する立場であり、お願いは「される」より「する」ほうが立場が弱いものなのである。

 それに判定者の言い分ももっともなことなのだ。

「生まれたところで育たないと言われた子をここまで育てるのにどれほど苦労したか、きみたちにわかるかい? あの子が成人するか、性選択が確定するまでは動けないよ」

 生まれてすぐに世話を手伝うようになって以来、彼は虚弱体質なカンギール人の子どもにずっと付き添っていた。何度も生死の境をさまよった子どもであるが、先月ようやく八歳の誕生日を迎えらえた。喜ばしいことである。

 かの子どもの誕生祝は国を挙げて祝い、《学びの塔》までも明るい雰囲気に染まった記憶は新しい。

 子どもはイクミル国王の初孫であり、この世界で左右異色の稀有な瞳を持つ三人のカンギール人のうちの最年少者だった。

「とにかく我々だけで独自に調査を勧めましょう」
「精密な調査結果を得るには彼の協力なしでは敵わないこととはいえ、何もしないよりはましですからな」

 そうして月日は流れ、子どもは幸いにも健やかに育ち、十六歳の誕生日前に男性化した。

 無事、子どもの成長を見届けた判定者はイクミル王国の王宮を離れることを良しとし、約束通り《学びの塔》を訪れた。やっと本格的な地脈の調査がこれではじまると魔道師たちは喜んだ。

 《学びの塔》の宝物庫内をぐるりと見渡しながら、判定者は言った。

「残りの白水晶は安定しているようだし、とりあえずここは大丈夫なんじゃない? ってことで、まずはイクミルから調べてみたほうがいいだろうな。それで手がかりなしだったら次はオルゼグンに行ってみよう」

 即決である。

「聖王家直系王家をかかえるイクミルを最初に探すのはわかりますが、どうしてオルゼグンが二番手なのですか?」

 長老のひとりが質問すると、判定者は笑って答えた。

「そんなの簡単だよ。あの国にはロザイの血を引くカンギール・オッドアイがいるからね。ここ十数年は特に精霊の加護が多いんだよ」

 判定者は塔長に眼をやった。

 《学びの塔》を率いるこの塔長も左右異色の瞳を持つひとりである。

「黄水晶はきっとかの照る陽の方の気に惹かれたんじゃないかってぼくは睨んでる。だから探す順番は、きみと王子がいるこのイクミルが一番最初。次がオルゼグンのウッドロー。それで駄目なら適当にしらみつぶしにまわるしかないね」





 吟遊詩人たちが好んで歌う「日没の交換」という歌がある。

 「茜さす照る陽(ひ)の君と射干玉(ぬばたま)の月詠の女神の恋詩」という長い物語の一節を抜粋したものが、この歌の原詩である。

 ひとつの言い伝えが人の子の間で息衝き、それが古の真実に違いないと信じている人の子がいまだに多い。

 人の子は今も伝える。

 かつて、この世界ができる以前、ある異なるふたつの界は交わることなくぴったりと重なり合っていた。《茜さす照る陽の一族》の界と《射干玉の月詠の一族》の界がそれである。

 位相が異なるだけでまったく同じ界であったそのふたつの界は、長い時間をかけてだんだんとその位相の差を小さくしていった。そしてとうとう、位相を同じくする同調の瞬間が訪れる。

 新しく生み出されるその界は、陽と陰がともに存在する世界だった。そのため、陽の性質の《茜さす照る陽の一族》、陰の属性の《射干玉の月詠の一族》は新世界に存在することが叶わなず、それぞれの界から旅立つ指針を固めていた。

 地精や火精などの茜さす照る陽の小さき眷属は新しい界に息衝くことが許された。風精や水精などの射干玉の月詠の眷属も然り。こうして、のちに四大精霊と呼ばれるそれぞれの眷属だちは新世界に残ることになった。

 《茜さす照る陽の一族》の第一の眷属である《金の使徒》と呼ばれる聖獣たちは、主とともに陽の界を去ることになった。《金の使徒》は強い陽の属性をその身に纏っていたため、陽神同様、新しい界で存在することが叶わなかったのである。

 それぞれの一族が旅立つ蝕の日、これまで蝕が起きるたびに逢引きを重ねていた《茜さす照る陽の一族》の若き陽神と《射干玉の月詠の一族》の女神の二柱は、二度と会えない恋人を想い、互いの想いを詰めた水晶を《銀の使徒》に託した。

 《銀の使徒》は、月詠みの女神が若き陽神に仕える《金の使徒》に月の属性を与え生み出した陰陽の性質をもつ銀を纏う唯一無二の《使徒》であり、陽と月の属性を持つがゆえに新しい世界に残らざるを得なかった哀しい聖獣だと伝えられている。

 二柱の恋人たちは《銀の使徒》におのれの想いを新世界に生きる人の子の中に埋め込むよう申し付け、想いの成就を人の子に願ったのだという。

 かの《銀の使徒》が界の狭間を駆け抜けた時、抱いていたそれが世界の至宝と呼ばれる対の水晶であり、そして消え失せた黄水晶は、若き陽神の想いをこめた水晶であると「日没の交換」では歌われている──。




『日没の交換』

陽の君の種族越えての恋 友よ、月詠の女神の安と信を託そう
月詠の女神の白き手の温もり 友よ、陽の君の如く頭を撫でたもう

一粒の涙、月詠の瞳より地に零る
生まれ出るふたつの石、君に与えん

陽の背の君の髪、映せし黄石
禁忌の恋見知る友の髪、溶けよ白石

昔日の陽、落ちた射干玉の暗闇 
友よ、額に白石、翳せよ 翹望の黄石、もたらせよ


「茜さす照る陽の君と射干玉の月詠の女神の恋詩」より抜粋



   


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