ハーシェル関連史料
オブザヴァトリー・ハウスの思い出


パトリック・ムーア

 ウィリアム・ハーシェルが天王星を発見した時に住んでいた、バースのニューキングストリート19番地についてはいろいろと耳にすることが多いでしょう。この家は取り壊しの危機にあったのが幸いにも救われて、今ではハーシェル博物館になっています。日本ハーシェル協会の皆様もおいでいただければ光栄に思います。

 一方、ウィリアム・ハーシェルが彼の最大の望遠鏡を建設し、ジョン・ハーシェルが育ち、そしてアレクサンダー・ハーシェルが生涯を終えた場所である、スラウのオブザヴァトリー・ハウスについて聞くことはずっと少ないのです。それは当然で、その家はもはや存在していないからです。オブザヴァトリー・ハウスは30年以上前に取り壊され、何も残っていません。一時は40フィート大望遠鏡のあった場所にオベリスクが建っていましたが、これさえも今は撤去されてしまいました。

 私はオブザヴァトリー・ハウスを記憶している比較的少数の人々のうちのひとりです。ハーシェル夫人が存命の頃はよくそこに行き、亡くなるほんの少し前に、夫人と夕食を共にしたこともありました。オブザヴァトリー・ハウスは「雰囲気」のあるすばらしいところで、それは陰鬱だったというのでは全くなく、「威厳に満ちていた」というほうがより適切な表現でしょう。とにかく親しみのある家で、ハーシェル一族の精神が染み込んでいました。家の前の芝地には40フィート望遠鏡がかつて建っていた草深い一角があって、鏡筒の残骸がまだ近くに見えました。

 私が最後にそこに行ったのは取り壊しの始まる前日でしたから、その時私が撮った写真が最後のものになったはずです。私は鏡筒の残骸の脇に立ちました。悲しいひとときでした。歴史のひとこまが永遠に消え去ろうとしていたのです。

 では、オブザヴァトリー・ハウスを救うことはできたでしょうか。悲しいことですが、答えはノーです。あまりにも傷んだり腐ったり、木喰い虫の被害を受けていました。すぐにどうしようもないほど危険な状態になり、取り壊すより他になくなっていたことでしょう。それでも、ジョン・ハーシェルが南天観測に出かけた南アフリカのフェルドハウゼンにさえあるような、後世に遺る記念碑を建てようとする努力がなされなかったことは非常に残念です。

 私はオブザヴァトリー・ハウスをこの目で見られたことをうれしく思います。そして、少なくとも私たちにはまだニューキングストリート19番地があることに感謝しなければなりません。

原文(英文)は日本ハーシェル協会ニューズレター第60号に掲載
日本語訳:木村達郎

往時のオブザヴァトリー・ハウスと40フィート望遠鏡の鏡筒


訳者注

  1. アレクサンダー・ハーシェル:1836年-1907年。ジョン・ハーシェルの第5子で次男。1888年から死去するまでオブザヴァトリー・ハウスに住んだ。
  2. ハーシェル夫人:ここではハーシェル家最後の准男爵(バロネット)だったジョン・チャールズ・ウィリアム・ハーシェル(1869年-1950年、ジョン・ハーシェルの孫)の妻、キャサリン・マーガレット・ハーシェル夫人のこと。1957年に亡くなった。

デジタルアーカイブのトップにもどる

日本ハーシェル協会ホームページ