事務局長の小部屋


No.3 <2006年2月13日> 

 1965年、イギリス思い出の記 :
   「ストラトフォード・オン・エイボン行き−ブリカン・サーヴィスの例」

 (管理人注:本稿は、本年のハーシェル・ツアでストラトフォード…を訪ねることにちなんでの特別寄稿です。)

本ツア参加証のコピー

 大使館から独立した英国政府機関の British Council は世界中に事務所を持ち、様々なサーヴィスを幅広く関係者に提供している。ロンドン中心街のポートランド通りにある「留学生センター」は、そのひとつ。常設の図書館・資料館のほか、専用バスを使って、半日ないし数日間のツアを週に何本も実施してきた。夏期や年末年始などは欧州大陸で過ごす豪華なツアが驚くほどの低廉な価格であった。しかも一流の旅行会社顔負けの内容である。応募資格は自費公費を問わず英国に滞在する外国からの留学生の一点。筆者もその一人。半年の間に十回ほど利用した。次に、シェイクスピアの生まれ故郷を2泊3日で訪ねたツアを、写真を使って概観する(現在も実施しているだろうか。相当経費が掛かる事業だ)。

 申し込んだのは出発の3週間前。費用はオペラの安い切符程度、財布を気にすることは無かった、と記憶している。バス1台、ブリカン職員に客=留学生は25人。フランス5、ドイツ4、日本3、アルゼンチン3、スイス1、アメリカ1、カナダ1、パキスタン1、インド1、タンザニア1、ケニヤ1、バハナ1、ウガンダ1、フィリピン1。女15、男10。年齢層は10代と20代が殆どで、30代は筆者だけか。私費15、公費10。目的は、英文学(広島の男性)、ギリシヤ演劇(京都の女性)ほか千差万別(帰りの車内で後者から、或る同行者がしつこく言い寄ってきて困ってるので助けて、と必死に訴えられたことを記しておく)。

チケットの半券。8/-は入場料
(8シリング=当時の400円)

 さて、晩秋のロンドン、11月5日午後、快晴である。一行を乗せた大型バスは高速道路を西へ快適なドライヴ。オクスフォードでの小休憩を経て夕方にストラトフォード・オン・エイボンに到着して3〜8人に別れ、ゲストハウスで夕食。19時半に王立劇場に集合し、"Love's Labour's Lost"を鑑賞。翌6日は朝食のあと、ホールズクロフトの会議室で前夜見た劇のディスカッションと当夜予定の"Timon of Athens"の紹介。レクチャーは大学の専門講師。昼食を祝祭クラブでとり、午後はシェイクスピア生家ほか関連の名所巡り。ゲストハウスで夕食のあと、王立劇場へ。7日の日曜、午前中は自由行動。午後は荷物を纏めて出発、途中コヴェントリに寄る。戦争で廃墟と化したまま恒久保存を図っているカテドラル跡を訪ねたあと、ロンドンに戻った。

 RSCの略称で知られる Royal Shakespeare Company は Stratford-upon-Avon と London の2つに分かれ、両劇場で公演する。同団のポリシーは、時代を超え他の言語に負けない劇的な潤沢さで提供することだ。喜劇と悲劇、教養の高低、叙情的と猥褻さ、総て人生の複雑さと渾然一体となって上演される。(同劇場のパンフより)

上左
11月5日 ヘンリ オン テムズ
(ロンドン)
●上右
11月5日 オクスフォード

●中左
11月5日 オクスフォード
●中右
11月5日 ブロード ウォーク街

●下左
11月6日
ストラトフォド オン エイヴォン
クロプトン端
●下右
11月6日 ニュープレイス

 

●上左
11月6日 ホールズ クロフト
●上右
11月6日 ホールズ クロフト近辺

●中左
11月6日 ホールズ クロフト
●中右
11月6日
アン ハサウエイズ コテッジ

●下左
11月6日
アン ハサウエイズ コテッジ
●下右
11月6日 オールド タウン

 

●上左
11月6日
アヴォン川とホリ トリニチ教会
●上右
11月6日
アヴォン川と王立劇場

●中左
11月6日 シェイクスピア像
●中右
11月6日 シェイクスピア生家

●下左
11月7日
コヴェントリ カテドラルの廃園
●下右
11月7日
コヴェントリの廃墟


 


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