ハーシェル関連史料
カロライン・ハーシェルの彗星捜索望遠鏡(3)


ウィリアムの作った鏡面

 ウィリアムが作った反射鏡は、バースにいた1781年までで7フィート(口径14-16cm)を200面、10フィート(口径18-22cm)を150面、20フィート(口径30cm)を80面、グレゴリー式もいくつか作ったとされています。

 それ以後にも多数販売していますが、2フィート級と5フィート級は1773年に試作した最初の望遠鏡と、カロラインに譲った望遠鏡だけしか記録にありません。10年前に作った反射鏡を直したのでしょうか。それとも新しく作ったのでしょうか。

 当時の金属鏡はたいていスペアがあり、曇ったら取り替えて使っていましたから、同じ焦点距離の反射鏡がいくつかあったでしよう。ただ、意外に曇りにくい鏡面もあって、当時のショートが作った反射鏡やハーシェルの鏡面にも良いものがありました。すぐに曇って使えなくなったのでは商品として販売できません。

 もし初期に作られた5フィート鏡が曇りにくいものだったとしたら、その後ジョンが南アフリカまで持って行くのですから、ずいぶん活躍したハーシェル家の宝です。

架台の再考

 ここで、前ページで推測した5フィート望遠鏡を考え直してみます。ウィリアムはアイディアが浮かぶとすぐ実行する人でしたが、望遠鏡を載せる架台は全て経緯台で、赤道儀はなかったようです。しかし使い良いように工夫をしていて、あの異常な高倍率で星を追える微動と安定性がありました。(ただし本当の倍率は発表よりやや低かったのですが)。

 望遠鏡の架台の動きが現代の経緯台とは違っていることに注目してください。鏡筒の上下回転軸が現代の上下微動に当たります。高度調整はおもにロープと滑車で減速した主鏡側で行います。

 謎の5フィート望遠鏡の架台の可能性として、ウィリアムが多数販売した規格品の7フィートや10フィートの架台に短焦点の5フィートを載せても、マスケリンの説明と大きな矛盾がありません。試しにウィリアムが指物師に作らせていた架台の図に5フィートを合成してみました。水平回転が円状レールなら完璧です。
木村が合成した想像図。元は1.4倍長い。

光学系について

 2フイートのほうは口径10.7cm、F6.4で、28.6mmの接眼鏡を使い、24倍、射出瞳径4.5mmです。これなら現代でも低倍率で星雲、星団を見る時の定番でしょう。

 金属鏡の反射率は一面60%程度ですから、斜鏡を合わせて36%になり、現代の77.4%(88%の2乗)の約半分です。これは面積と同じなので、口径に換算すると約68%のサイズになりますから、金属鏡の口径107mmならアルミナイズの口径73mmの反射望遠鏡と同じ明るさになります。分解能は口径そのものなので、今も昔も変わりません。

 5フィート望遠鏡と表現しているのは口径23.4cm(9.2インチ)、焦点距離160cm(5.3フィート)、口径比約6.8で、今でも使えるスペックです。倍率は25-30倍、実視野1°49′ですから、見かけ視野は45.4-54.5°です。射出瞳径が大きく9.36〜7.80mmになりますから、肉眼の瞳孔を7.5mmとしても主鏡の有効口径が187.5-225.0mmに小さくなります。接眼鏡は64.0-53.3mmあり、斜鏡のサイズが不明なので中央のかげりが分かりませんが、気になっていないようです。

 焦点合わせの機構が斜鏡と一緒にスライドする方式なので、接眼筒の繰り出しがありません。接眼鏡の形式がラムスデン系と思われるので、焦点位置が鏡筒の中にあり、かげりや周辺減光も気にならないのでしょう。現在のアルミナイズした反射鏡に換算すると13-15cmに相当しますから、12.0-12.6等星が見られるだけの充分な集光力がありました。

日本ハーシェル協会ニューズレター第102号より転載


カロライン・ハーシェルの彗星捜索望遠鏡(4)

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