代表幹事の部屋 (事務局長の小部屋・改題)


No.24 <2010年10月25日> 
  我が新雑文 My New Literary Miscellany <5>より

※前号に続き、木村代表が発行されている「我が新雑文 My New Literary Miscellany」第3号〜6号から、主に天文とハーシェル関係の文章を抜粋して転載します。(管理人)

78回目の外国行き

 振り返ってみると、1981年に天文の先輩、斎田博さんと一緒に訪英して同上団体の組織化と運営に携わって三十年、一日も頭を離れることがなかったHERSCHEL、ハーシェル… 今度こそハーシェルを離れ、81年以前と同じ目線で英国に接することが出来るのではないか。

  一方、政局に関心が特に深い訳では無いが、前回は昨2009年8月末、衆議院投開票の翌日に日本を出発したことを思い出す。この一年、めまぐるしい政治の動きと同様に、個人的にも激動の日々であった。が、此処では述べない。別に書いたし、繰り返すに値しない。ただひとつ、「老いた」ことだけは告白しておきたい。八十歳代が目前なのである。無理もない。週2回、専門職によるリハビリに通ってはいるが、とても寄る年波には勝てそうもない。が、何とかもう暫くお願い―と、お邪魔させていただくことにした。

  今から45年まえ、初回の外国行き目的地が英国で公費。往きは北回りでコペンハーゲン2泊、帰りは南回りでエジプト・インド・ホンコンなど経由―本当にそのころは元気があった、と思う。それから回数を重ね、なんと八十回台に近づいた(といっても、年2回以下だ)。今回の往きはノンストップだが、帰りは久しぶり、マンチェスターからのBA便。ロンドンで乗り継ぐが、有り難いことに、この国内便は(誤解を恐れずにいうと)無料なのだ。詳しくは省く。航空運賃の定めによる、とだけ記し、先に進もう。

本当に機能アップかヒースローは

 2010年9月13日10:55、BA 006便は、漸く酷暑が去って初秋を迎える成田を発った。鉄の塊ともいうべき機体が難無く空を駆け上がるのを不思議がる方が可笑しいとばかり、その巨体は軽々と高く昇り、日本海を越えたかと思うまもなく、シベリアの原野に差し掛かる。ここからは更に十時間余りの飛行が続く。ヨーロッパは未だ遠いのである。…

 未だ夏時刻だし、(8時間戻した)着陸予定の14時45分は現地では真昼間であるが、離陸から確実に12時間が過ぎてはいる。(記憶に間違いがなければ、つい数年前までは13時間近かった。飛ぶルート上の実距離が短縮したのか。まさかスピードアップではあるまい)

 日本では、成田は国際線・羽田は国内線という従前の棲み分けが、政権交代で怪しくなった。後者に新しい設備が完成して、秋から国際線が多数飛ぶ。英国行きの計画は無いようだが、ここで問題にしたいのはロンドン空港。第5ターミナルが全面開業してBAの国際国内の全便を引き受けた、といっても空港そのものは、都心からの遠さが変わらぬ。世界最大都市に空港一つだけというのは例が無かろうに。

  さて、一人相撲でグチャグチャ言っているうちに、ヒースロウ空港への到着が近づいた。何回乗っても飛行機の離陸と着陸は緊張する。ベルト着用サインなどに従ったからといっても緊急時にどれだけの違いがあるだろうか、とつまらぬことを考えているうちに無事に着陸した。昨年の初秋以来まる一年ぶりのイギリス。暫く待たされはしたが車椅子のお世話になって、孫娘とも、入国は到って簡単に済む。出迎えて下さったTabbさんの車に乗せて頂きHotel Mercure Bath Francisまで送られた。

  バースなのにPratt’sでないのはなぜ?今まで長い間プラッツに決めてたのには、深い理由があったわけではない。強いて言えば、料金とサーヴィス、それに駅から3分という立地条件が申し分無かった。そして、断られた事が無かったのだ、直前に頼んでも。しかし、今回は一週間程前にFAXで申し込んだら何と、満員でお断り、という。それを知った孫娘が、さっさと電話で代わりを当たってくれたのだ。フランシスの場所はよく知っている。格が高い分、料金も相当に(5割も)高い。ま、止むを得まい。

  翌朝、孫が一年間お世話になったBath Academyへ。校長代理になったばかりのSenior TutorのCrosslandらに面会して、心からの祝福と感謝を申し上げた。夕食は同ホテルに花を飾り、ごく内輪の祝杯を挙げた。学校関係者のご招待は間に合わなかったのだ。

  2日後、再びTabb夫妻のご好意に甘え、荷物共々ミッドランドの大都市Manchesterへ運んでいただいた。市の中心部近く、0xford RoadをDenmark Road で折れて暫く行く。瀟洒な2階建て小住宅がいくつも並んだ。大学新入生らの寮である。個室が7部屋あって定員7名、別に共同で使うキッチン・リヴィングその他の施設と設備がある。上流家庭の別邸といった感じである。先ずは孫を置いて、Palace Hotelへ向かった。ホテルらしからぬ造り、元生命会社を改造した建物、という。夕食をバースと同じメンバーで祝った。

  翌日17日からは入学オリエンテーションなどが一週間ほど続くが、お固い勉強だけでなく、健康・病気・警察・救急などの実務、カラオケ等の娯楽もあるという。10月初めからは授業が始まる。既に祖父らの出番は無いのだ。早々に退散することにしよう。

  パレスは2泊で切り上げ、マンチェスター第3ターミナルから国内便でヒースロー第5ターミナル、さらに国際便BA 005便に乗り継ぎ、何処でも移動と諸手続きは、翳した杖のお蔭で車椅子のお世話になり、9月19日昼、無事に成田・新宿を経て光が丘に戻った。


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