感じるままに vol.7



  月曜の朝、悟が俺を呼び出して、
「見ちゃいらんないよ」
そう、ぽつりと吐いた。
 
 俺は、「もう克己に戻ったよ」と微笑み返した。

「克己はそれで幸せだったのか……?」

 悟の声は静かだった。

 俺はこくんと頷いて、
「克己は知らない。けど、俺は幸せだったよ」
できるだけ幸せに笑った。

「和義の奴、俺は許せないよ。『STEP』から『KATSUMI』を一時的にも奪ったんだぜ。
それもあいつは克己としてではなくっ!」

 悟は覚えてくれている。
和義が触れた、至福の時間が存在したことを。

 南風に晒された頬が暖かい。

 その暖かさを、より熱くする涙が零れた。

「おまえ、泣き虫になったな」

 悟は、呆れたと言わんばかりの溜め息をついてみせた。

「嬉し泣きだよ」
「馬鹿か、おまえ。そういうのは嬉し泣きとは言わないんだ」

 制服の袖で乱暴に拭われて、少し顔がひりひりした。
それから悟は目を擦る俺を真っ直ぐに見て、またひとつ大きく嘆息してからこう言った。

「アレ、使うからな。
おまえが『KATSUMI』として了解したんじゃなくても、このままじゃ俺の気が済みそうもない」

 俺の応えは決まっていた。

「KATSUMI」として、もう一度「STEP」の信用を得るには、「わかってる……」と応えなければならないってことは、いくら俺でも知っていた。




 次の日も、その次の日も、和義は俺を義弟として扱った。

 何事もなかったような、あの日々はすべて幻だったかのような、平凡な日常。

 教室にいるとたまに女の子がやってきて和義を呼び出していくそんな情景も、以前と少しも変わらなかった。

 恥じらいながら、友達に付き添われながら……。
そんな女の子たちはとても綺麗に見えた。

「相変わらず、おモテになりますことっ」
「ここにも男はいるってのによっ」

 大森と篠田はぶつぶつ言いながらも、「どうせいつものこと」と彼女たちを無視した。

「懲りないんだよね。カズが断るの、わかっててやってくるんだよ、彼女たち」

 徳永が、ちらっと廊下に視線を送ってそう言った。

「でも、人を好きになるってそんなものだと思う。彼女たち、綺麗じゃない?」

 俺の言葉はみんなの顔をこっちに向けさせた。
俺は彼女たちの気持ちがわかったから、徳永みたく「止めとけばいいのに」とは言えなかった。

「克己くんがそう言うとは意外だったなあ。
結構、『和義の気持ちも考えてくれればいいのに』とか言うのかと思ってた」

 徳永は俺を「克己くん」と呼ぶ。和義側でそう呼ぶのは徳永だけだった。

「彼女たちにしてみれば、好きだって打ち明けることで自分に素直になってるんだ。
和義を好きになったのも、和義が振り向いてくれるのを期待してじゃないと思う。
好きになったのは自分のせい。和義のせいじゃない。……告白って、彼女たちを一番綺麗に見せるよ」

 俺が好きになってしまったのも、和義のせいじゃない。
むしろ、俺は彼女たちより幸せなのかもしれない。

 一度は触れ合ったのだから──。

「おまえって詩人だなあ。やっぱ、克己だわ」
「この調子なら『STEP』は安泰だ。なあ、悟?」

 悟は俺の頭に手を置いて、何度か、ぽんぽん……と叩き、肩に腕を回してきた。
そして、「当ったり前じゃん」と俺にじゃれつく。

「克己は『STEP』の宝物だぜ。すっげえ綺麗な心してるんだからなっ」

 俺は汚いのに、悟ったら……。

 克己として綺麗でいるためには、もう沙和子になっちゃいけないんだね。

「克己くんは太っ腹なんだね。でも、カズの奴の気持ちも汲んであげてほしいな。
そんな彼女たちを相手にするからこそ、返事をするのも辛いんだってさ」
「和義なんて問題じゃないよ。想いを返して貰えない彼女たちのほうが辛いに決まってるっ」

 瞳が潤んでしまう。

 どうして今さら俺の気持ちに波を立てるの? やっと克己に戻りかけてるところなのに。

「まあまあ、ふたりとも。徳永と克己が言い合ったって、当の本人はあちらさんたちなんだからさ。
そんなに熱くなるなよな」

 篠田がへらへら口調で軽く机を叩いて俺たちを宥めた。

「俺たち」じゃない、「俺」を宥めたんだ。

「俺、克己に賛成」
「悟、おまえまでなあ」

「俺も。克己のに一理あるよ。告白するときが一番綺麗だなんていいな。
辛いことが待ってるかもしれないけれど、綺麗になる女の子を見てるのは気持ちいいよ」
「大森ぃ、おまえまで……。まったく克己は見方を作るの上手いよな。
止めた止めた。俺も克己につくぞぉっ」

「何だ、結局おまえもじゅん。アホらし」
「克己の書く詩ってさ、ほんと、今のみたいなんだよな。透き通るようなイメージでさ」

 篠田が言う「透き通る」は、俺にとってすごい褒め言葉だった。
そういうふうに言われるのって、すごく嬉しい。

「篠田も結構な『KATSUMI』ファンだなあ。
なら、克己が今のイメージになったのいつ頃か当ててごらんよ」

「STEP」の佐藤が、俺のほうに目配せした。
俺の書く曲に変わり目があったなんて初耳だ。

「そんなぁ、おまえらじゃあるまいし、わかりっこないぜ」
「で、いつ頃なわけ?」

「仲間うちじゃみんな気付いていたけれど、確か去年の冬口あたりだったよ。
もともと優しげな詩を得意としてたんだけど、その頃になって一気に透明感が出てきたんだ。
恋でもしたのかなって『STEP』じゃ話題になったな」

 去年の冬口──? そっ……か……。

「恋ねえ。そういや、克己、綺麗になってきたもんなあ」

「気持ち悪いな、裏があるみたい。眼鏡かけると顔が変わるとか言ってたくせに」

 ホント調子がいいんだから。

「いや、マジで」
「──え?」

「俺もそう思う」

 悟まで……。どうして……。
俺は綺麗なんかじゃないってこと、おまえが一番知ってるだろう?

「克己は綺麗になったよ。何か許せないけど」

 悟は続けた。

 けど、そこに割り込む声があった。

「許せない、とは聞き捨てならないな」

 悟の眉尻がやや上がる。

 みんなが一斉に俺と悟のうしろに目を剥いた。
和義がいつの間にかそこにいたのだ。

 和義は「悪いな」と言って、俺の肩に回していた悟の腕を解くと、「どうせ、余計なことでも喋ってたんだろう」と、徳永をちょっと睨んだ。

「別にぃ、俺はただ、も少しおまえの気持ちをわかってやって、と言っただけだよ」
「それが余計なことって言うんだ」

 和義が「ん?」と視線を送った途端、俺はすぐに目を逸らしてしまったから、あいつがどんな顔してそんな台詞を吐いていたのかわからない。
けど、やっぱりまだ和義を見てるのは辛い。

「おー怖い怖い。なあ、千葉。カズを敵にまわすのだけは止めとけよ」
「少し遅かったな、もう充分敵なんだぜ」

 篠田、大森、佐藤は理由もわからず、きょとん、としていた。
俺としては、その話なら聞きたくなかった。

「俺がどうしておまえの敵にならなきゃならないんだ? 千葉に悪いこと、俺したか?」
「『STEP』の敵は俺の敵、わかった?」

 和義は「ちょっと」と言って千葉を呼び出すと、ふたりして教室から出て行ってしまった。
残された俺たちは言葉が続かなくなって、静かにふたりを待っていた。

 でも、いくら待っていてもふたりとも帰って来なくて──。

 そのうち、徳永が口火を切った。

「長期戦になりそうだな」





 悟と和義が戻ってきたのは一時間後。
こいつらは授業を投げてまでして、何やら話をつけていたらしい。

 そして、戻ってきた早々、俺は悟に頭をこずかれた。

「おまえ、この三日のうちにひとつ曲を俺に渡せよ。無性にイラついてんだからな、俺は」
「無理だよ、三日だなんて。今現在一本もストック用意してないんだから。ほんとに俺、真っ白なんだ」

「おまえ、俺に喧嘩売る気か? ったく、情けないよ」
「……ごめん」

「馬鹿、俺は自分が情けないって言ってんだよ。おまえなんか、もう知らねえよ」
「そんな。悟……」

 泣きべそをかく俺など無視して、悟は佐藤を呼び付けた。
そして、とんでもないことを言い出してる。

「これから克己が一曲作るから、メニューにひとつ空きを作ろう。昼休みにメンバーを集めてくれるか?」
「今からっ!? 間に合うのか?」

「克己が間に合わすだろっ? それくらいしてもらわなきゃやりきれないぜ、俺はよ」

「悟ぅ……」

 俺は涙が出そうになった。

 だって、勧誘会まであと八日しかないんだ。今から新しいのなんて自殺行為だよ。

「ほれ、おまえの義兄貴が呼んでるぜ。早く行きな。そのまま早退していいから曲だけはしっかり作れよ」

 つっ、冷たい……。突き放すんだもんなあ。

 教室から出ると、廊下で和義が待っていた。
手招きで「ついてこい」という。

 バスケ部の部室まで行かされると、扉をピシャリと閉められた。
和義も少し殺気立っていた。

 強引に椅子に座らせる迫力満点の秀麗な容姿は、充分に俺をビクつかせた。

 こんな時、整った顔って怖いくらいに冷たく見える。
和義じゃないみたいだった。

「克己、今ここでおまえを抱きたいって言ったら、おまえどうする?」

──え……?

「黙って抱かれる? それとも逃げる? 俺は克己に訊いてるんだぞ、そのつもりで応えろよ」
「急に……何、言って……」

「克己、返事は?」

 克己として……和義は好きだけど、もう母さんにはなれない。
沙和子でいられたのはあの三晩だけだって、おまえが俺に教えたんじゃないか。

「NO……だよ。俺、嫌だ……。も、母さんにはなれないよ……」

 和義が俺の側にきた。
ぐいっと俺を引き付けて、思いっきり頭を上に向かせた。

 覆われた両頬がすごく熱い。

「克己、俺がいつ、沙和子さんを好きだと言った? 俺がいつ、おまえに沙和子さんになれって頼んだ?
そんなこと一言も俺は言ってないぞっ」

 怖いっ。ぶたれるかと思った。
瞬間、目をつぶって叩かれるのを待ってしまった。

「克己、目を開けろ。ちゃんと目を開いて俺を見ろ。俺の瞳には誰が映ってる? 見えないのか?」

 俺の顔……。
双の茶の瞳には俺が住んでいた。

 俺の顔をした人……。

「克己、愛してる……」

 和義の唇が痛いほど俺を吸った。
俺の抗う腕をうしろ手に押さえつけて、耳うしろから首筋を攻めてくる。

「……や……だ……。も、俺、……沙和子なのは……嫌だっ……」
「おまえは克己でいいんだ。俺がこうしてるのは克己だ」

 和義の身体が俺の上に重なった。
ふたつの身体ともに熱かった。

「好きでもない奴を抱いたりしない……。それほど俺は落ち潰れた男じゃないぞ。
おまえがキスをせがんできた時、切羽詰まったおまえの気持ちを知りながらも俺は嬉しかった。
おまえは自分を卑下しすぎてたから、またそんなことで悩んでいるのかと思ってた……」
「だってっ、おまえは母さんのこと好きだったってっ! 俺は母さんに似てるってっ!」

「ああ……。沙和子さんは好きだよ。あんな明るい人、嫌いな人間はいないだろう?
うちに治療しにきたとき知り合って、父さんと素敵な人だなって話してた。
俺の義母親になるかもしれないって聞かされた時、何より義弟ができるってことが気に入った。
義弟には優しくしてやろう、いい義兄貴になってやろう……、ずっとそう思ってた……。
克己はすぐ熱を出してたから、人一倍その気持ちは強くなってたんだ」
「でもっ……」

「兄弟ってさ、俺がおまえを構うほど相手に甘くないんだってさ……。俺、徳永に言われた。
──おまえ、知ってたか?
年齢が離れてるならともかく、同い歳の奴にそこまでするのは相手に失礼なんだそうだ。
徳永の奴、義兄弟として気を遣ってるようには見えないってそこまで言うんだぞ。
なのに、釘を刺されて義兄貴として見守るつもりでいた俺を、おまえが挑発したりするから……」

 掴まれていた手首を放された。
和義の唇が今にも俺のと触れそうなくらい近くにあって、言葉に混じって息が届いた。

 ぎゅっ……と抱き締められて、俺はやっと瞳を閉じることを許された。
おずおずと和義の背中に手をのせる。

「もう一度訊く。ちゃんと応えてくれよ。今すぐおまえを俺のものにしたい……」

「俺でいいの……?」
「ここには克己しかいないだろ? いい加減、気付けよ」

 だっ……て…………。頭の中が白くなってて……。考えがまとまらない。

「和義、俺の顔……好きだって…………」

「ああ、好きだよ。かわいいものな。
おまえがそこまで気にするなら言うけど、俺は沙和子さんよりおまえの顔のほうが好きだぞ。
わかったか。これ以上、ちんたら沙和子さんがどーのなんて言うと俺だって怒るからな」

 落ちる涙を吸い上げる。和義は優しく俺の頬に口付けをする。

「おまえの意思を尊重したい、返事を聞かせてくれよ」

 揺らいで見えた和義の、形のいい柔らかそうな唇にゆっくりと、時間をかけてキスをした。
優しくも激しくもない。ただ、暖かいキスを……。

 どのくらいそうしていただろう。
唇を放して、和義の顔を間近で見上げると、和義は花が零れたように微笑った。

 ああ、花びらが舞い落ちる。俺の上に、和義の上に。

 俺たちは花に埋もれ、春に抱かれるために静かに倒れていった……。

 ふたりひとつに重なって──。





 渡り廊下を和義と歩いていたら、養護のセンセに捕まってしまった。
今は授業中のはずだったから、ホントにじろじろ見られてしまった。

「気持ち悪くて保健室に行く途中、でもなさそうね」

 にやり……と、ヘンに笑みを浮かべて、俺の額に手をのせる。

「克己くんや、ちょっと熱っぽいわよ。お義兄さんと一緒にあたしのとこへ来る?」
「え、遠慮します……。授業があるから……」

 身体が自然と引いてしまった。
先生の目ってそれほど三日月のように曲がっていたんだ。

 そう、まさに獲物をみつけた魔女って感じ。

「あら、残念。かわいいタイプはあたし好みじゃないけど、克己くんならって思ってあげたのに。
それとも、そちらのハンサムなお義兄さんのほうが、克己くんはいいのかしらぁ?」

「センセ、そんな……」

 俺の顔はどうしたって熱が上がってしまう。

「では、そちらさんに忠告しておこう。あまり義弟さんに無理させちゃだめよ。
それでなくても熱出しやすい体質なんだからね」
「肝に命じておきますよ」

 和義、ほんと敬意しちゃうよ。このセンセを相手に動じてない……。

「よしよし、ではもうひとつ。首筋に跡を残すのは感心できないわね、今度からは気をつけなさい」

 み、見られたっ!? 

 咄嗟に襟を上げてしまった。
首筋まで真っ赤に染めてるのが見えなくてもわかるっ。

 しかし、この攻撃も和義には効かなかった。
和義は平然と、それも極上の微笑みでもってこのセンセの魔力を阻止したのだ。

「すみません。若気の至りという奴です。ほんとはそこまで考えなきゃいけなかったんですね。
俺もまだまだ甘い。これからは跡が残らない程度にしておきますよ」

 俺は和義っていう人間が、この時そら恐ろしく感じた。

 俺が好きになったのはこんな和義だろうか、と。





 教室では教室で、悟に、「一曲納めるのは当然の仕打ちだよな」と呆れられた。

 だって……、俺だってこんなこと思いもしなかったんだ。

 少し離れたところでは、徳永が和義に、「結局、義弟? それとも恋人かな?」と訊いたりしてる。

──恋人、だなんて……。

 恥ずかしくて俯いてしまう俺。

 しかしながら和義は、さも何もなかったように、普段の調子で適当にあしらっている。

「和義ぃ、ご指名だぞっ」

 教室のうしろのドアに女の子が立っていた。
和義が徳永を振り払ってそちらへ向かう。

「あらら、幸せそうな顔しちゃって。あの娘、誤解しなければいいけどね」





 そしてその晩、夕食の席で、和義が俺にキーボードを差し出した。
三人からの、夜の騒音防止対策なんだそうだ。

「ごめん、そんなに響いてた?」

 ほんとに申し訳なかった。
二階の隅の部屋だったから、大丈夫だと思ってたんだ。

 一応、小さな音で弾いていたつもりなんだけど。

「いや、君が気にせずに弾けるようにと思ってね。ちょうど知り合いがいるからと和義が言うものだから」
「千葉に相談したら、灯台もと暗し、同じバスケの奴で楽器屋の息子がいたんだよ。
それで知り合いってことで、ずいぶんマケてもらったんだ」

「いいわねえ、克己。母さん、これからぐっすり眠れるわ」
 嫌味だな、母さんったら。

「そうそう、俺も父さんたちにねだりたいものがあるんだけど」

 すると、お義父さんがギクリとして、「和義のは高くつくからなあ」と渋い顔をする。

「あなた、克己だけっていうのはよくないわ。和義くんにも平等に、ね?」

 母さんに促されて、お義父さんも覚悟したようだった。

「沙和子さんにそう言ってもらえるとホント助かるな。実はさ、俺のほしいものって克己なんだ」

「…………?」

 声が出なかったのは俺だけじゃない。母さんたちも同様らしい。

「──和義くん。わたし……今、克己がほしいって聞こえたけど……?」
「ああ、沙和子さんの耳はまだ耄碌(もうろく)してないから安心して。俺、確かにそう言ったんだから」

「その……まるで、お嫁にくださいと言われたようだわ……」
「う、うん、そうだねえ……。和義、克己くんは品物じゃないんだよ。それは克己くんに失礼じゃないかね」

「じゃ、克己がいいって言ったら父さんたちは構わないんだ。
沙和子さん、どうも。恩にきるね。先に礼を言っておくから」

 そして、和義は身体を捻って俺にこう言ったのだ。

「聞いただろ? おまえの所有権は俺にあるってさ。お許しが出て良かったな」

 それはそれは恐ろしく、見惚れてしまうほどの凛然たる凄みのある笑みだった。

 俺はとんでもない奴を好きになってしまったんじゃないだろうかと、またまた薄ら寒くなるのを感じてしまう。

「う、うん……」

 その時、箸も震えるほどの、俺は鷹に睨まれた兎の気分を味わっていた。





 感じるままに……、俺は恋を綴ってゆく。

 ヘッドフォンを耳に当てて、電子音を拾い集めた。

 自然と埋まりつつある楽譜。

「克己」

 そう呼ばれて、キスを受けた。

 そして、また、感じるままに恋を綴った。



 翌朝、悟の手には、今までで一番の出来と自負する、「KATSUMI」の新譜が握られていた。

 悟は嬉しそうにメンバーのところへ駆けていく。
その小さくなる背を送りながら、俺は「STEP」の演奏を想って微笑った。

 肩に置かれた和義の手が暖かい。

「気に入った曲が書けたようだな」
「うんっ!」

 和義の問いに、俺は自信たっぷりに頷いた。
とろけそうな笑顔でもって。

 そう──。

 だって、ずっと待ってたんだ。



「これからのスケジュールに泣き喚く『STEP』の姿が目に浮かぶほど、か?」
「うんっ」



 だって、深く祈るほど待ってたんだよ。

 こんな恋の曲が書ける日を──。






「感じるままに」


 白んだ朝の匂いを 頬に触れる髪に炊きしめる
 失うことを最後まで恐れた あなたの匂いがしてる

 眠りを誘うキスを ふたつ瞼に落としてくれた
 掠れた「おやすみ」が耳に残る 刻まれた囁きが甘い

 この恋を 感じるまま そのままに紡ぐよ
 伝えてよ 「素直になることをもう恐れない ふたり辿りつく道を信じ続ける」
 どうか 心からの約束を かけがえのないあなたに


 いつも膝を抱えて いつも顔を俯いていた
 ずっと迷子でいた俺には あなたの手は暖かすぎた

 抱き締める腕が 虚ろな瞳を揺り起こした
 唇が 熱くたぎる痛みを 恋砕かれた音を掬い上げた

 この恋を 感じるまま そのままに綴るよ
 この想い 溢れすぎて苦しむときも 花も綻ぶ微笑みが返される
「もっと好きになりなさい」 口付けから教えられた


 いつでもどんな時も ほんとの幸せを夢見ていた
「触れるほど近くにいさせて」 強く深く祈ってた

 舞い落ちて語る 焦がれに焦がれたその呟き
「愛してる」が聞きたくて 泣いてせがんだこともあった
 そんな夜は抱き寄せられて
 逃げたくなるほど激しい抱擁を はげしいキスを浴びせられた


この恋を 感じるまま そのままに紡ぐよ
この恋を 感じるまま そのままに綴るよ
この恋を 感じるまま あなたに伝えたい


                              作詞/作曲 KATSUMI


                                                         おしまい


*** あとがき ***

最後までお付き合い、ありがとうございます。
感じるままに、想いを伝えられたらいいなあ、と思いながら書いたものです。
実際には、羞恥心や、自尊心が邪魔をしてしまって、
想いを素直に伝えるのは、とても大変なことだとわかってはいるのですが……。

個人的には、保健室のセンセが好きです。
結構、クセ者だったりして。
いつになったら、彼女はお嫁に行けるのでしょうか。謎です(笑)。

「あらあら、辛そうね。保健室で一休みしていきなさいよ。退屈させないわよ」
擦り傷ごときで、顔のいいのを選んで、無理矢理引っ張り込んだりして。

克己は常連さんだから、何かと留守番おしつけられちゃったり。

実は次のターゲットはバスケ部の新副部長、徳永……。
知らぬは仏とばかりに、克己も和義も沈黙を守り、
自分たちの平穏無事な生活に飛び火しないよう密かに生贄を差し出している……なんて。
話題には事欠かない存在だと思います。

by moro


moro*on presents




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