ハーシェル関連史料
カロライン・ハーシェル晩年の肖像(2)


生誕250年記念と七宝制作の周辺(続)

「カロラインの七宝絵皿」

 私は七宝焼肖像画のペーパーデザインに8個の彗星を加えて制作に入りました。素材の銅板(275×250×1ミリ)に下引き釉を焼き、その表面を純銀箔で覆う加工を施し、純銀線で人物の輪郭や細かな表情、コスチューム、背景の彗星などを3日がかりで作りました。筆記用具ならばひと筆で描けるものが、銀線で形作るのは相当な時間がかかります。この間、カロラインはどんな様子で暗い夜中、孤独な観測を続けたのだろう、また兄ウィリアムの観測を記録し、日中は骨の折れる計算や整理をする日課に精を出す姿や、心の奥の感情、屈折した自我のありようにも関心がわきました。

 ふと、彼女はオラトリオの歌手でも成功した美声に恵まれていたのだもの、周りを和ませ、ウィリアムとも唄うような会話だったのかしら、現実日々の仕事はどうしていたのだろう、などと思いはさまざまに果てしないのでした。

 有線七宝の工程で、前出の銀板上にデザインの形を銀線で作るのは重要なポイントです。800度に温度を上げた電気炉で焼き付けると、次は釉を盛る色ざしの作業です。釉薬は焼き重ねることで顔の表情やコスチュームの微妙な表現ができますので、3〜4回繰り返します。七宝焼の七宝とは、狭義には釉のことを言います。原料の金属、非金属の酸化物などを混合し、1,400度位で熔けたところを水にとって急冷却のあと粉末にしたもので、見た目には色のついた砂状になっています。発色の最終仕上げは研ぎ出しの工程で決まります。七宝表面の全てを丹念に研ぐのはウィリアムたちの金属鏡磨きにも通じるところがありそうです。

 すなわち、研ぎすぎは絶対に避けねばならず、そのため手による緩やかな速度が良いのです。荒研ぎから砥石の番手を変えてゆき、仕上げの火艶ののち砂子のように銀の粉を振って焼きました。カロラインの姿が七宝の色にあらわれ、彗星や銀粉の星屑が彼女を埋めるように取り囲んでいる作品「晩年の肖像」の出来上がりです。

 「カロラインの七宝絵皿」(1997-98年作)は若い日の姿を、「晩年の肖像」(1999年作)には98年の生涯のほぼ全てを天文学に捧げ数々の栄誉を与えられた女性天文学者の面影を、と取り組みましたが、似ていること以上に抽象的な人格をどうするのか、そして揺るぎない金字塔を築いたことの表現を考える楽しみもありました。その反面、とても重かったのです。

 詰まるところ勢い余って力量不足、しかし悩んでばかりいても一向に進みませんので、とにかくやってみました。

 彼女を七宝で装わせるにしたがって時空を越え、一人の女性カロライン・ハーシェルは着実に歩み続けた素晴らしいおばあちゃんへと、少しづつ距離が縮まったのです。

 今年3月ハーシェル子孫の方々と会えたとき、まず兄妹の容貌の特徴を備えているのに驚くやら感激したのは言うまでもありません。それに加えて自然な喜びや床しさを感じたのでした。バースのニューキング・ストリート19番地、ハーシェル・ハウスの裏庭を訪ねると、観測する兄と記録係の妹カロラインのほほえましい彫像。私は、兄40歳代それに30歳を過ぎたばかりのカロラインが励む姿に、天王星発見当時を想像しました。園芸の好きな彼女が野菜や花作りをしたであろう木々で囲まれた庭の様子にも、彼らの輝きながら生きた日々のドラマをダブらせました。

 いま二人の彫像との記念写真を見ていると、心に残る聖書「ピリピ人への手紙」の一節が思い浮かびます。

"Shine like stars!"6)

 ハーシェルに関わり彼らの肖像を制作してきて3年、日々に得たものは貴く、カロライン生誕250年記念に日英で多くの皆さんの前に展示できることを感謝しています。

 なお制作にあたりカロライン関係の書物、彗星経路などの資料を提出してくださった日本ハーシェル協会にお礼を申し上げます。

文献:
6) 新約聖書・ピリピ人への手紙第2章15節 Shine like stars in a dark world. あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。「新約聖書」日本聖書協会 p. 310

日本ハーシェル協会ニューズレター第102号、第103号より転載

七宝によるカロラインの8彗星」「アトリエN (http://kenchi.m78.com/atelier_n/index.html) 」もご覧ください。


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