事務局長の小部屋


No.19 <2009年10月1日> 

我が最近(最後)のバースへの旅

  去る8月末日、久し振りにBA(英国航空)006便に飛び乗った。12時間を超す空の旅。ヒースロー空港に着陸した機体は、第5ターミナルに入った。杖を翳して行列整理の係員の注意を引くと、審査待ちのトップに案内され、早々に入国手続きに成功した。

  同上日の夕方、タクシーがバース・スパー駅近くのプラッツ・ホテルに着いたのは午後6時を少々回ったころ。夏時刻とはいえ、西に日が傾くころ、一昨年の顔が一新したレセプショニストは、すでに用意された書面を示し、サイン一つだけでOK。受付には当日の朝刊ザ・タイムズが置かれていた。日本のことが殆ど載らないことは承知していたが、この日だけは例外、という気がしていた。それは4年ぶりの衆議院選挙のことだ。 機内でじっくり読んだ民主党の圧倒的勝利のニュースが、8時間遅れの朝を迎えたイギリスのマスコミが、どれだけ伝えたか、大きい関心事であった。その8月31日のザ・タイムズは第25面のトップいや全面を使って、「54年にわたって不敗の記録を残した日本の自民党は、敗北した。鳩山の率いる民主党が勝利をおさめたのである。…」と報じた。次ページに続く同上記事は「鳩山さんの最初の仕事は、様々なグループ、つまり元自民党メンバー、労働組合の息の掛かった社会党員、派閥の領袖小沢さんらの勢力の均衡を図った内閣の誕生であろう」と結んだ。

 9月1日朝、思いがけず、懐かしい声が電話口に。数年前まで、過去二十余年以上にわたって、毎年のように直接交流を重ねてきた英国ハーシェル協会前会長リング教授だ。現会長フォード博士と一緒にぜひ会いたいと思って電話したのだが、その日の午後3時しか都合が付かないというのである。友人タッブさん以外には予め連絡なしで飛んできた筆者に都合が悪いはずがない。役員を兼ねたタッブさんだけには連絡済みだったのである。

  我が定宿プラッツは広いラウンジが2つあって、来客と会うには誠に便利だ。時間どおりに現れたリング教授らと、コーヒーとビスケットをつまみながらの日英両協会の過去と将来を巡っての話は尽きなかったが、ご多忙のお二人とのミーティングは1時間でお開きとした。日本ハーシェル協会がハードカヴァの概史(日本ハーシェル協会概史 General History of Herschel Society of Japan, B5版で約350ページ、2009年8月刊)を纏めたのは、正直言って驚きであったらしい。僅か30部、うち数部は協会の永久保存用として代表者の手元にあるほかは、国内の希望者に有料(20,000円)配布、国会図書館に納本、ハーシェル子孫・英国ハーシェル協会役員らに贈った(何人かからは恐縮するような丁寧な礼状に接している)。現会長とは直接交流すること無しでこちらが引退してしまったので、同上の概史は贈ってないから失礼とは思ったが、設立30年を超えた英国協会が同様に歴史を編むことを強く要望してしまった。 Pratts Hotel (Bath)

 9月2日、ギルド・ホールに向かった。日本でいえば明治時代の村役場を連想するような造りの同館の地下に目的の古文書室がある。図書に埋もれるばかりの格好で執務中のアーカイヴィストのジョンストンさんは、2年前突然たずねたときと変わらぬ親しみを込めた態度で接してくれた。実はその時に約束した我が協会の出版物を航空便でお送りした3週間後だったのである。「確かに、日本ハーシェル協会からの出版物を戴いたが、受領したという連絡が遅くなって御免」「いえ、御心配なく。何しろお互いにアーカイヴズの仕事ですから。2年前には計画してなかった日本ハーシェル協会の概史も完成したので、ニューズレター合本と併せてお贈りしたのです…」。

  出発前にタッブさんから届いたFAXには、ハーシェル博物館で特別展が今年11月15日まで開催されている、とあった。テーマは“BRIGHT STARS”― Daughters of Uranus. 邦訳するとどうなるだろう。彼は、「天文学における女性の歴史を祝って」というのだ。が、どうもピンとはこない。“女性は天文学で驚くほど重要な役割を担ってきた。充分に研究することを妨げられ、科学者というよりは、助手あるいは魔女のレッテルをはられている。多くは、男性に勝る成果を挙げたのに。この展示会は、ニュー・キング通り19番地で兄と観測に励んだカロライン・ハーシェルの業績を詳細に示す”。同館で頂戴した説明書は極めて簡単だが、展示と合わせて、講演会や観望会のスケジュールが記されていた。それによると、Art and Enlightenment, Astronomical Objects and Enjoyment など魅力的だ。

  渡英の度に訪問したタッブさんのご自宅訪問、今度は無理。同氏宅にも郵送済みの上記概史を御夫婦で見ているところをプラッツで写真に収めて済ませたのである。

  ☆タッブさんから贈られた図書は“A Traveler’s History of BATH”(R. & S. Tames)という290ページの小史。じっくりと味わうべき良書と見た。

 9月6日、日曜日昼。今回は御馳走らしきものを町で摂っていないことに気付いた。ローマ時代の遺跡であるローマン・バースのレストランは、一時期を除いて昼食しか開かないが、定評の美味しい御馳走にありつける。正式名はパンプ・ルーム。サンディ・ディナーをここで頂くことにした。スターターは本日のスープ、Tomato and Basil Soup。メイン・ディッシュは Spiced Somerset Fillet of Pork を選んだ。同日夕方、成田から着いた孫娘が姿を見せるのと相前後して、タッブ夫妻が到着。孫娘は先に寮へ寄って荷物を下ろしてきたという、3人は旧知の間柄だ。数年前から毎年の夏を一緒に過ごしてもらったのである。今度は長期間、最低10ヵ月だ。今までになくお世話になることだろう。

  9月7日(月)朝8時半、懐かしのプラッツをチェックアウト。週始めの朝の幹線道路は空いていた。150キロを途中コーヒー休憩を含めて2時間半で到着。帰路もステッキは有効だった。ターミナル入口に到着したときから車椅子で、チェックインからゲートを経てBA 005便の機内に入るまで送られたのであった。

  9月8日(火)朝9時、成田での扱いはロンドン以上に手厚く、有り難い旅であった。


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