カロライン彗星の七宝作品


飯沢能布子

はじめに

 カロライン・ハーシェル(1750-1848)の大きな業績の一つは、彗星の発見でした。私は生誕 250年を期に長谷川一郎さんが執筆された「カロライン・ハーシェルが発見した彗星」(協会ニューズレター第100号から第104号に連載)などに触発され、カロライン発見の8彗星とその背景の星座を主なモチーフに9枚の七宝作品を創作しました。それぞれの狙い、裏話などを制作メモからご披露します。

[1-1] Coma Berenices かみのけ座と1786II彗星

 カロラインが彗星探査をはじめて最初に発見したのが、1786年8月1日の夜、おおぐま座の後足からかみのけ座(神話ではヴィーナスに捧げ、天に上げられ星座になったというエジプト・プトレマイオスの妃ベレニケの美しい髪という)19番星の近くに経路をとったことを題材にしています。画面はComaの上部におおぐまの右後足を、右にししの尾と、星座ではありませんが右下にヴィーナスの神殿をイメージして建物を配しています。

 この制作を前に資料を見ていた時のこと、彼女が発見した位置の19番星が星図やシミュレーションしても見当たらないので不思議に思い問い合わせて(後にボーデの星表で19番星の赤経・赤緯が確かめられたのですが)、16番星に最も近いことを教わり、構図に自信が持てました。かみのけ座は「微光星のかたまったところで目立たない」(「星座の神話」p. 110、原恵・恒星社厚生閣)が「小さな星がまるで露の玉の散ったよう」にと、小林悦子さんが美しい魅力的な表現をしておられます。私は海に漂うくらげのような髪形の神秘的なところを神殿から天に上げられたような構図にし、M5, M64, M85, M88, M99, M100, NGC4565, NGC5053をそれぞれ入れて華麗さを強めました。1999年7〜9月の作。

[1-2] Bootes & Canes Venatici うしかい座、りょうけん座と1786II彗星

 カロライン発見第1の彗星をうしかい座と組み合わせた作品です。ここでは画面に星座の他に彼女の彗星探査の偉大な業績を讃えるシンボルとして、彗星探査望遠鏡を取り込みました。 1786年8月1日夜半前に発見した彗星は「17日には肉眼でも見え、尾が見えはじめ」、うしかい座を通りヘラクレス座へ進んだとあります。この様子を作品の横点線の銀粉で、又うしかい座を囲むかみのけ座、かんむり座をそれぞれ星を結んだ形の銀線で表しました。

 色は全体にマラカイトグリーンにし、ハーシェル子孫の一人シャーロットさんからの依頼(協会ニューズレター第111号、第112号の拙稿参照)で研究した色の成果を現してみたかったことと、左下のカロラインの望遠鏡と、古今のハーシェルさんに心を込めて、と申し上げましょう。2001年6月〜11月の作。

[2] Lyra こと座と1788II彗星

 第2番目は1788年12月21日夜、こと座β星近くに星雲状の天体を発見し、今ではハーシェル・リゴレー周期彗星と呼ばれている星です。この彗星がこと座β星を通り上方のりゅう座方向へと進んだことを、画面ではほの白い線で表しています。ミルク色の天の川に懸かる白鳥と金色の琴、それらにうつりの良い色をトルコ玉の色にしました。それはシャーロットさんが「娘アニ−の目の色に似合いますので」と言ってきたトルコブルーであり、背景に鏤めた星々にも小品のテクニックを取り入れています。右上の朱色は竜の頭を、琴の向かって右に銀線でヘルクレス座、白鳥の頭の左側の亜鈴状星雲M27でこぎつね座を暗示し、星座の位置関係を表しました。

 2000年10月半ばからの制作中、長沼はいい季節で秋たけなわの星空を楽しんでいましたが、彼女が観測したクリスマスの頃には北十字はもっと西北に移っていたでしょうか。

[3] Pegasus ぺガスス座と1790I彗星

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 第3番目は1790年1月7日夜、ぺガスス座の東端に発見したとあります。ぺガスス座の画面上部にいるか座とこうま座、天馬の前足の蹄の先は天の川です。北海道では1〜3月にかけて最厳冬期ですから、カロラインが凍てつく酷い寒さや雪と戦ったであろうことはとても良くわかります。顔や耳の奥が痛くなる程の寒い頃は星は言い様も無く豪華に美しいのですが、10分も外にいると耐えられません。

 神々しく飛翔する天馬の羽根の表現に、昨年仏国リモージュで見た中世の七宝からヒントを得ました。透明と半透明釉の明度の差を生かした面白さを狙いました。2000年10月に制作を始めて対象にぐいぐい引き込まれ、自由に直向きに気分の高揚が続いたように覚えています。

[4] Cassiopeia カシオペヤ座と1790III彗星

 第4番目の彗星発見は1790年4月18日夜明け前、アンドロメダ座α星近くであった。その後「カシオペヤ座の中を通って、尾が見えた」との記録を作品にしました。

 この画面上部から下方にカシオペヤ座を貫く薄水色の線が経路で、王妃の左脇腹あたりに尾を引いている彗星(同年5月17日)が方向を示しています。画面上に無いアンドロメダ座を扇の上の大星雲M31で暗示し、左側に五角形でケフェウス座を配して、神話の古代エチオピヤ王家の3人と天の川との位置関係が分るようにしました。

 ゲルマニクス・カエサルの翻訳による『アトラスのファイノメナ』の邦訳(「グロチウスの星座図帳」千葉市立郷土博物館編集・発行)p. 50に−「カシオペヤ座」は彼女の夫「ケフェウス座」の側に気高く座っている。彼女の顔は苦悩に歪み、アンドロメダを嘆き悲しむかのよう−と詩人は詠っていますが、作品は幸せにほころんだ王妃の顔になったようです。5月半ばの星座はW形に見えたのでしょうか。1999年6〜10月の作。

[5] Lacerta とかげ座と1792I彗星

 第5番目はとかげ座で1791年12月15日夜に発見し「広幅の尾も見えた」のがテーマです。とかげ座を取り囲んでいる天の川に懸かるはくちょう座にM39を入れ、下方にぺガススの足、その左にアンドロメダの鎖につながれた腕を配しています。

 とかげには星の模様のある種類がいると知り驚きましたが、これは格好のモデルとなりました。背中にグロテスクにも矢がささっているように見える銀粉の点線が、実はカロライン彗星の発見場所とその経路です。ミルク色の川や暗部の曲線がとかげの動的な形を見せるように考えた絵です。制作は2000年10月半ばに開始、年末に完成しました。


[6] Ophiuchus へびつかい座と1793I彗星

 第6番目の彗星発見は1793年の10月7日へびつかい座西部で、星はさそり座の方向へと進んだということです。画面では上方から蛇使いへ(発見場所は腰のあたり)、その足下に踏むさそり座に通ずる線が彗星の経路です。背景の様々な赤系の色使いは、これもシャーロットさん希望の「レンガ色の赤」に取り組んだ研究の結果です。透明、半透明の金赤、中赤、朱、橙、それに金色の種々を重ねて焼くことで蛇を際立たせたようです。制作開始は2000年12月末でした。

 折から10月15日に小惑星(15350)が「ナガヌマ」と命名されたことが地元2紙に新聞報道され、長沼町広報2001年新年号に掲載、協会ニューズレター第103号にその経緯と命名文が紹介されていますが、2000年のカロライン生誕250年記念に当たり、1999年から長沼町で開催してきた七宝作品展、講演会、写真展等を同町教育委が後援したことが直接のきっかけとなり、1994年11月3日、八ヶ岳南麓観測所で小惑星を発見された村松修さんと串田嘉男さんのご好意と、当協会が命名提案したことで実現した慶事でした。私はこの命名の記念になるデザインを「へびつかい座と1793I彗星」に取り入れました。それは画面、蛇使いの右足側に長三角の巻貝のような女性像が「小惑星ナガヌマ」の見立で、この星が制作時期にへびつかい座にあったからです。2001年2月完成。

[7] Cygnus はくちょう座からへびつかい座へと1795彗星

 第7番目は1795年11月7日夜、はくちょう座に発見し、この彗星は今ではエンケ(周期)彗星と呼ばれていると記されています。画面は、はくちょう座西部に発見後、へびつかい座の方へと進路をとったのを追跡観測したことを表しています。まるで星座めぐりのように、白鳥から鷲を眺めながら、天の川に漕ぎ出した舟のように辿った先は蛇使いへと、モノトーンで星座を表し背景のルリ色との対比で効果を、との狙いです。2000年10月〜2001年2月の作。


[8] Draco りゅう座と1797彗星

 第8番目、カロラインが最後に発見した彗星は1797年8月14日で、17日に北極星の近くを通り、りゅう座へと進路をとったとあり、彼女は極付近の夜空で追跡したのでしょう。

 「荒々しい河のように『巨大な龍』(りゅう座)がうねり、この驚くべき怪物はその尾はヘリケー(おおぐま座)の上に伸ばし、キュノスラ(こぐま座)に向って…」(「グロチウスの星座図帳」〜ゲルマニクス『アトラスのファイノメナ』の邦訳〜p. 24 千葉市立郷土博物館編集・発行)と詩人が詠っているように、3つの結び目を作って曲り、反り返り堂々と夏の夜空に懸かっています。りゅう座を取りまくのは2星座の他に、ケフェウス座、はくちょう座、ヘルクレス座、うしかい座、きりん座など賑やかです。位置関係を示す星座以外に金のりんごを入れました。これは龍の職能が、世界の西の果てにあるというヘスぺリデスの園で金のりんごの木を守っていたことが神話にあって、それがいかにも巨大な龍のうねりに対して面白い話に思えたのです。制作は2000年11月〜2001年1月。


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