詩人エミリー・ディキンスン と 天文学


渡辺 美和子 + 事務局

 渡辺教具社長である渡辺美和子会員から事務局宛てにお便りをいただきました。 渡辺さんは、現在ご本業のかたわら、南北戦争期のアメリカの女流詩人、エミリー・ディキンスンに取り組んでおられます。ディキンスンは、アマースト大学創設者の孫であり、天文学にも強い興味を持っていたようです。 いただいたメールと事務局担当からの返信を以下に掲げます(一部字句を修正)。

第1信

 「ご無沙汰しております。ボストン郊外のアマーストというところに Emily Dickinson 国際学会があったので参加してきました。資料を集めている Jones Library の方から新しい資料を見せていただきました。ネットでも見られるので是非ご覧いただきまして、ご教示いただきたいと存じます。 http://www.digitalamherst.org/items/show/748

エミリー・エリザベス・ディキンソン(Emily Elizabeth Dickinson、1830年12月10日 - 1886年5月15日)はアメリカの詩人。生前は無名であったが、1700篇以上残した作品は世界中で高い評価を受けている。(Wikipediaより)

 Uranus、Neptuneがなく、Herschelが惑星として入っています。ヨーロッパではどうですか? このアマーストでは大学に天文台もわりと早くでき(1800年代前半?)、地学では国際的な評価を得ていたHitchkockという学者が大学の学長でした。大学内にある科学館にはコネチカットバレーでみつけた沢山の恐竜足跡化石もあり、見てきました。
 https://www.amherst.edu/museums/naturalhistory

 ヨーロッパとニューイングランドは当時どのくらい知的な面で共有するところがあったのでしょうか?ちなみにE.ディキンスンの愛読書は、聖書、シェークスピア、ブロンテ、地学の本です。」

 「渡辺様、お便りありがとうございます。 こちらこそ御無沙汰いたしております。エミリー・ディキンスンの名は、以前のお便りでも拝見した気がしますが、その後も熱心にご研究のようですね。 さて、資料の紹介をどうもありがとうございました。イライジャ・バリットの星図帳は、当時の教育的需要に応えて、アメリカでは、かなり人気を博した品のようですね。ご指摘のとおり、天王星の名称がハーシェルになっているのも興味深い点です。

ハーシェル惑星(=天王星) Elijah H. Burritt編, Atlas, designed to illustrate Geography of the Heavens(1835)より

 19世紀後半に入ってUranus が定着するまで、イギリスではハーシェル自身が提案した「ジョージ王の星(Georgium Sidus あるいは英語式に Georgian)」が、フランスではラランドが提案したHerschelが、ドイツではボーデが提案したUranusが優勢で、しばらくは三者鼎立の様相を呈していたように思います。 アメリカでHerschelが使われたのは(これはバリット星図に限らず、19世紀前半の出版物の多くがそうなっています)、アメリカ人としては別にイギリス国王に敬意を表する必要もないので、発見者を称える名称が適当と素朴に考えられたのではないでしょうか。 アメリカ東部の知的営為は、おおむねイギリスのそれと重なるものと思いますが、アメリカの方がはるかに学問が社会全体に開かれていた(階級的にも、女性に対しても)点が特徴であり、教養主義という点では、イギリスよりもいっそう豊かだったのではないかな…と、個人的に思っています。」

 

第2信

 「また書き進んでいくうちにハーシェルのことを言及してしまっています。アラバスターの詩の件です。お読みいただきまして、またご指摘ください。」

 ここで渡辺さんが書かれている「アラバスターの詩の件」というのは、ディキンスンが書いた「アラバスターの部屋で安らかに/朝にもふれず/昼にもふれず/復活の柔和な仲間は眠っている…」で始まる、ちょっと謎めいた象徴詩の解釈をめぐるものです。 通常、キリスト教的な「復活」を詠んだものとされるこの詩に、渡辺さんは新たな解釈を与えています。その内容は、渡辺さんご自身が、他所で発表される予定もおありと伺っているので、ここで詳述することは控えますが、骨子としては、W.ハーシェルによる太陽の固有運動の発見、あるいはディキンスンの恩師ヒッチコックによる氷河期研究など、当時の先端的な科学知識の吸収に貪欲だったディキンスンが、地球規模や宇宙規模の壮大なドラマを詠み込んだ詩ではないかというものです。

 以下は担当者の再返信。 「アラバスターの詩は何だか謎めいていますね。多分に象徴的な寓意の詩なのでしょうが、何を象徴し、どんな寓意が込められているのか? 作者の意図とは別に、その辺は読者にも自由な解釈が許されているような気がします。

 〔…〕ところで、ハーシェルによる太陽の固有運動の件が、ディキンスンの同時代のアメリカでどんな風に受け取られていたか、ちょっと本を覗いてみました。〔前便で〕紹介されていたイライジャ・バリットの星図帳は、もともとバリットの天文学教科書、『The Geography of the Heavens(宇宙の地理学)』の付図として出版されたものですが、同書の1860年版には、

  • 固有運動の概念は、ハーシェルによって創始され、ストルーヴェによって精緻化されたこと
  • 固有運動は、太陽が一種の「輝く惑星」として、巨大な円軌道を大宇宙の中で描いていることを示すものであること
  • 太陽軌道の中心にある物体も、さらに巨大な円軌道を描いているのかもしれないこと
  • 上の考えを推し進めていけば、我々はやがて全ての物体、全ての運動の中心にある「THRONE OF GOD (神の玉座)」に至ることができること

などが書かれていました(この記述は1842年版には見つからないので、たぶん改訂者の H. Mattisonが付加したものと思います)。 もちろん、上記の2番目以下の論点は現代の知識に照らせば間違いですが、太陽の固有運動には、当時壮大な宗教的イメージが投影されていたことが分かります。もし、お説の通りとすれば、こんなイメージもディキンソンの詩想を刺激したかもしれませんね。」

 19世紀半ばのアメリカの知識層と天文学との関係は、文化史的に見て非常に重要なテーマだと思います。渡辺さんのご研究の成果が、公になることが待たれます。

編者蛇足

 上のことと関連して、渡辺さんも言及されていたイライジャ・バリットの天文学教科書と星図アトラス(これは当時ベストセラーとなりました)が、同時代人ばかりでなく、後の作家や芸術家のイマジネーションを強く刺激したことも注目すべき事実です(その例として、怪奇作家のH.P.ラブクラフト(1890−1937)や、特異な箱型オブジェ作品で知られるジョセフ・コーネル(1903−1972)らの名を挙げることができます)。

 19世紀前半の科学と宗教がないまぜになった天文学のありよう(それはイギリスよりもアメリカにおいて一層顕著だったと思います)が、その後の「夢見るアメリカ=アメリカン・ファンタジー」の精神的支柱の1つとなっている可能性というのも、これもまた興味深いテーマだと思いました。

Burrit編の上掲「Atlas」 より

日本ハーシェル協会「WEBだより」第11号より転載


デジタルアーカイブのトップにもどる
日本ハーシェル協会ホームページ