ギュンター・ブットマン著
『星を追い、光を愛してー19世紀科学界の巨人、ジョン・ハーシェル伝』の刊行にあたって


事 務 局

はじめに

 日本におけるジョン・ハーシェルの伝記としては、木村代表が以前「星の手帖」誌に連載された「ジョン・ハーシェルの生涯」があり、当協会のホームページ上にも転載されています。この連載を執筆するにあたって、最も信頼すべき典拠となったのが、今回邦訳されたブットマンの「ジョン・ハーシェル伝」でした。
 この第一級の資料を、利用しやすい単行本の形でまとめることができたことは、当協会にとってはもちろん、一般の科学史家にとっても非常に有益なことと考えます。

発刊までの歩み

 いったん本となってみれば、すべての苦労が報われたようなものですが、後日の参考までに発刊にいたるタイムラインをここにまとめておきます。

  • 2002年 2月 中崎昌雄氏がオリジナルの翻訳を完成

  • 2007年 12月 同氏より協会に訳稿が寄託される

  • 2008年 1月 産業図書に本の出版を提案

  •       3月 出版が正式決定。以後、関係者との調整、訳文のデータ化・推敲作業

  •       10月 初校

  •       12月 再校

  • 2009年 1月 索引完成

  •       2月 三校。正式に邦題が決定

  •       3月 配本(18日)

「訳者あとがき」より

 本書の内容紹介および発刊までの事情については、巻末の「訳者あとがき」にも記されていますので、ここに体裁を一部修正の上転載しておきます。

訳者あとがき

2009年2月

 日本ハーシェル協会代表幹事 木 村 精 二

 本書は、Günther Buttmann, John Herschel. (Wissenschaftliche Verlagsgesellschaft, 1965)の全訳である。
 本書は1965年にオリジナルのドイツ語版が出た後、1970年には英語版(英訳題The Shadow of the Telescope)も出ている。ジョン・ハーシェルの伝記といえば、まず最初に名前の挙がる、定評ある本である。
  ジョン・ハーシェルは、ウィリアム・ハーシェルという偉大な天文家の一人息子として、父親の地位を世襲した、単なる「二世」だと見られることがある。ジョンが父を敬慕し、その影響を脱することに腐心するのではなく、むしろ父の仕事の完遂を最大の目標としたことが、そうした印象をいっそう強めたのかもしれない。だが、本書を読めば、ジョンの卓越した能力と、科学における独自性がはっきりするだろう。

 本書の内容を駆け足で紹介すると、まず第1章は、ジョンが偉大なる父・ウィリアムや、その妹のカロラインらの間で成長し、ケンブリッジで若き俊才として頭角を現すまでを描く。
 続く第2章は、20代半ばから30代初めまでのジョンの修学・遍歴時代を綴る。この時期、彼は老父の偉業を完成するために、大学人となることを断念し、個人研究者の道を歩むことを決意した。とはいえ、彼は天文学に専心したわけではなく、数学や物理学、化学、さらには地質学や鉱物学など幅広い学問分野に取り組んだ。またこの時期、彼はたびたびヨーロッパを旅行し、大陸の多くの科学者たちと交友している。フンボルト、ラプラス、アラゴー、ゲイ=リュサック、フーリエ、エンケ、キュビエなど、その顔ぶれを見るだけでも、19世紀科学界におけるジョンの立場が鮮明に浮かび上がるだろう。父との死別を経験したのは、ちょうど30歳の時だった。
 第3章
は、引き続き30代の業績を描くが、ジョンはまるで蹉跌という言葉を知らぬかのように、華々しい成果を挙げ続ける。この時期の特筆すべき業績は、亡父ウィリアムの仕事を補完し、それを完全なものとした、長大な二重星目録と星雲・星団目録の完成である。この労作は、ジョンが才能のみならず、鉄のような意志を併せ持った人間であることを雄弁に物語る。これらの業績によって、彼は王立学会金メダルを受賞し、さらに若くして天文学会(後の王立天文学会)会長にも選出された。またこの時期には、『自然哲学研究序説』や『天文学要論』といった初期の主要著作や、長文モノグラフ「光」を著して、著述家としての才も発揮し始めている。本章に描かれた若妻マーガレットとの馴れ初めのエピソードは、この大学者の人間的側面を伝えるものとして微笑ましい。
 第4章は、著者が「天文学研究の頂点」と表現する通り、ジョンの名を不朽のものにした喜望峰遠征と、同地での南天観測を描く。上述の二重星目録や星雲・星団目録は、実はまだ半身像に過ぎず、この南半球での徹底的な掃天によって、はじめて完璧なものとなったのである。ここで得られた膨大なデータが、後に銀河系や、さらにそれを超える宇宙の大規模な構造を理解する鍵となった意義は、いくら強調しても強調しすぎることはないだろう。
 続く第5章から第7章までは、相互に年代が重複しており、同時並行で進められたジョンの仕事を各論的に紹介する体裁となっている。第5章では星座改定と地磁気研究、第6章では写真術と光化学研究がテーマである。人生の後半に入っても、ジョンが天文学にとどまらず、物理学や化学の分野でも重要な仕事をしていたことが、ここで詳述される。第7章は、50代に入る頃の事跡だが、一線の観測家を退き、代わりに主著『喜望峰報告』や『天文学概論』の執筆に力を注ぎ、さらに海王星発見をめぐる国家間の騒動では、調停者として活躍するなど、科学界の大立者として貫禄を見せた頃の物語である。またこの頃は、広壮な屋敷で多くの子どもたちに囲まれて過ごした、ジョンにとって満ち足りた時代でもあった。
 最後の第8章では、その晩年から死までが描かれている。ジョンは58歳で初めて有給の公職、すなわち造幣局長官に就任したが、その激務によって疲弊していく様子は、本書の中で唯一暗い描写である。引退後、ジョンの生涯の最後を飾った仕事は―ここでもまたと言うべきか―星雲・星団と、二重星の総合目録編纂の仕事だった。これこそハーシェル家のいわば「お家芸」と言うべきもので、「二代目」の晩年を飾るにはふさわしい業績と言えよう。
 以上のように、本書はジョンの生涯を丹念に追っている。ジョンの科学的業績は、天文学をはじめ、数学、物理学、化学等の各分野に及びいずれも一流の成果を挙げている。それだけに、各分野に満遍なく目配りしてその業績を記述することは、大変難しい作業となるが、著者は見事にそれをやりおおせている。

 ただし、ジョンの業績は本書に記された以上のものがある―という指摘もある。この日本語版の出版を耳にされた、ハーシェル研究の大家、マイケル・クロウ教授(米、ノートルダム大学)からは、本書の出版直前に以下のようなお便りをいただいた。読者の参考のために、ここにその内容を紹介しておく。
 クロウ教授によれば、氏が2004年版『オックスフォード国民伝記辞典 Oxford Dictionary of National Biography』に執筆したジョン・ハーシェルの項は、ブットマン以後の新知見を盛り込んだものであり、それを補うものとして日本の読者にもぜひ一読を乞うとのことであった。
 同辞典のクロウ教授の記事には、たとえばジョンの『自然哲学研究序説』が、ウィリアム・ヒューエルやジョン・スチュワート・ミルに影響を及ぼし、ひいては科学の方法論に大きな変革をもたらしたこと、またジョンとチャールズ・ライエルとの文通がダーウィンを刺激して、進化論が着想されたこと、さらにジョンによるケトレの『確率論』の論評が、イギリスの社会科学や、さらにマクスウェルによる熱現象への統計学的アプローチの創始に決定的な役割を果たしたことなど、ジョンのいっそう多彩な活躍が記述されており、興味のある方は、ぜひ原文に当たっていただきたい。

 さて、ここで改めて著者ギュンター・ブットマンについて記しておこう。実はブットマン氏の経歴は、これまであまり詳らかではなかった。英語版では、氏がウィリアム・ハーシェルの伝記を1961年に出したこと、ドイツのミュンヘンで生まれ、そこで教育を受けたこと、現在はシュトックドルフで家族とともに暮らしていることだけが簡単に触れられていた。今回、日本語版を出すに当たって、訳者の1人である角田玉青が直接手紙で照会し、その経歴をご教示願った。以下、氏の了解を得て、私信の内容を紹介する。


  「私は1929年6月2日にミュンヘンで生まれました。私の本業は、ミュンヘン大学図書館の司書でした。天文学および科学一般の歴史に対する私の興味は、この図書館での業務と密接に関連しています。この仕事のおかげで、科学に関する文献に広く接することができたのです。 私の最初に出した本は、ウィリアム・ハーシェル卿の伝記(Wilhelm Herschel, Leben und Werk. Stuttgart, Wiss. Verl., 1961)でした。これは父ウィリアムのドイツ語によるまとまった伝記としては、1882年にE.S.ホールデンの本〔Sir William Herschel: His Life and Works. New York, Charles Scribner’s Sons, 1880〕のドイツ語訳が出て以来のものです。1971年には、この本のルーマニア語版が出ています。 ウィリアム・ハーシェルの生涯と著作について調べる過程で、結果として、私はその有名な息子であり、科学者としては父をもしのぐほどだったジョン・ハーシェル卿の伝記と科学的業績に出会うことになりました。私はこの非凡な人物に魅了され、彼の生涯についても書いてみようと決心しました。(すなわちJohn Herschel〔ドイツ語版〕です。)1970年には、『望遠鏡の影 The Shadow of the Telescope』のタイトルでアメリカ版が、また並行してイギリス版が出ました。ハーシェル父子に関する2冊の拙著は、その後「星と宇宙 Sterne und Weltraum」誌のために書いた、(カロラインを含む)ハーシェル一家に関する多くの小論によって肉付けがされました。 1977年に、私はドイツの有名な地理学者で、人類地理学の創始者である、フリードリッヒ・ラッツェルの伝記を出版しました(Friedlich Ratzel, Leben und Werk eines deutschen Geographen 1844-1904. Stuttgart, Wiss. Verl.)。 その後、図書館の通常業務に忙殺されて、私の科学への取り組みは長いこと中断しましたが、図書館を引退後、私は新たな計画をスタートさせ、それに向け、古代における天文学の黎明期から現代に至るまで、世界中の天文家に関する伝記資料を収集中です。この資料(現在4,200名の名前が挙がっています)は、いまだかつてない天文学の伝記大事典となりうるものです。」


 今年(2009年)満80歳を迎えられるブットマン氏だが、その研究欲は全く衰えを見せていないようだ。まことに慶賀にたえない。

 最後に、本訳書の成立事情について述べておく。
 本書の訳稿は、日本ハーシェル協会名誉会員である中崎昌雄氏が、2002年にドイツ語原本から訳出されたものである。中崎氏は化学が専門であり、併せて写真史にも造詣が深く、その関係からジョン・ハーシェルに接近されたと聞く。中崎氏はジョン以外にも、父ウィリアムや叔母カロラインといった、ハーシェル一族に関する最重要文献の翻訳を次々と手がけられ、その膨大な訳稿を寛大にも協会に寄託された。
 その訳業を広く一般にも活用できる道を探った結果、産業図書編集部の目に留まり、このような形で出版が可能となった。同社の英慮と、特に編集担当の鈴木正昭氏のご尽力にここで改めて敬意を表する次第である。
 出版に当たって、訳稿の整理と索引の作成は角田が担当し、さらに複数の協会員が目を通して完成原稿とした。角田と協会が共訳者として名を連ねているのは、そうした事情による。
 万華鏡のように華麗で豊かなジョン・ハーシェルの生涯が、本書によって広く知られることを、日本ハーシェル協会員一同大いに期待している。


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