事務局長の小部屋


No.14 <2007年5月19日> 

 (2007. 4. 1 に続く)

 我が協会恒例の年中行事であった(とあえて過去形を使います)3月のハーシェルツアは、今年3月は参加者無し、つまり実施しなかったということです。昨年は6年ぶりのわが七宝芸術家や2年連続さらに初参加者、という多彩な顔ぶれで、今年は世代交代で前途有望という期待を持ちましたが、それは無理。ここしばらくは、両協会の交流という点では、低空飛行かもしれません。わが協会のそれ以外の活動という点でも、事務局長が考えるほど希望のもてる現状ではないようです。

 それ以外の活動と言えば、まずはニューズレターの発行。私が手を引いたからには、後任者のやり方をとやかくいう権利は全くありません。とはいっても、事務局の仕事全般がほかのメンバーに移らない限り、事務局長の「嫁いびり」は無くならないでしょう。事務局を引き受けるメンバーが自発的に今年11月の年会までに現れないなら、協会の解散、あるいは少なくとも、事務局の活動一時停止を提案しようかと、真剣に考えています。

 私事にわたりますが、小生は、協会会員を含む百数十人にお知らせしたとおり、同じ光が丘団地の中でこじんまりとした(といっても2和室1洋室)駅から2分という住宅に移りました。床面積が90uから60uに狭くなっても賃貸料が毎月6万円ほど安くなりました。施設に入所しないと生活できなくなるまでは、ここでヘルパーさんらの助けを借りて、過ごしたいと思います。ハーシェルとは訣別できないでしょうか。

 と、ワープロを打っているところで、某会員からFAXが届き、現代を生きるハーシェル直系子孫シャーロット女史から届いた私信の一部を知らせてきました。内緒でお知らせします。最近、地元の州会議員になった彼女曰く「…州議会の仕事で益々忙しくなっています。この仕事に少々怖じ気づいてはいますが、覚悟していたより面白くイロイロと、学んでいます。今年私は68歳、“退職”の崖っ淵で、すべきことを探しています。州議会では、幾つかの委員会に所属しています ― 先ず老人福祉に関すること、第2に子供と障害者の福祉、第3に(私の得意な)州の環境問題です。つい最近、州議会の有給職員の仕事ぶりと養子養父母らを監督する監査委員会の副委員長に任命されました。それに年3回は別の委員会、宗教活動に関係します」。

 話題を変えたシャーロットは更に、「我がもっとも新しい孫息子の写真を同封します。1月6日にロスアンゼルスで生まれました。3月19日に洗礼、クリスチャン・コンスタンチンと命名。この名前に大満足です。第一の理由は自明のこと、第二の理由はギリシア人の祖父の名前であり、(328年頃)キリスト教徒になった初代ローマ皇帝の名だからです。我が息子(訳者註:ヒュー君 1973−)は戦後にギリシアから移住してきた南アフリカ人家庭の美しい女性と結婚し、私は息子とその小さい家族とともに、クリスチャン誕生後2週間過ごせました。来年は満一歳の誕生日を祝うべく戻ってくるつもりです。ロスでの2週間のあと、ロンドンに一泊してからケープタウンを訪ね、設立85年を祝うハーシェル女子学校の教師と生徒に‘私の話’をするのが目的でした。アーカイヴの幾つかを調べる機会があって、わが大叔母エンマ・ドロシア(訳者註:1867−1954、ジョンの孫娘の一人、合本の裏表紙参照)からの手紙を発見しました。我が紋章を学校の紋章や記章に使用することの論議でした。ケープタウンは本当に魅力的なまちで、出来るだけ早く再訪問したいです。― 貴女はきっと想像もできないでしょう、どんな偉大なテーブル山が優しくコミュニティを包んでいるか、アフリカの爪先で太平洋と大西洋がどんな具合に混じり合っているかを。…」


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